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時間を食う空間

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 と思うほど、
「水が臭いんだ」
 とご飯を一口口に入れて分かるというのも、考えてみればすごいことであった。
 だから、本当は、朝ご飯を食べたくないのに、親は、
「ちゃんと食べなさい」
 という。
 完全に強引に食わせるというやり方がどれほど子供をストレスに追い込むということいなるのか、分かっているのだろうか。
 親の世代だったら、さらに自分の親から、
「戦時中は、コメの飯が食えるなんてことはなかったんだから、残さずに食べなさい」
 という、いかにも時代錯誤な説教をされて、従うしかなかったのだろう。
 ただ、親が自分たちに対して、
「ごはんを食べなさい」
 という言葉に説得力はないはずだった。
 実際に、朝食を摂らない人も多かったし、
「毎日食べると飽きる」
 ということも分かっていたので、食べさせられることのストレスも言われていたはずだ。
 それなのに、無理に食わせるというのは、時代錯誤もいいところで、理由も分からず食わされる方としては、溜まったものではなかった。だから、佐久間は、ここ数十年、家で朝食を食べたことはない。出張などでビジネスホテルなどに泊まって食べる分には、
「朝食ってこんなにおいしかったんだ」
 と感じ、何が違うのかを、考えさせられるというものだった。
 その時感じたのは、
「親が作る料理の方が独特だったんだ」
 という思いだった。
 正直、コメに対して水の量が多いことで、べちゃべちゃしていた。だから、余計に朝起きて食べるのが、気持ち悪かったのだ。
「よく、こんなもの、何年も我慢して食えたものだな」
 と感じたほどで、逆にそう感じたことで腹が立ってきた。
 というのも、
「おいしいものを食べて、そのうちに飽きてきたのであればいいのだが、好きでもないものを食わされて、そのせいで、飽きというものに敏感になってきたのか、次第に食事をすること自体が、苦痛になる時期があったくらいだ」
 ということを思い出したからだ。
 その時は、どうして食事が嫌なのか分からなかった。
「そこまで、ものぐさなのか?」
 と真剣に思ってほどだったが、おいしいものを、おいしいと思って食べられないということの不幸を分かっていなかったのだ。
 しかも、それを与えたのが、自分の親であり、当然悪いと思っていないだけに、余計に腹が立つ。たぶん、
「親として当然」
 などということを考えていたのだろう。
 もしそうだと考えると、怒りのこみあげ方は尋常ではないのだ。
「親の義務を押し付けられたりなんかすれば、子供はたまったものではない」
 と思うのだ。
「親だから、何でもありだと思ったら大間違いだ」
 と言いたかった。
 そんなつもりがない。そして悪気がないといえば、何でも許されるというのか、そんなバカなことはないだろう。
 そういう意味で、佐久間には親に対しての怒りというトラウマがある。ただ、嫌いなところばかりではない。名前を佐久間頼政と、戦国武将にあやかってつけられたのは、自分も歴史が好きなので、それはいいことだと思っている。
 つまり、おしつけでなければそれでいいのだ。好きなことであれば、押しつけであっても気にはならないので、一概には言えないが、おかげで、父親と合うところ合わないところがハッキリと分かったような気がするくらいだ。
 そんなことを考えていると、バー「クロノス」で、竹中老人が話をしていた、
「影が薄い男性」
 を、どこかで見たことがあるように思えてきたのだった。
「どこでだったんだろう?」
 と思うのだが、影が薄いからなのか、それとも、元々印象が深くなかった人だったからなのか、思い出すことができない。
 顔を思い出そうとすると、まるで、逆光で薄暗い顔だけが目立っていて、どんな表情なのか分からないところが怖いと思うような気がするのだ。
 ただ、少しずつ考えていれば、その男のことが、段階を踏むようにすれば、徐々に思い出せてくるような気がしてきたのだ。
「あの人は、うちの会社にいた人だったかな?」
 と思うと、今度は、
「そう、自分よりも年上だと思ったんだ」
 としばらくすると感じた。
「影の薄さをあの時に感じていたんだっけ? 感じていたから、今思い出しているんだよな? 何しろ、顔が思い出せないんだからな」
 と、少しずつ、そして、理論的に思い出せるようになると、ここまで思い出すまでには、そこまで時間が掛からなかった。
 しかし、完全に思い出せたわけではないので、今度はまた、ベールに包まれていた。
「この人は一体、自分にとって、どんな人だったのだろう?」
 と思うと、そこで、少し考えるのをやめた。
 最初は考えることをやめるのが嫌だった。
「ここで考えることをやめてしまうと、もう思い出すことはないような気がする」
 と思ったからだった。
 そう思うと、思い出せないということが怖く感じられ、ここで、中断することを、躊躇してしまったのだ。
 だが、このまま考えていると、モヤモヤしたものが頭を離れず、集中することができなくなってしまうように感じられたのだ。
 これから、いろいろ思い出していく時、このことが引っかかってトラウマになってしまうと、まるで、強引に朝飯を食わされて、飽きが常習的になってしまう身体が出来上がってしまったことで、親を恨んでいることをまた再現してしまいそうなトラウマを感じるというのは、大げさなことなのだろうか?
 年を取るごとに、いろいろなことに敏感になる。
 音などはその顕著な例だと思うのだが、特に、表で遊んでいるガキどもの、うるさい声を聞いていると、
「雑音以外の何ものでもない」
 と感じるようになってきた。
 20代くらいまでは、そこまではなかった。むしろ、
「これも、自然現象に近い」
 というくらいの感覚だったのだが、何が原因だったのか分からないのだが、急に耳障りになってしまい、不快でしかなくなっていた。
 しかも、これも知らないうちにトラウマになっているようで、ガキの声が聞こえてくると。無性に腹が立つのだ。
 そんなことを、思い出させる存在が、竹中老人と話をしていた、
「影の薄い男」
 だったのだ。
 だから、あの男には、謂れの分からない怒りがこみあげてきて、理由が分からないだけに、怒りがこみ上げることに、違和感があり、自分でも、どうしていいのか分からなくなっていたのだった。
 一つを思い出せば、どんどん出てくるもので。
「怒りがそのままトラウマになってきた」
 というのは、他にもあった。
 ここ数年は、例の、
「世界的なパンデミック」
 が起こったことで、少なくなってきたのが嬉しかったが、最近では少しずつ増えてきたことだ。
 そう、何が腹が立つといって、
「外人どもの素行の悪さ」
 である。
 そもそも、政府が、
「経済を活性化させたり、労働力の確保するため」
 ということで、
「インバウンド」
 とかなんとかいう訳の分からない政策を打ち立てたせいで、マナーも守れないような外人どもが、どんどん日本に流入してきた。
 しかも、政府が、
「外人を雇え」
 といってきたり、
「雇えば、補助金を出す」
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次