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時間を食う空間

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 受験勉強をしていると、考えが堂々巡りをするものだった。
 今でこそ、そんな堂々巡りを日常茶飯事で考えるようになったのだが、初めて感じた時は、
「感覚がおかしくなったのではないか?」
 と考えるようになっていた。
 だが、堂々巡りを繰り返していると感じるのは、実際に堂々巡りをしているさなか、
「ああ、また同じことを考えているよ」
 とばかりに、すべては、まさに堂々巡りの真っ最中にであった。
「つり橋の真ん中で、急に怖くなり、前に進むべきか、後ろに下がるべきか?」
 ということを考えているかのようだった。
 それを思い出すと、
「このベンチに座っていたあの頃が、まるで昨日のことのような気がするな」
 と思うと、先ほどの店で聞いた、
「時間を食う」
 という感覚が、こういうことだったのかと感じさせられたのだった。
 昨日のことを思い出していると、
「どれが昨日のことだったのだろう?」
 と感じるようになる。
 意識はしているつもりではないが、毎日を同じリズムで過ごしている。それを、
「規則正しい生活」
 といっていいのだろうか?
「今日よりも明日をいい日にしよう」
 などという偽善者のような言い方は好きではないが、毎日同じ生活だと確かに嫌だ。
 だが、偽善者のような言われ方をするのは、もっと嫌だった。
 佐久間の父親は、まさに、そんな偽善者的な言い方をする人で、いかにも、
「模範となるような人物」
 だった。
 世間一般に正しいと言われることや、世間から、一定の評価を受けているようなものばかりを好んだ。
「あんたに、自分の意思はあるのかよ」
 と言いたいくらいだった。
 テレビを見るのは、NHK、支持政党は、数十年も与党でいる、あの金塗れの政党、そして、口を開けば、
「一般的な社会人」、
「常識のある人間」。
「一般的、常識っていったい何なんだよ?」
 と言いたくなってしまう。
「まわりに恥ずかしくないような、身だしなみ」
 と言われる。
 数年前から、梅雨時期など、線状降水帯や、ゲリラ雷雨などというものが、夏までにかけて襲ってくることがあった。
 普通なら、傘を絶えず、持っていなければいけない状態であり、昔なら折り畳み式の傘でよかったのだろうが、今はそんなものだと、ちょっと風が吹いただけで、お釈迦になってしまう。
 もう、昔のような気候変動ではなく、今は、
「何が起こってもおかしくない」
 という時代だ。
 だから、何の慰めにもならない折り畳みなどを持っていても、まったく役に立たない。
かといって、高い傘を持つなど、すぐに壊れてしまえば、ただの無駄遣いでしかない。
 このあたりは前述でも書いたが、その心は、
「父親に対しての反発」
 でもあった。
 そんな息子を見て、父親は、
「そんな恥ずかしい恰好をするんじゃない」
 という。
 母親まで、
「お母さんの知り合いがこのあたり多いんだから、そんな格好悪いことするの、やめてよね」
 という言い方をする。
 当時は、学校を出てすぐの新人サラリーマンの頃だったが、本当であれば、
「ちゃんと説明をして分かってもらおう」
 と思うのだろうが、言い分を聞いている限り、
「こりゃあ、どうにもならないわ」
 と思った。
 親世代の人が考える、
「一般常識」
 と、自分たちの世代が考える、
「実用性」
 というものが、どう違うというのか、
「誰か教えてくれよ」
 と言いたいくらいだったのだ。
 だから、世間一般でいうところの、
「一般常識」や、
 政府が言っている、
「国際社会」
 などという言葉が、一番嫌いだった。
 親が指示している政党、何がいいというのか?
「他の野党が、ポンコツを通り越して、人間のクズの集まりのごとくで、批判はするが、代案は出さないという腐った連中に比べれば、まだマシということなのか?」
 としか思えない。
「そんな野党に政権を渡せないから、消去法で、今の与党にさせるしかないので、しょうがなく支持している」
 ということであれば、理屈は分かるが、そのあたりもハッキリしないので、
「ただ、一般常識」
 という範疇だけで応援しているのだとすれば、完全に、政治の世界は、
「腐ったミカンの理論」
 としか思えず、国会議事堂は、
「そんな腐ったミカンの保管箱」
 にしか見えてこないのだった。
 父親を見ていると、世間を歪んだ目で見てしまう自分も嫌になっていたが、父親を、
「反面教師」
 として見れば、それでいいのだと思うようになった。
 正直、父親は普通に考えて、好きにはなれない。だが、子供の頃は優しかったイメージがあったのだが、どこかで何かを父親も父親なりに悟ったのかも知れない。
 だからと言って、それを子供に押し付けるというのは、どうかと思うが、大人、特に親というのは、
「子供はいつまで経っても、子供だ」
 と思うのかも知れない。
 それはそれでいいのだが、
「子供だから、親のいうことを聞かなければいけない」
 ましてや、
「考え方が同じでなければいけない」
 というのは、傲慢としか言えないだろう。
 今だったら、これは、パワハラになるのだろうか?
 実際に危害を加えているわけではないから、
「虐待」
 みはならないのかも知れないが、親が子供を、
「洗脳の意思を持って、コントロールしよう」
 などと考えるのだとすれば、虐待以外の何ものでもないように思えてくるのだった。
 佐久間が、この年になるまで結婚しなかった理由には、確かに、
「結婚したいと思えるような人がいなかった」
 というのもその通りなのだが、それよりも、
「自分が子供を持ちたくない」
 というのも強いかも知れない。
「俺は子供を洗脳したりは絶対にしない」
 と思っているが、実際に親になればどうだろう?
 それを思うと、
「最初から子供なんか、いらない」
 と思う方が自然である。
 さらに結婚してしまうと、正直、一人の女に縛られることになる。これが、
「不倫あり」
 ということであれば、いいのかも知れないが、そうもいかない。
 というのは、正直、いや、ぶっちゃけ、肉体的な問題で、
「すぐに飽きるのではないか?」
 と思うからだった。
 父親の理論ではないが、
「結婚したら、一生、その女しか抱けない」
 ということになるのだ。
「そんなことは当たり前だ」
 と言われるだろう。
 自分でもそれが当たり前だと思う。しかし、実際に食べ物だって、同じメニューを一週間続けられると、耐えられるだろうか?
 父親にこんな話を聞いたこともないし、父親がどうしているのかは分からないが、大学時代の性欲が強い時、先輩から風俗に連れていってもらい、
「童貞卒業」
 をしたのだった。
 高校生までの間に、彼女がいなかったわけではないが、なぜか、初体験をするという雰囲気にはならなかった。
 正直、自分が童貞であるということに、後ろめたさがあったり、自分から、身体の関係を求めるのは、恥ずかしいと思っていたのだ。
 もっとも、その頃は父親がそんな潔癖なまでの人間だと思っていなかったので、そんな恥ずかしいと思った自分を嫌とは思っていなかった。
「きっと、お互いが噛み合っていなかったんだろうな?」
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次