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夥しい数のコウモリ

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 社会の事情を分かっていないと、納得してみることができない。そんな番組だったのだろう。

                 大野長治

 このあたりは、別荘地として有名になったのは、今から40年くらい前だっただろうか? 信州から少し入ったところ、もう少しいくと、越後のあたりで、冬ともなると、雪がかなりつもり、少しいくと、スキーができる感情で、スキー場のかなり建設されたところだった。
 あまりたくさんのスキー場が密集したために、いくつかは、共倒れのような結果になり、数年で、今くらいの数に落ち着いたが、最初から、ある程度設けたところで、うまい具合に見切りをつけ、撤退していったところもあった。
 レジャー総合の会社などは、両極端で、引き際がうまかったところもあるが、下手に客が多かったので、二匹目のどじょうを狙ってしまい、引くに引けなくなったことで、破産医追い込まれたところもあった。
 こういう事業は戦争と同じで、
「始める時はそうでもないが、問題は終わらせ方である」
 つまりは、完膚なきまでにやっつけてしまうと、その後の統治の問題にかかわってくることもあり、いかにうまく引くかということが問題になるのだ。
 そういう意味では、第二次大戦の連合国は、勝利したあとの仕置きのことまで、終戦前から話し合っていたのは、さすがであった。
 もっとも、ベルサイユ条約の失敗から学んだことだったのだろう、第二次大戦の原因は、一次大戦の後始末に失敗したからだと言えるからである。
 終わらせ方を誤ると、
「辞めても地獄、進んでも地獄」
 ということになる。
 そこは判断になるのだろうが、ほとんどのところは、そのまま突き進んで、結果、破産の道を歩むことになるのだ。
 考えることとして、
「このまま辞めると、結局何も残田ないが、先に進んでみると、ひょっとすると、起死回生もあり得るかもしれない」
 と思うことだろう。
 ただ、それは、商売人であったり、実業家としての考えに立つから思うことであって、普通なら、少しでも危険があるなら、進まないだろう。
 たとえば、観光地などで、吊り橋があったとしよう、気のつり橋で、風が吹けば危ない吊り橋だったとして、最初は危険はなかったが、途中くらいまでいくと、急に危なくない、場所を見ると、ちょうど中間くらい。
「どっちに行こうと考えるか?」
 ということである。
「せっかくここまで来たんだから、この先に目的の場所があるのだから、ここまで来て諦めるのは嫌だ」
 と思う人もいるだろう。
 しかし、ほとんどの人は来た道を戻るのではないかと思う。
 確かに、
「ここまでくれば」
 という気持ちもある。
 しかし、実際には、先に進むと、どうなるか?
 ということである。
 要するに、向こうまで行ってしまって、それで終わりだと言えるのだろうか?
 つまり、
「帰り道のことを一切考えていない」
 ということである。
 ちょうど、半分まで来ているのであれば、向こうまでは、同じなのだろう。しかし、実際に帰るには、もう一度同じ道を通らなければいけないということで、それを、橋の途中の恐怖の中で、そこまで感じるだろうか?
 逆に、
「恐怖の中の方が、そこまで考えるのかも知れない」
 と思った。
 それだけ、普段から冷静に感じるということを、
「自分の中で習慣づけるようにしているのかも知れない」
 と思う。
 それを、ルーティンと言ったり、習性のようなものであったりすると考えると、このお話の最初の部分に戻ってくることのなるのだろう。
 その間に、
「意識と無意識の狭間」
 があるのだとすれば、もし、戻ろうとする思いを抱くのであれば、それは無意識に感じることができるもので、ある意味、本能に近いものなのかも知れない。
 逆に、意識するのであれば、本能を感じる前に、意識が先に来ることで、
「楽しみを棒に振っていいのか?」
 という恐怖を通り越す気持ちになるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「スキー場を畳まずに、営業に踏み切るのは、本能よりも前に、自分の考えが優先する人たちが、玉砕した結果なのかも知れないな」
 と感じるのだった。
 確かにスキー場などの経営は、土地や整備の問題などで、莫大な費用が掛かる、人件費もバカにならないので、個人でできるものではない。
 つまり、企業というものをバックに、自分が代表者になるという、恐ろしくプレッシャーがかかるもので、一歩間違えると、最期には、
「責任を取って、辞めるか、あるいは解雇されるかのどちらかかもしれない」
 ということを、覚悟しなければいけないことになるだろう。
 大企業における、レジャー関係の会社は、それだけ大いなるプレッシャーを持っているのだろう。
 自分の判断一つで、かなりの数の従業員が路頭に迷い、自分の家族も含めて、皆を道連れにしてしまうかも知れないという重圧に、果たして皆耐えられるのだろうか?
 完全に、感覚がマヒしていて、余計なことを考えてしまう人には、絶対に不可能なことではないだろうか。
 それを思うと、
「まるで、軍人が人を殺すことに感覚がマヒしてくるのと同じなのではないか?」
 という、少しトンチンカンな発想になりそうに思えてきたのだ。
 大げさであるが、話のたとえとしては、分かりやすいのではないだろうか?
 そんなことを思っている自分の発想がずれていることに、簡単には気づかないものであった。
 そんなスキー場も、最初の頃はうまく経営できている会社もあった。
「完全に、勝ち組と負け組に分かれてしまったな」
 と、一人勝ち状態の会社に、一時期は、まるで時代の寵児でもあるかのように、もてはやされた時期もあった。
 それは、バブルの時期に、たくさんの会社が列挙してスキー場の建設に走ったが、うまく最初で引き下がった会社もあれば、一定の利益を得たところで、撤退した会社もあった。しかし、そのうちにバブルが弾けて、完全に土地が焦げ付いてしまったことで、持っているだけで、金がかかるのに、今度は売ろうとしても、売れるものでもない。
 何しろ、スキーシーズンしか活用できないようにしか考えていなかったのだから、それも当然だろう。
 しかし、それ以外の会社で、
「夏の時期には、避暑地として、バンガローや別荘に使えるようにしてあった会社」
 もあり、その会社が、いわゆる、
「勝ち組」
 と言われたが、
 そのうちに、その勝ち組神話が、崩れてしまう事態に陥ったのだ。
 それが、異常気象だった。
 冬のスキーシーズンには、雪がまったく降らない。しかし、シーズン終盤になると、それまで待っていたかのように、豪雪となり、大雪が何日も続き、しかも、それが吹雪となると、スキー客どころの話ではなく、施設の保全すら危ないくらいになっていたのだ。
 そんな状態で、客はまったく来ることもなく、夏の別荘の貸し出し代金だけでは、とてもやっていけるものではない。
 ここまでくると、スキー場は廃止し、別荘地隊は、地元不動産会社に売却することで、何とか負債を減らすしかないという、散々な結果だった。
 これが、ちょっと前まで、
「勝ち組」
 といって、もてはやされていた会社なのだろうか?
作品名:夥しい数のコウモリ 作家名:森本晃次