生と死の狭間
毒にしても、ガスにしても、睡眠薬にしても、リストカットにしても、衝動的にはなかなか考えにくい。あるとすれば、手首を切るくらいであろうか?
しかし、これも、常習性がある場合も多く、よく見ると、手首に、
「ためらい傷」
というものが、いくつもついている人も多いという。
その方法も厄介だったりするものもある。手首を切る場合は、洗面所が浴槽に、お湯か水をためておき、切った手首をそこに浸けておくということをするものだと、テレビドラマなどでやっていた。
最初は、
「何でそんなことをするのだろう?」
と思ったが、考えられることとしては、
「血が飛び散って、汚くなるからだ」
としか思えない。
しかし、本当に死のうと思っているほど追い詰められている人が、死んだあとのことまで考える余裕があるというのか? ひょっとすると、助かった場合のことも考えているのかも知れない。
手首を切っての自殺というと、
「リストカット」
という言葉があるが、これは、必ずしも自殺をする場合だけに限られたものではない。
人間には、
「自傷行為」
というものがあるらしい。
自殺にまでは至らないが、自分を傷つける行為であり、虐待のトラウマであったり、心理的虐待及び摂食障害、低い自尊心や完璧主義と正の相関関係があると考えられている。
自傷行為は自殺とは違うものだ。ハッキリとは分からないが、まわりに気づいてもらいたいなどの何かがあるのではないだろうか?
だから、リストカットの場合に手首を水に浸けるという行為は、ある意味、自殺というよりもむしろ、自傷行為の場合が多いかも知れない。
「自傷行為のつもりが、思ったよりも深く抉ってしまって、死に至ってしまった」
つまりは、
「死ぬつもりなどなかった」
と言えるのかも知れない。
自殺をする場合、その動機によって、あらかじめ、自殺のパターンが決まっているかのように思うのは気のせいだろうか? たまたま、動機によって自殺の方法を思いつく場合は同じだったり、心理状態が似通っていることで、手段も同じだったりするのではないだろうか?
例えば、会社が倒産したりして自殺をする人、借金を抱えて首が回らない人など、イメージとして、工場などの梁に紐を括りつけて、首吊りをしているというイメージが強い。
確かに、道具も少なくて済むというのが一番の理由なのかも知れない。死を選ぶ人の心理は正直分からないので、何とも言えないのではあるが。
他にも、飛び降りなどもあるが、首吊りという先入観は、サスペンスドラマなどの影響だろうか? そう思うと、この思い込みは、かなり自分だけが感じる偏見のようなものに思えて仕方がないのだった。
今度は、死に方について考えてみよう。
いろいろな自殺方法があるが、
「自分が死にたいと思ったとすれば、どれを選ぶだろう?」
と考えてしまう。
昔、大東亜戦争で、日本の敗戦が確実になった時、多くの将校や司令官などが自害したものだが、その多くは、服毒だったり、拳銃でこめかみを打ち抜くものが多かったように思う。
どちらも、今ではほぼ手に入らないものだが、戦時中などは、青酸カリなどは、
「生きて虜囚の辱めをうけず」
という、戦陣訓によることから、捕虜になりそうであれば、青酸カリを服毒するということで、配られたりしたようだ。
拳銃に関しては、軍人の必須装備なので、持っていて当然であろう。
戦時中は、自殺をしようと思えばいくらでも、できるだけのものは、持参していたりしたものだったのだろう。
だが、今の時代は、自殺をさせないように、社会全体が考えているので、自殺に繋がりそうなものは、そう簡単に手に入らない。
リストカットするための、刃物であったり、飛び降り、飛び込みなどは、その場所にいけばいいだけなので、そもそも、道具のいらないものだ、
また、自殺の方法として、もう一つ考えられるものとして、
「富士の樹海」
などという、
「入り込んでしまったら、出られない」
という場所で、人知れずに、服毒をするという人もいるだろう、
しかし、この考えはなかなかうまく行かないということも、結構あったりする。というとりも、自殺を考えるうえで、あまり実用性がないからだ。
ただ、
「死にたい」
「永遠に続くであろう苦しみから逃れたい」
という思いで死を考えるという人もいるだろうが、中には、自分が死んだあとのことを考える人もいる。
つまりは、死体が見つからないと、死んだことがハッキリせず、自分の遺産が宙に浮いてしまう人もいるだろう。そういう人には、
「樹海での自殺」
あるいは、
「自殺の名所」
と言われるような、断崖絶壁から飛び降りるという方法。
どちらにしても、死体が見つかる可能性は低いと言ってもいい。
そんな場所で自殺をするという人は、
「自殺をした」
ということよりも、
「自分というものを殺してしまいたかった」
という意味で、むしろ、
「生きているのではないか?」
と思う方が強いのではないだろうか?
それは、ミステリーやサスペンスなどのトリックに使われるものであり、自分を死んだことにして、そこで何かの暗躍を行ったり、借金取りから逃げていたり、ひょっとすると、何かの事件の容疑者で、警察から逃げている場合などが考えられるだろう。
ただ、これも、表面上は、自分はこの世にいない人間なので、どこまで、自分の正体を隠して、密かに生きることができるかという意味で、
「ひょっとすると、死んだ方がマシだったのではないだろうか?」
と後悔することも多いだろう。
ただ、こういう場合は、自分一人の意思でこのような大それたことは考えない。黒幕であったり、フィクサーのような人物がいて、その人に逆らえない立場であれば、自分ではどうすることもできないことに、後悔では済まないものを、永遠に感じ続けなければいけないに違いない。
そうなると、
「生きていても、死んでいるようなものだ」
ということになり、黒幕が何かを企んでいて、自分はその罠に嵌ってしまったのだと思うと、
「ああ、なぜあの時、一思いに死んでしまわなかったのだろう?」
と考えさせられるに違いない。
もっとも、これもサスペンスドラマで時々出てくるシチュエーションなのだが、実際にどれくらい、今でもこのようなことがあるのか分からない。
他にも自殺する場合、
「どれが一番いいか?」
ということを考えるであろう。
まず、考えることは、
「苦しまずに死ぬにはどうすればいいだろう?」
ということが頭をよぎるだろう。
そして、もう一つ考えることとして、
「確実に死ねる方法」
というのも、頭をよぎるに違いない。
この二つは、意外と矛盾している場合が多く、
「苦しまずに死のうと思うと、実は楽に死ねると思っていることが、実は苦しかったりするものだ」
と考えたりするものだが、一般的に、
「楽かな?」
と思うものとしては、まず、
「リストカット」
を思うであろう。
手首を切る瞬間は痛いが、後は、意識がゆっくりと薄れていくものだろうと考えるからだ。