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生と死の狭間

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 もっといえば、
「人間は、生まれること、つまり、誰から生まれるか? ということを含めて、それを選ぶことはできない。それと同じで、死ぬことも選ぶことはできない。自殺というものも許されないのだ」
 と言えるのではないだろうか?
「宗教的な考え方になるわけだが、ある意味、生まれてくる時というのは、選ぶことができない。ましてや、誰から生まれるかも選ぶことができない」
 というものである。
 しかし、ここで一つ矛盾している言葉として、
「人間は生まれながらにして、平等だ」
 と言われている。
 しかし、いつどこで誰のところに生まれてくるかということが決まっていないわけで、しかも、生まれてくる先の親になる人が、まわりと比べて、どのような立場にいるのか、そして、その人から生まれてきた子供が成長するのに、どれほどの可能性があるかということを考えると、
「決して、平等などではないだろう?」
 ということだ。
 ということになれば、
「人間すべてが平等でなければ、生まれてくる時に平等だなどとはいえないのではないか?」
 と言えるのではないだろうか?
 これは、死を選べないということを含めて考えると、矛盾と不公平が入り混じっていて、この世が極楽や天国だけでなりたっているわけでもない限り、
「生まれながらにして平等だ」
 などと、どうして言えるのだろう。
 ただの、気休めでしかないではないか?
 そんなことを考えていると、自殺をする人のことが頭をよぎるのだ。
「死ぬことも選べない」
 ということであるが、それは、生まれる時と同じで、
「死ぬ時というのも、いつ、どこで、誰によって、どのような方法で死を迎えるかが、分からない」
 ということであろう。
 確かに、いつ、どこで、というのは、まず分からない。寿命というものがあっても、それがいつなのか分からないし、事故や事件に巻き込まれて死んでしまうこともあるのだ。平和な世の中だからこそ、今では寿命というものを意識するのかも知れないが、昔の、少なくとも、80年くらい前までは、
「いつ死んでもおかしくない」
 という時代だった。
「天皇陛下のために、この身を……」
 などという時代が実際にあったではないか。
 さらに、
「虜囚の辱めを受けず」
 からなる、戦争中における、
「戦陣訓」
 というものがあり、本当の意味は違ったということであるが、その意味を過大解釈し、
「捕虜になるという辱めを受けるくらいなら、潔く、その命を断つ」
 ということで、敵兵を巻き沿いにして、自爆をしたり、毒を煽ることも往々にしてあった。
 そもそも、サイパンやフィリピン、さらには沖縄のようなところで起こった、
「玉砕」
 という、言葉を変えれば、
「集団自決」
 が行われたのも事実である。
 そもそも、この戦陣訓を作った人間が、開戦当時の首相なのだから、
「そもそもの意味は違った」
 というのは、少し違う気がする。
 そのために、一般市民には、
「いざという時に使うように」
 ということで、手榴弾や、青酸カリが配られたという話もあるくらいである。
 もっとも、これも、本来の目的通りに、
「緒戦で、戦局を優位に進めて。ちょうどいいところで、講和場や悪に持ち込む」
 ということができていれば、このようなことにはならなかったはずだ。
 しかし、実際に緒戦は、日本軍や日本政府の目論見通りに行っていたはずなのだ。しかし、勝ちすぎたということなのだろうか。国民世論が戦争を辞める風潮に持っていくことを許さない。特に何が悪いといって、当時のマスゴミが世論を煽るから、戦争をやめればくなってしまったのだ。
 突き進むのであれば、その時に、世論の強さ、マスゴミの恐ろしさを政府と軍は恐れたのだろう。
 だからこそ、情報統制を行い、徹底的な世論捜査を行った。大本営や当時の政府が、悪いという言い方をされているが、実際にはそうではない。歴史をきちんと認識していて、そのつもりで勉強していれば、なぜ政府や軍が、あれだけマスゴミや世間を抑え込もうとしたのか。分かるというものだ。
 つまりは、
「戦争を辞める機会がありながら、辞めさせてくれずに、泥沼にはめ込んでしまったのは、政府や軍が悪いわけではない。マスゴミの口車に乗って扇動された世論が、戦争継続しかできないようにしてしまった結果がこれだったのだ」
 と言えるのではないだろうか?
 これは、民主主義として生まれ変わった今でも同じことであり、いや、今度は政治家の私利私欲や保身が中心になっているから、もっとたちが悪い。戦争がないというだけで、今の世の中ほど腐った時代はないのかも知れない。
 それが今でいうところの、
「平和ボケ」
 であり、
「戦争が起これば、中立でなければいけない」
 という国際法を無視したような、経済制裁をする国にまで落ちぶれてしまったのだろう。
 宗教的に、自殺を許さないのがある証拠として、キリスト教の話の中で、
「細川ガラシャ」
 という女性の逸話が残っている。
 戦国時代から、江戸時代にかけての武将で、細川忠興という人物がいた。
 細川家といえば、室町幕府では、管領職を代々受け継いできた名門であり、守護大名から、戦国大名となり、摂津国でその地位を保っていた。
 細川ガラシャというのは、その細川忠興の妻であった。しかし、彼女の悲劇は、織田信長が討たれた時から始まったと言ってもいい。細川ガラシャ、元は、明智たまという女性、つまりは、本能寺の変において、織田信長に謀反を起こした張本人である、明智光秀の娘だったのだ。
 細川氏は、信長を討った明智光秀の側に就くことはしなかった。
 どちらかというと、明智光秀に近いと思われた、摂津や丹波の大名や有力武将である、高山右近や、池田恒興、さらには、中川清秀などの武将が、こぞって、羽柴秀吉軍に就いたことで、山崎の合戦では、完全に人数的にも、勢いも、そのすべてが、秀吉軍に優利だった。
 しかも、
「ここを取れば勝ちだ」
 と言われた、天王山を取ったことが、一番の勝因となり、あっという間に明智軍は破れてしまったのだ。
 戦巧者と言われた明智軍であったが、期待していた武将が全部相手についてしまったのでは、勝ち目があるはずもない。それを思えば、明智軍の敗北は最初から分かっていたと言ってもいい。そのあたりからも、
「本能寺の変の黒幕」
 というものの中に、有力な説として、
「羽柴秀吉黒幕説」
 というのがあるのだ。
 もっとも、ある程度最初から知っていなければできなかったと思われる点がいくつもあるからだ。
 まず、
「毛利に伝令としての使者を、秀吉軍は、そんな偶然に捉えることができたのか?」
 という問題、
「岡山地方から、数日でそんなに簡単に、京都の手前まで戻ってこれるのか? 事前に準備をしていなかれば、できるわけはない」
 という考え方。
 そしてなんといっても、中川清秀や細川忠興、そして、高山右近などに、光秀よりも先に味方につけることができたのも、最初から知っていて、論功行賞などに具体的な話でもなければ、光秀に近い武将を寝返られることなどできないだろう。
作品名:生と死の狭間 作家名:森本晃次