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時間を食う空間

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 と思っていたに違いない。
 しかし、そのうちに、
「本当に好きになりそうな自分がいた」
 もちろん、そんなことはダメであり、身を亡ぼすことになるかも知れないと分かっているのだが、危ないところで何とかなった。
 というのも、
「飽きが来てくれて、助かった」
 というわけだ。
 そういう意味で、飽きが来るというのも、悪い意味だけではないということを考えると、自分にとって、いい面と悪い面の両方があることを知るいい機会だったのかも知れない。
 そんな中で最初に気になっていた女の子に夢中になったのは、最初の2回だけだった。そのうちに、えっちな行為よりも、会話の方が楽しくなり、時間が迫ってきて、
「もうこんな時間だ」
 ということで、最期の三十分くらいで、ある意味ドタバタで帳尻を合わせようとするのだが、それが却っていけないのか、うまくいかないのだ。
 焦っているわけではないはずなのに、どうしようもない、きっとリズムが崩れてしまったのだろう、
 たとえば、睡眠時間を8時間は取りたいと思っている人が、結構早めに寝て、
「10時間は余裕で眠れる」
 というくらいに余裕を持っていたとして、実際には、最初の2時間くらいで眼が覚めたとすると、その後、少し余裕があるという思いから、目を覚まして、テレビでも見ていたとすると、次第に、目がさえてきて、それまでの感覚が狂ってしまい、眠れるはずのものが眠れなくなってきた。
 そうなると、後はカウントダウンで、気が付けば、後3時間もなくなってしまった。
「3時間でもいいから寝ておけば、だいぶ違う」
 と考えて、眠ろうとするのだが、そこからは焦りしかなくて、眠ることができなくなってしまう。
 時間が、次第に焦りに変わっていく、このことと、
「飽きる」
 ということとは似たようなものではないかというのは、勝手な妄想であろうか?
 飽きるというと、あまりいいイメージではなく、しかも、自分が意識してのことのように思うことから、
「夢」
 に近いものではないかと思うのだった。
 しかし、時間がどんどん減っていって、それが焦りとなり、意識すればするほど、うまくいかなくなるという感覚は、
 夢というものとは違い、意識してのことではないということから、
「幻」
 のようなものではないかと思うのだった。
 夢と幻は、実際に違うものであるが、一緒くたに考えることもあるのではないだろうか?
 つまり、
「焦り」
 と、
「飽きる」
 ということも、どこかで繋がっていて、夢と幻と一緒にして、
「夢幻」
 という言葉があるように、この二つも似たような言い方があるのではないかと思うのだった。
 そんな中で、この店の、
「クロノス」
 という言葉が、時間をつかさどる神であるのと同時に、
「全能の神」
 に似たものがあるという考えもあるではないか。
 その二つは言葉が似ているが、実際には違うものである。しかし、
「夢と幻」
 であったり、
「焦りと、飽きる」
 という言葉も、違うことのようだが、どこか一緒にしてしまうと、別の形のものになるのではないかということを、この店の名前の、
「クロノス」
 という言葉が教えてくれているかのように思えたのだった。
 そういう意味で、この間、連れてきていたのに、マスターは気づいていないような言い方だったその人を、本当にマスターは意識してないのかも知れない。
「まさか、自分にしか見えない存在なのか?」
 いや、あるいは、
「マスターにだけ見えない存在なのかも知れない」
 と思うと、マスターと自分と竹中老人の三人はトライアングルであり、
「その中で一人がいつも宙に浮いてしまっている、夢幻のような空間と時間が存在しているのではないか?」
 と思うのだった。

                 大団円

「そういえば、竹中さん、最近見ましたか?」
 とマスターとの話の中で、ふと思い出したように、佐久間は聞いてみた。
「それなんだけど、ここ数日見かけないんですよ。どうやら、この間、話をしていた、スマホのセミナーに参加した後から見かけなくなったような気がするんですが」
 というのだった。
「ああ、そういえば、スマホの講座に行くような話をしていましたね?」
 といって、マスターに答えたが、その時、何か違和感のようなものがあったが、それを、佐久間はすぐには、ピンとこないようだった。
「ええ、そうなんですよ。私も今気が付いて、気持ち悪いと思ったことがあったんですけどね」
 と、マスターがいうではないか。
「どういうことなんですか?」
 と聞いてみると、
「実は、今佐久間さんから、言われたことで、竹中さんのことを心配していた自分がいたことを思い出したんです」
 というではないか?
「う、うん?」
 と、言葉の脈絡にどういう意味があるのか、よく分からないと言った感覚で、考えてみたが、どうも、マスターは、
「今の今まで、竹中さんのことを忘れていたんですよ」
 とでも、言いたいのかと思ったが、そういうことではなさそうだ。
 どちらかというと、
「竹中さんのことを忘れて行こうとしている自分に気づいて、愕然としてしまった」
 とでも言いたいのだろうか?
 確かに、人のことを忘れていく場合、その仮定において、忘れてしまいそうになる感覚は薄いもののような気がする。
 どちらかというと、忘れてしまってから、
「あ、忘れているんだ」
 という言葉で表すとおかしな発想にいなってくるのだが、そこにあるのが、
「飽きてくる」
 ということなのかも知れない。
 きっと、佐久間が、
「飽きっぽい」
 と言われるのは、
「忘れる過程というものを思い出すよりも、忘れてしまってから、『ああ、忘れた』と感じる時なのかも知れない」
 と感じたのだった。
 その二つが結びつくという感覚は、なかなか持てないが、頭の中で考えて、信憑性を追求しようとすると、そういう発想に行き着くしかないような気がするのだった。
 それにしても、竹中老人が、スマホのセミナーに行ったということであるが、どういう内容の講習だったのだろうか?
 竹中老人は年齢のわりには聡明で、どちらかというと、発想も柔軟なので、同い年の年齢の人たちに比べて、理解度が高いのかも知れない。
 そんな風に感じていると、
「スマホというものを、理論立てて考えることのできる珍しい人ではないか?」
 と思えるような気がして仕方がない。
 思い出されたのは、
「この店は時間を食う」
 といっていた言葉、
 あの言葉を聞いたあの時、初めて、竹中老人が、
「何かを考えていて、自分に言いたいのかも知れない」
 とも考えたが、それが何なのかもわからない。
 ただ、この間見た時、老人はすでにスマホを手にしていて、
「他の老人と同じように、やはり年には勝てないのか、スマホを持っている竹中老人を見ていると、違和感とどうしても、感じえないということではないだろうか?」
 と感じたのだった。
 実は、
「老人が受けたかも知れない」
 というセミナーに、佐久間も参加していたのかも知れない。ちょうど同じ頃、佐久間も。会社からの推薦で、スマホに関しての講習会に参加した。
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次