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時間を食う空間

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 という感覚と同じではないだろうか?
 確かに、一度我慢してしまうと、後は、10分も持たないなどということを聞いたことがあったし、自分でも経験があった。
 だから、学校でも、授業の前には、必ずトイレには行くようにしている。要するに、
「我慢は身体のためにも、精神的にもよくないことだ」
 トイレがくせになってしまうのは、肉体的な面よりも、精神的な面の方が大きいのかも知れない。
 そんなことを考えていると、
「美人は三日で飽きる」
 といっていた言葉を思い出した。
 確かに、美人を抱けると、むしゃぶりつくくらいの感覚になるだろう。
 しかし、実際に満足してしまうと、男には、
「賢者モード」
 というのが訪れる。
 男は、一度、性欲を吐き出してしまうと、そこで、急に我に返るのだ。身体は萎えてしまい、興奮状態から遠ざかってしまう。
「性欲の塊」
 で一戦交える気持ちでいくと、賢者モードに入った時、どうすることもできない。人によっては、鬱状態に陥ってしまう場合もあるようで、話しかけられるだけで、露骨に嫌な顔をする男もいるだろう。
 それが、最初、性欲に身を任せるかのように、がっついてくるような相手だったら、余計にそのギャップはひどいだろう。
 身体のどこかを触ろうものなら、敏感になりすぎて、中には、身体がピンと張ってしまう人もいるかも知れない。
 そうなると、賢者モードは最高の状態に陥って、お互いに、男女との、気まずくなってしょうがないだろう。
 だから、AVなどでは、男が果てた後、タバコを吸いながら、瞑想にふけっているような様子を見ることができる。あれは、賢者モードになっている自分を何とかもたせようという気持ちの表れなのではないだろうか?
 中には、服を着て、さっさと帰ってしまうような男もいたりする。
 女の子の場合は、満足感が強くなるようで、果てた後の、けだるい時間も、楽しみの一つだと思っているだろう。
 スポーツで、心地よい汗を掻いたというくらいの気分に違いない。
 だから、女の子は気分的に寂しくなりそうなので、男にすがろうとするのだが、男は、触られるだけで気持ち悪い状態なので、無言で、
「近寄るな」
 というオーラを出しているに違いない。
 これが、男と女の、性と言えばいいのか、これだけ違うのには、何か意味があるのかも知れない。男女の間の不思議なことは結構解決されてきているが、そのほとんどは理由のあることで納得がいくものである。この賢者モードも、男女関係の中で、悪いことだけではない、
「何か、いいことへの意味があるのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 ただ、賢者モードにも慣れてくるという、状況があった。そのうちに、身体が相手に慣れてくるのか、果てた後のあの感覚に慣れてくるのか、きっと、最初は戸惑いのようなものが、身体にみなぎっていたのかも知れない。
 それが、
「慣れていなかった」
 ということで、身体が敏感になることが、どういうことなのか、自分で分かっていなかったということでもあったのだろう。
 正直、最初はビックリした。あれだけ、身体が興奮で高ぶっていて、
「ああ、あそこを超えると、天国に行けるんだ」
 というような気持ちだったのかも知れない。
 果てた後に見える光景がどんなものなのか、勝手にいろいろ想像していたのに、果てた後襲ってきたのは、けだるさだけだったのだ。
「これだったら、オナニーと一緒じゃないか?」
 と、ショックと一緒に落胆が襲ってきた。
 一人で興奮しているのは、ムズムズを我慢できないからであり、男としての本能が、なせる業だった。
 だが、相手がいて、セックスをすれば、この快感はもっとすごいものに違いないと思っていた。だって皆、
「オナニーの比じゃないぜ。女の中に出したら、こんなに気持ちいいことはない」
 と経験者(いや、自称:経験者なのかも知れないが)が、そういうのだから、信じてしまうのも当たり前のことだった。
 そういえば、賢者モードというと、今までにも味わったことがあった気がした。
「そうだ。パチンコをした時のことだった」
 佐久間は、大学に入ってから、パチンコを始めた。それ以外のギャンブルはすることはなく、その時に手を出さなかったギャンブルは、今でも手を出すことはない。
 ただ、パチンコと同類という意味で、スロットは少しかじったが、これも、パチスロという意味で、同じものだととらえていいだろう。
 佐久間は、これをギャンブルという捉え方をしていない。趣味だと思っている。
 そういう意味で、風俗遊びも趣味だと思うようになった。ギャンブル性のあるものでも、むきになったり、深入りしなければ、趣味の範疇でいいのではないだろうか?
 佐久間がパチンコに嵌ったのは、最初の頃に、爆当たりしたというのもあるのだが、やはり、
「演出のすばらしさに魅了された」
 といっていいのではないだろうか?
 今のパチンコは、リーチがかかりそうなところを、微妙にかからず、連続演出が発生すれば、チャンスなのだ。
 激熱な演出続出し、さらには、オーラの色で期待度が決まってくる。
 しかも、数年前までは、赤保留だと、激熱と言われていたが、今では結構外れたりする。それだけ、他の激熱演出と絡んでいないと、当たらないということだ。
「以前なら、ハンドルが震えれば、ほぼ当たりだったのに、今では、ハンドルが光らないと、結構外れたりするからな」
 というように、一つでは弱いのだ。
 それだけ、パチンコを打っていて、リーチがかかるまでと、かかってからの演出を見逃すことができないというもので、中には、連続演出が発生してから、当たりが確定するまで、1分近くも演出を見せられることもある。
 もちろん、台によっても違うし、演出によっても違う。何しろ、同じ台でも、ノーマルリーチでいきなり当たるということも平気であったりするからだ。
「あれ? 当たっちゃった?」
 と、嬉しいのだが、拍子抜けした気がして、苦笑いをするしかない場合だって結構ある。
要するに当たればいいのだ。
 しかし、逆に言えば、どんなにすごい演出を見せられても、外れてしまえば、ショックは大きい。
 急に我に返った気分になって、
「ここまで打ってきて。会たる思っていたのに」
 と感じるのだが、本当は一緒に違うことを考えている。
「ああ、この次のチャンスは、一体いつ来るというのだろう?」
 と考えるのだ。
 パチンコには、大当たり確立というものが、表示されている。229分の1とかいうあれである。
 だが、パチンコというのは、
「完全確率性」
 を採用している。
 これは当然のことなのだが、299分の1の確率を普通の確率として考えると、大当たりの次に当たらなければ、298分の1になるかというとそういうことではない。
 なぜなら、この確率であれば、
「299回転させれば、その間に確実に当たる」
 ということになる。
 そういう意味で、パチンコ台には、
「前の大当たりから、今、何回転している」
 という表示があると思っていたが、あれは、ただの目安にしかすぎない。
 つまり、パチンコというのは、当たらなければ、
作品名:時間を食う空間 作家名:森本晃次