夥しい数のコウモリ
その情報を手に入れた教祖を中心とした首脳陣が危機感を感じ、
「何とかしないといけない」
ということで、立ち入り捜査を少しでも、遅くするためと、警察内部を混乱させるという目的のために、
「交通公共機関で、毒ガスをバラまく」
という非常手段に訴えたのだ。
実は、彼らには、
「毒ガスを撒く」
という意味での前科があったのだ。
毒ガスを撒くことで、少しは時間稼ぎができるだろうが、捜査を受けるのは時間の問題だったはず、それでも、強行したというのもおかしな気がするが、彼らなりに計画があったのだろう。
前科の方も、自分たちに別件で捜査が及びそうだったということで、毒ガスをバラまいたのだったが、そのせいで、警察が交通機関で毒ガスばら撒き事件の犯人が、その宗教団体だと思うに至るのは一瞬だったことだろう。
結局前科の方の犯罪があったから、疑われることに繋がったわけで、前科自体も、どこまでは本気だったのかということが分からないだろう。
そんな宗教団体は、結局、ごまかしていたが、逮捕されてしまい、数年前に、教祖を始めとした、首脳陣のほとんどは、死刑になったのだった。
そんな事件があったことで、やっと我が国でも、テロ集団に関しての法律もできて、今では、もう少し捜査権限は強くなっているだろう、
しかし、今回の話は、
「不治の病を治療する」
という意味なので、別に悪いことではなく、むしろ、医学の発達という意味で、いいことに分類されるべきことではないのだろうか?
ただ、変なウワサがどこから流れたのかというと、その理由が分からないだけに怖いものがある。
「長治自体が流したのではないか?」
という話もあったが、あくまでも可能性という話で、理由に結びつけるには、無理があるのではないだろうか?
「俺にとって、何のメリットもないことだ」
ということになるだろうが、
「それを何とか理由付けて、犯罪に結び付けよう」
と考える人がいるに違いない。
放射冷却
実は、この冷凍保存の方法に、放射冷却の原理が使われているというのも聞こえてきた。
そもそも放射冷却というのはどういうことなのかというと、
「物体は絶対零度の者ではない限り、電磁波を発するという、そして、電磁波によって放射されたものは温度が下がるという習性があるそうなのだが、だから、冬の間などに、地面が、冷え切ってしまって温度が下がっていると、電磁波によって、そのエネルギーは、宇宙空間に逃げようとしているという。
その時に、曇っていて雲があったり、雨が降っていて、湿気があったりすると、宇宙空間まで逃げていかず、地表の温度がそこまで下がることはない。
だから、冬の朝など、雲ひとつない、晴れた日には、宇宙空間に逃げようとする電磁波を遮るものがないので、どんどん、気温が下がってくるので、晴れた湿気のない日の朝は、急に冷え込むのだという。
しかし、そもそも、直射日光を浴びているわけなので、次第に気温が上がり始めて、放射冷却というのは、朝晩と昼間との間で気温差が激しいのだという。
放射冷却というのは、何も、冬の時期だけに起こるものではない。他の時期にも起こっていることであるが、夏などは、涼しい方がいいので、放射冷却はむしろありがたい。
しかも、普段と温度差を感じるという感覚がないので、意識しないというだけのことなのだった。
冬になると、放射冷却が顕著になって、寒さから、霜が降りたりするのを感じ、さらに息の白さからも、冷たさが、感じられる。
それを感じさせるものが、長治の住まいの近くにあるではないか。
そう、樹海の奥の屋敷の先にある、コウモリが住んでいる洞窟である。
その洞窟に入っていると、コウモリは、自分で電磁波を出して、障害物をよけるようにして、目の見えないという自分の欠点を補っているのであった。
そんなコウモリだったが、電磁波を出すことで、自分の身体に跳ね返ってきた時、温度が低下することを分かっていたのだろうか?
どうやら、その時に、超音波と一緒に、温度が下がらない工夫をするための、能力が備わっているようだ。
4 その状態が、
「冷凍保存における、身体が凍り付いても、意識が死んでしまうことなく、キチンと凍り付いた正体で、意識だけが遠のいている。あるいは、意識が戻った時に、凍り付いてしまったその瞬間の記憶を、まるで時間が経っていないかのように思い出せる能力に結びついていく」
ということになると気が付いたのだ。
ただ、その超音波をいかに手に入れればいいのかということに、なかなか気づかないでいた。
それが、
「放射冷却のなせる業だ」
ということに気づいたのは、少し経ってからのことだった。
しかし、本当は気づいていたのかも知れない。
それを認めることで、自分の意識が間違った方向に行ってしまうというような発想に至るのではないかと考えたからであって、
「コウモリのような気持ち悪い動物を、どうして俺は研究していたんだろう?」
と考えていたが、その理由が、子供の頃に読んだマンガが原因だったような気がする。
それは、SFマンガであり、ロボットを題材にしたマンガだった。
テーマとしては、
「ロボット工学三原則」
というものの、
「優先順位に対しての矛盾」
に対しての話であった。
「人を傷つけてはいけない」
もう一つに、
「自分の見は自分で守らなければならない」
というのがあるが、それは、高価な金で作ったロボットが、いくら他人の命令だからといって、
「自殺をするような場合には、この条項が有効になる」
というものであった。
高い金を使って作ったロボットに、簡単に壊れられては困るというものである。
そのマンガにおいて、元々の大きなテーマが、ロボット工学三原則の矛盾への挑戦だった。
元々、ロボット工学三原則という発想は、別に、物理学者などの科学者が考えた発想でも、人間の考え方の元になる心理学の先生の発想でもなかった。
あの考え方を提唱したのは、SF小説作家だったのだ。
自分のSF小説を書いていく中で、出てくるロボットに対して起こりえる、いろいろな問題を、近未来の話として、舞台が宇宙に及んだりして、ロボットと人間の葛藤が描かれていた。
これが書かれたのは、戦後数年後であった。だから、今から70年くらい前だといっていいのではないだろうか?
その頃には、ロボットはもちろん、まだコンピュータというものも、ハッキリとした形であったわけでない。ロボットという発想や、近未来にどうなっているかなどというものを、文章化しているのは、すごいと思われた。
時代的には、朝鮮戦争が始まった頃で、日本は、まだまだ占領時代だったというアメリカでのことである。
著者の名前は、
「アイザック・アシモフ」
という。
その作品は、SF短編集となっていて、その中で、彼は、
「ロボット工学三原則」
というものを提言し、ロボット開発の上で、必要な機能だということで、実用化されたロボットが、さまざまな場面にて、この三原則の中での優先順位の矛盾について、前述のような内容を小説の中で提唱しているのである。