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時間を食う空間

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「何回回しても、確立は、299分の1でしかないということだ。それを完全確率性というのだ」
 ということである。
 この理屈の説明であるが、おみくじを例にすれば、分かりやすいかも知れない。
「おみくじでも、筒状の棒を引いて、その番号のくじが当たるというやり方d考えればいいわけで、一度引いた棒を、表に出しておくか、それとも、元に戻すかということを考えれば、分かりやすいだろう」
 要するに、
「299の棒が入っていて、1本だけに当たりと書いてある。それを引いて、外れが出れば、それを元に戻さないと、確率は298分の1になる。逆にいえば、中の棒がなくなるまでの、299回最高でも引けば、それまでに、必ず当たるということになる」
 しかし、一度引いた外れを元に戻すと、
「ずっと、299の中から1を引くという、確率的にはまったく変わらない」
 ということになるのだ。
 これが、パチンコでいうところの、完全確率なのである。
「じゃあ、永遠に当たらない可能性だってあるじゃないか?」
 と言われ、
「ああ、そうだよ。一日中回して、2000回転させたとしても、当たらないなんてこと、結構ある。sりゃあ、そうだろう。ずっと確率は変わらないわけだからね」
 と答えると、
「ああ、あの299分の1というのは、どういうことなんだい?」
 と聞かれて、
「あれは、単純に回した回数から、当たりの回数を割った値の大体の目安さ。機械メーカーが、大体、それくらいの確率で当たるような機械をあらかじめ作っておくというわけさ。だから、ひょっとすると、100回転させる中で、3回大当たりするかも知れない。そうなると、大当たり確立は33分の1だろう? 機械にだって波があるわけだから。それを何度も時間をかけてやっていると、次第に表示の確率に近づいてくるというわけだ」
 というではないか。
 これは、パチンコ番組で、パチンコの確率について、視聴者に分かりやすく説明するための件であった。
 もちろん、文字だけではなく。図解や実機の演出などを交えて話すので、もっと分かりやすいことだろう。
 しかし、おみくじのたとえが確かに一番分かりやすいもので、パチンコをしたことのない人でも、理屈くらいは分かっただろう。
 パチンコをかじったことのある人は、ほとんどの人が勘違いしているだろう。いや、分かっているのかも知れないが、実際にやっていると、299分の1の確率の台をやっていて、
「今、200回転を超えたところだから、もう当たってもいい頃だ」
 と考えることだろう。
 しかし、これも確率で、他の、大当たりして、すぐに客が離れた台には座ろうとは思わない。
「そう簡単に当たるわけもないからな」
 と感じるからだ。
 つまり、当たるかあるいは、大チャンスといえるリーチが来るまでは、都合よく、
「そろそろ当たる」
 と思うのだが、大チャンスを外してしまうと、
「おいおい、今日は当たらないじゃないか?」
 と、パチンコが完全確率だったことを思い出すのだ。
 それが、
「我に返る」
 ということで、下手をすると、その時に、
「賢者モード」
 に陥ってしまうということになるのだった。
 そういう意味で、
「賢者モード」
 になるということは、
「我に返るということと、同じ意味なのではないか?」
 と感じるのだった。
 男が最高潮の興奮の中で、女の中に果てた場合に起きる賢者モード、それは、我に返ることだと思うと、それなりに納得がいく気がする。
 興奮そのものが、本能であり、欲望なのだ。欲望も本能も、夢まぼろしの世界にいることができるから、追い求めるといってもいいだろう。しかし、それが達成されてしまうと、我に返る。しかも、人間には羞恥心であったり、理性のようなものが備わっている。我に返った瞬間、
「待ってました」
 とばかりに、羞恥心や理性が襲い掛かってくる。
 本能や欲望が達成された後に、すかさず入り込んでくる、羞恥心と理性、それこそが、賢者モードの正体ではないか?
 こうやって冷静に考えれば、分かってくるものだ。
 子供の頃から、
「エッチなことや、見てはいけないという本など、大人が隠せば隠すほど、子供は興味を持つものだ」
 といえるだろう。
 R―18であったり、未成年者は見てはいけないなどと言われると、見たくなるのが子供であり、それを好奇心というのではないだろうか?
「好奇心旺盛なのはいいことだ」
 と言われていたのに、どうして、エッチなことは、ダメだというのか、特に思春期には、嫌でも見てしまうのが、エッチ本だったりする。
 法律では禁止なのだろうが、あくまでも建前。
「エッチ本やAVを一度も見たことがない」
 などと言って、大人になるまで、本当に見たことがない人間なんて、希少価値であろう。佐久間も、童貞ではあったが、オナニーだってしていたし、エッチには大いに興味があった。
 ただ、機会に恵まれなかったのと、タイミングの問題だったというだけのことだったのだ。
 賢者モードになるというのは、確かにオナニーで分かっていた。その時、
「我に返るからだ」
 ということも分かっていたような気がする。
 それはなぜかというと、
「果てた後、寂しくなるから」
 だったのだ。
 だから、余計に、女の子をした後であれば、一人じゃないから、
「賢者モードになることはないだろう?」
 と思っていたが、逆だったのだ。
 逆というか、相手が寂しがっているのを、こちらは、構ってあげられるだけの気力がないというか、どうして自分が、そんな心境になるのか分からないほどに、オナニーの時とでは、まったく感覚が違うのであった。
「そんな賢者モードから一体いつになったら、離れることができるのだろうか?」
 と、考えたが、それは、実際に自分が男である以上、無理なことだった。
 パチンコでは、果てしない大当たりまでの道のり、
「永遠に当たらないかも知れない」
 ということが我に返ったことで分かったことで、賢者モードに陥った。
 つまり、賢者モードとの決別を考えることが無理なのだとすれば、
「いかに京善できるかということにかかっているのだ」
 それを、
「ウィズ賢者モード」
 といっていいのかも知れない。
「ウィズコロナ」
 などという単語にもあったようにである。

                 「遊び」と「クロノス」

 あれから、バー「クロノス」にちょくちょく行くようになった。
「ここに来ると、よく学生時代の頃のことを思い出すんだよな」
 と、最近では、あまり意識がないにも関わらず、
「時間」
 というものが曖昧になってきたことを感じていた。
 そういう意味で、バー「クロノス」という店に入ったのも、意味があることだと思っていた。
 というのも、あれから、
「クロノス」
 という言葉について調べてみた。
 実は大きく2つの意味があるようで、その両方ともが、神を意味しているというのがすごいところだった。
 ギリシャ神話などを少しかじったことがある人や、マンガやアニメが好きな人は、きっとどこかで、
「クロノス」
 というと、時間の神のことである。
 ということを感じているに違いない。
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次