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夥しい数のコウモリ

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 という話すら知らなかったのだ。
 その話を小学5年制くらいの時に聞いて、まるで、目からうろこが落ちたような感覚となり、
「いずれは、コウモリを中心として、生物研究の道に進みたい」
 と思うようになっていた。
 小学生の理科の授業でも、生物的なものにいつも興味を持っていて、中学に入ると、生物の授業が結構楽しかった。
 生物個別の話というよりも、遺伝子だったり、生理学的なものであったり、それまで知らなかったり、興味のなかったことにも、それぞれ興味を持つようになってきた。
 そして、生物学の観点から、大いなる発明ができるようになれば嬉しいよな・
 と感じていた。
 長治は、中学、高校と結構勉強し、K大学の理学部で生物学の研究をするようになったのだ。
 一年生の時から、研究熱心で、成績もよかったので、四年生になる頃の就活の時期に、ゼミの先生から、
「大野君の研究熱心さには、一目置いているのだが、どうだろう? この研究室に残ってはくれまいか?」
 と言われたので、
「それは、光栄なことです。お世話になります」
 と、望んでいた通り、大学院に進み、そのままこの研究室で研究ができる環境を手に入れたのだった。
 ここでは、生物の生態や習性、それだけにとどまらず、工学部、それも、ロボット工学に精通している人がいて、彼らとコラボのような形で、お互いに情報共有を行う形で、研究を進めてきた。
 おかげで、長治も、ロボット工学について、いろいろ勉強できているので、ありがたいことでもあった。
 それが、
「自分の生物学の研究を進めていくうえでの意義」
 というものに結びついてくるということを考えると、自分の研究がいかに役立っているかということを考えるようになっているのだった。
 長治は、コウモリの研究が中心であったが、それ以外の動物の研究もしていると、工学部とのコラボの観点から、ロボット工学というものに、興味を持つようになっていた。
 そもそも、ロボット工学というのは、ずっと前から発想はあった。
 実際のロボットのようなものは、日本でも江戸時代から、
「からくり人形:
 という形で存在していて、19世紀の世紀末では、万博などに、ロボットの原型となるようなものを出展までしていたというではないか?
 たら、科学が発展していく中で、
「ロボット工学」
 と、
「タイムマシン:
 というものの開発はなかなかうまく行かないのが現実であった。
 昔は、
「電子計算機」
 と言われたコンピューターというものの発達の激しさから比べれば、前述の二つは、まったく進んでいないといってもいい。
「タイムマシン」
 の場合は、
「タイムパラドックス」
 なるものが目の前に立ち塞がっている。
 タイムパラドックスというのは、
「時間、あるいは、時空の矛盾」
 という言葉で言い表せるのではないだろうか?
 例えば、
「自分が、過去に行って、自分の運命に携わることに関わってしまい、自分の人生を変えてしまったりすると、自分の運命が変わってしまい、タイムマシンを作る自分が存在しないことになる」
 という発想である。
 タイムマシンを作れないのだから、過去に行くことができず、未来を変えることはできない。
 ということになると、運命が分かることはないので、タイムマシンを作って過去にいく運命のままとなる。
 そうすると、運命を変えてしまうことになり……。
 これが矛盾の堂々巡りが繰り返される。
 ただ、それは平面を見ているからで、実際には、高さや深さが存在するものだとすれば、螺旋階段のようになっていて、それが上昇しているのか、下降しているのかによって、同じところをクルクル回っているわけではない。
 一歩間違えれば、
「負のスパイラル」
 なのかも知れないが、逆に、
「上昇気流に乗っている」
 ともいえるのではないだろうか?
 そんなことを思っていると、タイムマシンの開発が結界に阻まれて、先に進まないのも仕方のないことだろう。
 しかし、最近では、そこに、マルチバース理論という、パラレルワールドな考えが生まれてきたのも事実だった。
 パラレルワールド自体は、今に始まった考え方ではない、マルチバース理論は最近言われ出したことだが、これも、パラレルワールドの発想なくして生まれてくるものではなかったであろう。
 つまり、同じ時間の同じ次元に、実は無数に世界が広がっているという考え方である。
 時間というものは、未来が現在になり、そして過去になっていく。現在という時間が一瞬なだけで、
「未来も過去にも、それぞれに無限の世界が広がっていることから、現在だけが、一瞬なのではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 今こうやっている次の瞬間には、何が起こるか分からない。これが一種のパラレルワールドというものだ。
 発想としては、宇宙の広さや質量から考える、理論物理学の発想から始まっているのだが、元々は、パラレルワールドと理論物理学とは別世界の発想で進んできたはずではなかったか。
 それを一緒に結びつけることで違う見え方が出てきたことで、生まれてきた世界。それが、
「無限に広がるパラレルワールドだ」
 といっていいのではないだろうか?
 マルチバース理論は、パラレルワールドを理論物理学の世界から、考えた新たな世界ではないかと思えるのだが、どうなのだろう?
 とにかく、いくつもある学問を、その学問の中だけで考えるのではなく、連携させることで見えてくるものもあるに違いない。
 生物学と、物理学であったり、心理学を応用することで、ロボット開発などに役立てることができないかということも考えられているのだった。
 タイムマシンと理論物理学、特に、
「アインシュタインの、相対性理論」
 などは、理論物理学の要素をしっかり含んでいて、
「理論を解決し、証明できるものは、理論物理学に相違ない」
 と考えていた。
 ただ、アインシュタインの発想が、彼の存命中に解決できなかったのかと考えると、彼には一つ、今考えられていることと少し違った考えがあった。
 それは、宇宙の存在についてであるが、
「宇宙というものは、拡大し続けている」
 というのが、今の一般的な通説であるが、アインシュタインはどうやら、
「宇宙は決して変わるものではなく、不変のものである」
 と思っていたようだ。
 柔軟な考えで、
「宇宙は絶えず同じ大きさだ」
 という考えが、ひょっとすると、目の前にある結界を解き明かすことができなかったのかも知れない。
 それだけ自分の発想に自信を持っていたということなのかも知れないが、それだけ、宇宙というもの、そして理論物理学の限界を自らで設けているように思えて仕方がないのだろう。
 長治の場合は、自分の中の生物学は、アインシュタインの考えとは違い、絶えず膨張している宇宙という発想と同じで、ある意味、限界を感じないようになっていた。
 しかも、アインシュタインがいくら天才であり、頭の構造が皆と違っているのではないかと思っていたとしても、自ら限界を作ってしまったことで、それ以上にはなれなかったのではないかと考えたのだ。
 だから、長治の考え方の中で大きなものは、
作品名:夥しい数のコウモリ 作家名:森本晃次