夥しい数のコウモリ
「人に迷惑をかけなければいい」
と思うようになると、気楽に研究できるようになった。
しかし、そのうちに、親が、
「お前、宗教なんかに凝ってるのか?」
といってくるようになった。
父親は、昔気質の昭和のようなところがあり、
「自分が信じないものは、まわりも信じてはいけない」
という、高圧的な発想の持ち主だったのだ。
「いや、別に宗教に嵌っているわけじゃなくて、純粋に勉強しているだけだよ。歴史の勉強と同じだと思えばいいんだよ」
と言ったが、通用するわけもなかった。
「そんなことを言っていると、そのうちにm宗教にかぶれてきて、あの連中に金をむしり取られることになるんだ。そんなことも分からないのか?」
と、完全に頭ごなしで、話も聞いてくれない。
ただ、自分が逆の立場であれば、ここまで言い方がひどくないにしろ、少なくとも、反対はしたはずだ。しかし、言い方がカチンときてしまうと、どうすることもできない。
「売り言葉に買い言葉」
とはよく言ったもので、相手の態度が、
「露骨にこちらを毛嫌いしている」
あるいは、
「汚いものでも見ているような言い方だ」
と感じると、こっちも、いつまでも下手に出る気もない。
「宗教を信じて何が悪い」
とばかりに、本心でもないことをいい、
「こんな家、誰が帰るか」
といって、飛び出してしまった。
数週間ほど、友達の家を彷徨っていたが、さすがに疲れてきて、頭を下げる覚悟で帰ってみると、親はキョトンとしていた。
「わざとかな?」
と思ったが、実際に、怒りはないようだ。
最初は怒りが強く、心配よりもそちらが大きかったようだ。しかし、怒りが収まってくると、心配もしなくなり、
「そのうちに、帰ってくるだろう。心配ない」
とばかりに、タカをくくっていたという。
こっちは拍子抜けし、
「親なんて、皆こんなものなのか?」
と、感じたほどだったのだ。
たぶん、あの時は、怒りに任せて、自分の理屈を自分で理解もせずに、ただ、胡散臭いというだけで文句を言ってしまったが、時間が経てば次第に、怒りも収まってきて、
「自分が怒りが収まってきているのだから、子供だって、そんなにいつまでも、怒っているわけでもあるまい」
と思っていたに違いない。
父親は、子供のことになると、急に、
「分からず屋」
になってしまうのではないかと思った。
一番の理由とすれば、自分が子供の頃に父親から、言われて腹が立ったことがあったとすれば、自分なら、
「大人になったら、子供には同じ思いをさせたくない」
と思うことだろう。
ただ、それは、あくまでも、
「自分の子供が自分に似ていれば」
の話であり、少しでも違えば、自分の息子と思っている分だけ、余計に、距離を遠く感じてしまう。
子供の頃に感じた思いとは裏腹に、
「自分の息子のくせに、自分に似ていないどことか、さらに逆らってくるなんて、一体どういう了見だ」
ということで、怒りに任せてしまうと、もう、理屈では通用しない世界に入ってしまうのだった。
それを思うと、
「大人になると、自分が理不尽であることに気づかないんだな。大人になんかなりたくないや」
と思ったものだった。
確かみ、長治は、自分が大人になってから、父親のようにはならなかった。
というのは、結婚をしていないからということである。
今まで45年間生きてきたが、好きになった女性がいなかったわけでもない。
普通に思春期もあり、他の生徒と同じように、
「性欲の塊なんじゃないか?」
と思うようなこともあった。
だが、別に性欲を持つことを恥ずかしいとも思わなかった。
「性欲があっての、思春期だ」
と思っていたからだ。
「父親が思春期の頃は、きっと恥ずかしがっていたに違いない」
と思ったのは、自分が大人になって、明らかに父親とは違う大人になったことを自覚したからだ。
長治は、羞恥心がないわけではない。恥ずかしいという気持ちが、なぜかそんなに表に出てこないのだ。
だが、性欲は普通にあるつもりだ。だから、
「他の人が感じる性欲を、俺は感じることができていないのかも知れない」
と思うと、他の人たちと自分との違いが分かった気がした。
それは、
「ずっと同じ人が相手だと、すぐに飽きてしまう」
ということだった。
これが結婚をしたくなかった一番の理由でもあるのだが、
「同じ女と、数回、セックスをすれば、その女に飽きてしまう」
と、セックスに飽きるだけではなく、その女に対しても、興味を失うということを自覚したからだった。
他の人に比べて、惚れっぽいところがあった。
「この女だと思うと、他の女が眼に入らなくなるのだが、手に入れてしまうと、急に冷めた気分になるのが、自覚できる。だから、すぐに飽きてしまうのだろうと思う。こんな俺が、結婚なんかできるはずがない。成田離婚などとはわけが違う」
と感じていた。
結婚しない人が最近増えてきているが、どんな気持ちなのだろうか?
長治と同じような気持ちの人も結構いるような気がするが、そんな人はそれを必死で秘密にして、決して誰にも話そうとはしないだろうと思う。
「俺が変わっているのだろうか?」
と、長治は考えるようになっていた。
子供の頃は、そこまで、
「飽きっぽい」
という意識はなかった。
ただ、一度、毎日同じことをしていて、急に嫌になったことがあった。それが何だったのか、そしてそれがいつだったのかということも、正直ハッキリと覚えているわけでもない。
ただ、間違いないのは、小学生の頃だったことである。なぜなら、その頃くらいから、毎日食べている朝食が、嫌で嫌でたまらなくなったからだ。
毎日のように、判で押したように、ごはんとみそ汁、そして、ちょっとした漬物のようなもの。
何が嫌といって、
「米の飯」
が嫌だったのだ。
朝起きてまだ、目が覚めていないような状態で、ねばねばした飯を食わされるのだから、溜まったものではない。口の中がべたべたしてきて、それでも食べなければいけない苦痛。今から思えば、
「よくあれを10年以上も我慢して食べ続けたものだ」
と思うのだった。
だから、高校生になってからは、朝食を食べなくなった。食べるとすれば、早朝にやっている喫茶店で、モーニングサービスを食べるくらいだった。
トーストに、ベーコンエッグに、サラダ、さらにコーヒーがついている。
「これだよ、これ。探し求めていたものを見つけた気がした」
正直、あの時にこれでもかと言わんばかりに、無理やりにでも食わされた食事がトラウマとなって、それ以降、家で親が作った食事を食べることができなくなった。
同じメニューでも、表や他の家で食べると、
「えっ? こんなにおいしいものなの?」
と、なぜ、こんなに表の食事がおいしいのか、正直わけがわからなかった。
だが、考えてみると、
「そりゃあ、あれだけ嫌というほど毎日食わされたら、溜まったものではない。よく吐き出さずに我慢して食べたものだ」
と思ったほどだ。
親は昔かたぎなので、
「お百姓さんが、汗水流して作ってくれたコメが食べられるだけありがたいと思え」