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時間を食う空間

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 佐久間自身も、最近まで、ガラケーを使っていたということで、スマホに関しては、
「ずぶの素人」
 といってもよかったのだ、
 これは、佐久間に限ったことではない、
「ガラケーユーザーあるある」
 というもので、
「いまさらスマホに変えたって、どうせ、何も変わりは市内さ」
 と、
「ケイタイというものは、緊急の連絡さえ取れればいいんだ」
 という考えと、
「パソコンを普段使っているから、スマホに変えたって、別に何も変わりはしないので、このままガラケーでいいだろう」
 と思っていたのだ。
 そして、実際に、
「充電器のところが壊れてしまい、携帯ショップに持っていくと、『これはメーカーに出して修理するしかない』と言われたことがあった」
 というのを思い出していた。
 どうやら何かが詰まっているだけなので、棒のようなもので掻き出せばいいということなのだが、それをショップがすると、
「一歩間違えば、賠償問題になる」
 ということを言われたので、
「修理に出すくらいなら、このまま、スマホに変える」
 ということにしたのだ。
 もうすでに、1世代前のケイタイは、サポート終了になってしまい、今のケイタイもいつ、サポート終了になるか分からないということで、
「それなら、今のタイミングで変えておいた方が」
 ということになったのだ。
 正直、この年齢で、まだガラケーを使っていたというと、まわりの人は普通に驚いていた。
「なぜ、シマホに今まで変えなかったのか?」
 という理由がもう一つあることに最近まで気づかなかったのだが、それに気づいたのは、実際に変えてから、スマホの捜査を覚えるようになってからのことだった。
 しかも、その理由は今までの佐久間から考えれば、容易に想像がつくものだったはずだ。その理由というのは、
「飽きっぽいという性格が災いしていた」
 ということであったが、実際に変えなかった理由として、これを災いだとは思っていなかったということなのだろう。
「飽きっぽいから、スマホ操作に苛立ちを感じる」
 と思ったのだ。
 一言でいえば、
「パソコンがあるのだから、パソコンでやればいいんだ。できないことというのは、歩きながらできないというだけで、どうしても必要な時のために、持ち歩いていて、電車やバスなどの公共交通機関のような移動中にでも、できないことではない」
 と思っていたのだ。
 だから、今でもパソコンは持ち歩いているのだが、パソコンを持ち歩くのは、スマホとは直接関係ないところで、
「それとこれとは話が別だ」
 と考えているからであろう。
 パソコンというものを考えた時。
「最近でこそ、wifiという、無線LAN形式のものがあるので、どこでも繋がるが、昔は、ほとんど、ネットに繋がるということは意識していなかった。ネットを使わないといけない時は、ネットカフェに飛び込んだりして、苦労したものだったよな」
 と、今さらのように思い出すのであった。
 そんなことを考えていると、
「やはり、スマホというものは、必需品なのだろうな?」
 と考えるようになった。
 しかし、覚えることがいっぱいありそうで、実際に、そのあたりが難しかったのであった。
 そういえば、最初にこの店に来た時、帰りが竹中さんと一緒になったのを思いだした。
 その時。
「この店では本当に時間を食うんだよ。だから、記憶がなくなっていくんだけど、たまに、それを意識しないことがある。それは、自分の記憶が曖昧になるからであって、記憶が食われた後で、何者かによって、新しい記憶を植え付けられる。だから、あなたと違って他の人は、あまり、飽きるということを知らないんだよ」
 と言われた。
「この人は、この俺が飽きっぽいことを知っているんだ。いや、知っているからこそ、こうやって仲良くなったのかも知れないな。そうじゃないと、こんなに俺にくっついてくるということもない。俺の何かを知りたいのかも知れない」
 と感じた。
「最近、スマホを持つようになって気づいたんだけど、人間って、知らず知らずのうちに、自分の中で都合の悪い記憶は消し去るという技を身につけているようなんだよな。君の場合は、飽きっぽいという性格が、その植え付けられるものなのではないかと思ってね。まるでスマホのアプリのようじゃないか?」
 といっていた。
「私が、スマホの講習に出たいと思ったのは、どんなアプリの種類について勉強して、自分で取り入れられることがあれば、それが嬉しい。だから、いろいろ吸収していきたいなって思っているんだよ」
 と、老人は続けた。
「そんなものですかね?」
 と曖昧に答えると、
「ああ、だから、飽きっぽいとか、記憶が曖昧で、肝心なことを覚えていないとか、その覚えていない部分が肝心なところで、次第に忘れて行っているのではないかと思うと、夢や幻というのを感じてくるのさ」
 というではないか。
 前述のような、夢や幻という話は、自分で意識したというよりも、この時の老人の言葉が忘れられないということなのかも知れない。
 ただ、
「夢や幻」
 というだけではなく、
「飽きっぽい」
 ということまで分かっているのだとすると、それが洞察力なのか、予知能力のようなものなのか、超能力であることに違いないような気がした。洞察力は超能力ではないが、超能力を凌駕するほどの、強いものではないのだろうか?
「飽きっぽいというのと、面倒臭がりというのは、関係があるんでしょうかね?」
 と聞いてみた。
「面倒くさがりという意識はあるのかい?」
 と聞かれて、
「ええ、結構あります。面倒臭いから、他の人が夢中になることができなくて、それが幸いしている部分もあります」
 というと、
「例えば?」
 と聞かれたので、
「例えば、ゲームですね。よく引きこもりの人が自分の部屋で、テレビだけつけて、ゲームをしているとかいう絵をよく見かけるでしょう? あれを見ていると、いつも、自分にはできないと感じるんですよ」
 と、答えた。
「それは、焦りが次第に生まれてくるからなのではないですか?」
 と聞かれ、先ほど自分が、
「夢や幻のような関係を模して、焦りと飽きっぽさで自分の考え方の正当性を考えたのに、この人はそこまで分かっているということなんだろうか?」
 と感じたのを思い出したのだった。
 竹中さんは、確かに勘が鋭いところがあったが、ふと、忘れっぽさも感じさせた。まるで、ぼけ老人であるかのように見えたが、実際にはそうではないようだ。
 何か妄想のようなものを絶えずしているので、時々、他人事のように見えて、知らない人だと、
「なんて失礼な人なんだ?」
 と感じさせるかも知れないと感じた。
 そんなことを感じていると、この間の影が薄いと思っていた人の姿を思い出せる気がした。
 だが、それと同時に、今度は竹中さんの顔がどんな顔だったのか、分からなくなってきて、一緒にいた人の影がどんどんハッキリしてくるかと思うと、逆に竹中さんの影が、だんだんと薄くなってくるようだった。
「竹中さん。スマホの中で、何か時間を食うものでも見つけたのだろうか?」
 と考えたが、実はもっとすごいものを見つけてしまったのではないかと考えるようになったのだ。
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次