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時間を食う空間

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 実際に、あやねさんから、他の女の子を指名してみると、最初の一回は皆新鮮な気がするのだが、二回目ということになると、その気にはならない。
 元々、
「経験を深める」
 という感覚だったこともあって、最初から、
「飽きること前提」
 という感覚だったこともあって、どこか。淡白な気持ちになっているのだった。
 何度か、いろいろな女の子を指名しているうちに、
「何か、負のスパイラルに迷い込んだ気がするんだよな」
 と感じるのだった。
 最初から、ランダムで女の子を指名するという遊び方をしているのであれば、
「自分に合う子を探しているんだ」
 と思うことで、負のスパイラルはないだろう。
 しかし、
「飽きが来ないようにするために、毎回相手を変えている」
 というのは、明らかに、マイナス要因に思えるからだった。
 だが、考えようによっては、それも大切なことで、自分の中の欲望であったり、ストレスを解消させるための遊びなので、遊びとは言っても、ある意味真剣なことである。
 逆に真剣だからこそ、その中に、遊び心があるのだとすれば、遊びという言葉の本当の意味がどこにあるのか、分かるのではないだろうか?
「ハンドルの遊びの部分」
 などという言葉を使うことがあるが、まさにその通りではないだろうか?
 そんな風に考えてみると、
「車のハンドルのような遊びの部分を自分なりに習得しておかないと、飽きが来たときに対応できないと言えるのではないだろうか?」
 と考えてしまう。
「飽きが来るということと、ハンドルや、風俗での遊びという発想は、どこかで繋がっているのではないだろうか?」
 というようなことを考えさせられたりする。
 その思いが、つぐんでいるのは、本当に負のスパイラルなのだろうか?
 そんな遊びの部分がそれぞれに存在しているというのを思い出させたのが、この店の名前、バー「クロノス」であった。
 クロノスというのも、全能の神である、
「ゼウスの父」
 という意味であったり、
「時をつかさどる」
 という意味での神という意味もあった。
 そういえば、最初の頃に、老人が、
「ここは、時間を食うといっていたっけ?」
 というのを思い出すと、ますます何かの意味があるようで、興味津々だった。
 遊びというのも、
「車のハンドル」
 という意味と、
「風俗遊び」
 という意味で、違った使いまわしでも、似たような発想があったりする。
 それを考えると、
「このクロノスというお店には、他にまだ何か秘密のようなものが含まれているのではないか?」
 と思えてきた。
 確かにマスターは、
「二つの意味を持つ神の名前を頂くことが、この店の繁栄につながると思ってね」
 といっていたが、どうも、店の繁栄や儲けだけのために、このような名前を付けたのではないような気がした。
 そういえば、店にいくと、よく来ている人がいた。常連という雰囲気でもないのだが、どこか、老人とひそひそ秘密めいた話をしている時があるような気がしていたのだ。
 まだ、最近常連になったばかりなので、余計なことを聞いていいものかと、聴くことを躊躇していたが、老人も、自分から何もいおうとしなかった。
 老人は、自分が聞いてもらいたいことなどがあれば、まず黙っておくことのない人なので、それを秘密っぽくしているということは、
「本当に触れてはいけないことなんだろうな?」
 と感じさせられる。
 それを思うと、余計に聞けないのだが、ある日、ふと、
「あの人は、この間の講習会で知り合った人でね、どこか話が合ったんだよ」
 といっていた。
「それで、この店に?」
 と聞くと、老人は、無言で頷いたのだ。
 それ以上、その人がどこの誰なのかということを口にしようとはしない。ただ、その人を見ていると、
「どこか、影がメチャクチャ薄そうな気がするんだよな」
 と感じられた。
 マスターに聞いてみようかと思うのだが、どうも気が引けた。
 そのうちに、老人がその男性を連れてこなくなったので、少しホッとした気持ちになってきて、マスターも老人も、何事もなかったかのようにしているのが、不思議だったのである。
 そんな不思議な顔をしている佐久間のことが気になったのだろう。マスターの方からどうしても気になったのか。
「どうしたんですか? 佐久間さん。何か悩み事でも」
 というではないか。
 拍子抜けした感じがした佐久間だったが、
「もう時効だよね」
 と思い、その日、老人が来ていないのをいいことに、
「最近、竹中さん。誰もつれてこなくなりましたね?」
 と思い切って聞いてみた。
 竹中というのは、いうまでもなく老人のことである。
「え? 竹中老人が誰かを連れてきたなんてこと、今まであったかな?」
 というではないか。
「えっ? この間まで、影が薄そうな人を連れてきて、奥で話し込んでいたことがあったじゃないですか?」
 というと、
「いや、知らないな」
 と、すっとぼけているように見えるが、マスターがウソを言っているようには、見えなかったのだ。

                 影が薄い客

 佐久間の会社にも、影の薄い人は結構いる。
「ひょっとすると、俺も同じで、まわりから、影が薄いと言われているのかも知れない」
 と感じた。
 会社にいて、主任くらいの頃は、上司を見て、
「あの人は影が薄くなってきたから、他の部署に異動するんじゃないか?」
 と思うと、結構当たっていたりする。
 影の薄さに、さらに、その人は、異動を貰った時、ショックらしいショックがないのを見ると、
「この人、左遷なんだな」
 と感じた。
 というのは、左遷されることを影の薄さが感じているのだろう。会社が、そう感じたから左遷することになったのか、左遷されることが分かり、自分ではどうすることもできないと悟ったことで、本人が、もうどうでもいいと思ったのか、影の薄さが、結構分かりやすく見えるものだった。
 これは、ひょっとすると、飽きっぽい性格が功を奏しているのかも知れない。
 飽きっぽいということは、最初に相手にのめりこむくらいに気にしてしまうので、一度手に入れてしまったりすると、満足感が、次第に飽きに繋がるのではないだろうか?
「昔は、こんなに飽きっぽいなどと思ったことはなかったはずなのに」
 と思った。
 どちらかというと、子供の頃の方が、執着心が強く、食事でも、好きなものなら、
「半年同じメニューでもいいくらいだ」
 といっていたのがmちょうど中学時代くらいではなかっただろうか?
 ただ、その頃、完全に嫌だったものがあった。
 それは、朝飯だったのだ。
 家では、毎日、判で押したように、ごはんとみそ汁。
「どんなに好きでも、毎日、同じメニューを食えるものだ」
 と思ったものだった。
 特に朝目が覚めてからというものは、胃がまだ眠った状態で、コメのべたべたが、あまりいいものではない、
 しかも、昔と違って、水が非常に最悪の状態なので、正直、
「ペットボトルの水でもないと、まともに呑めない」
 と思っていた頃だった。
 最近は、慣れてきたので、それほど気にならなくなっていたが、下手な食堂で食べた時など、
「よくこんなものを客に出せるな」
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次