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生と死の狭間

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 さらに、人間よりも、寿命がはるかに短い動物が多い中、死にたいなどと思う動物などいないに違いないと思う。
 ウソか本当か、
「鶴は千年、亀は万年」
 と言われているが、そこまで生きる動物であれば、
「生きることに疲れて、死にたくなる」
 ということもあるかも知れない。
 しかし、これはあくまでも、人間が生きる基準として、
「百年未満がちょうどいい」
 と思っているだけで、セミのように成虫になってから、1カ月くらいで死んでしまう虫であっても、彼らには
「与えられた寿命」
 ということで、決して嫌だとは思っていないに違いない。
 鶴や亀でも同じことだろう。
 ただ、考えてみれば、数千年も生きるのに、何も楽しみがなければ、辛いだけである。他の動物は寿命に合わせた、彼らなりの、
「時計」
 というものを持っているのではないだろうか?
 人間にだって体内時計というものがある、
 そもそも、一日を基準に、一年、百年という単位は、地球の自転を基準に考えられているものである。地球のように24時間くらいの星もあれば、10時間のところもある、数百時間が一日という星だってあるだろう。
 同じ地球であっても、それぞれの動物で感じ方が違っている、
「一日がちょうどいい」
 と思っているのは人間だけなのか、他の動物もそう感じた上で、先が見えない寿命をまっとうしようとして、一生懸命に生きているのかも知れない。
「だから、寿命というものは決まっているのだが、それを誰も知ることができないのかも知れない」
 それは、人間に限ったことではなく、他の動物や昆虫にも言えることだろう。
 ただ、人間であっても、一人一人の時間の感覚は違っている。ただ、一般的に言われていることに変わりなかったりするのは、偶然であろうか?
「年を取るごとに、どんどん、一日一日が短くなっていき、あっという間に一年が過ぎてしまっている」
 と言われるが、これはほとんど皆が感じていることのようだ。
 それだけ信憑性があるのであって、
「寿命が近づいているという意識があるからだろうか?」
 とも、思えるのだ。
 人それぞれの寿命は誰にも分からない。
 寿命ではなく、事故や病気で死んだ人は、寿命をまっとうしたと言えないだろう。
 ただ、その証明はできない。
「その人の寿命はいくつだ?」
 ということが分からないからだ。
 ひょっとすると、事故で死んだ人が、本当は寿命が明日だったのかも知れない。そもそも、寿命というのは、人生をまっとうして初めて寿命と満たした、大往生だというのだろうが、人間はそれぞれに寿命は違うのだ。
 平均すれば、80歳ちょっとくらいなのだろうが、ひょっとすると、150歳まで生きる人もいれば、30歳を超えたあたりで、寿命だったのかも知れない。それは誰も分からないのだから、
「いや、それは間違っている」
 とは言えないのだ。
 人間の寿命が分からないというのも、本当はそれなりに理由があり、人によって、寿命がバラバラだということを表しているのかも知れない。
 逆にいえば、
「病気で死のうが事故で死のうが、その時点がその人の寿命なのだ」
 と言っても、間違いではないだろう。何しろ正解などないのだから……。
 自殺菌というものが、どのようなものなのか、正直分からない。あくまでも、伝説のようなもので、
「それは、菌のようなものではなく、人の判断力を狂わせる毒のようなものかも知れない」
 とも言える。
 ただ、菌というものは、毒にも薬にもなるもので、
「ひょっとすると、元は何かの薬を開発するものだったのではないだろうか?」
 それを考えると、
「毒を以て毒を制す」
 という言葉があるが、それは、片方は、菌なのかも知れない。
 実は同じものからの派生型で、どちらも毒だと思っているが、片方は、中和剤だとすれば、この言葉の意味も分かるというものだ。
 化学薬品というのは面白いもので、元々、爆弾として開発されたものが、薬として使われたりするではないか、
 その一番いい例として、
「ニトログリセリン」
 である。
 ちょっと揺らしただけで爆発してしまうという、超危険物であるニトログリセリンは、今では、
「心臓病の薬」
 として、心臓発作を起こした時、飲ませるという意味で、これも、一種の、
「毒を以て毒を制す」
 という言葉と同じではないだろうか?
 だから、
「菌」
 と呼ばれているものにも、
「病原菌」
 のようなものもあれば、
 健康にいいとされる薬になる菌だってある。
 だから、菌というものを、
「すべて、危険なものだ」
 としてしまうのは、もったいないと言えるのではないだろうか?
 ひょっとすれば、最近が、
「不治の病」
 と言われているものの、特効薬になるかも知れない。
「難病を少しでもなくす」
 という意味で、実際に、細菌研究を行っているグループだってたくさんあることであろう。
 だから、
「自殺菌」
 と呼ばれるものも、本当に菌の一種なのかも知れない。
 しかし、
「なぜ、死にたくなるのか?」
 という根底を考えてみれば、どんな時に、
「自殺菌が、その効果を発揮するというのか?」
 ということを調べていけば、ひょっとすると、自殺菌が効力を発する時は、
「気弱になった人間が、自殺菌を自分から吸い寄せようとしていて、自殺菌がその感情に反応し、人間が一番楽な道を選ぶという効果があるのかも知れない」
 と考えると、
「気弱になっていない人に、特に神経質な人が気楽に、楽天的になれるようにするために、この自殺菌を使えないだろうか?」
 という研究もできるというものだ。
 しかし、一歩間違えると、自殺を誘発してしまうことになるので、臨床実験は、かなり気を付けてする必要があるだろう。
 それを思うと、自殺しようとする人を、いかにいさめるかというものも、逆に自殺菌の改良型で、生きようとする力に変えてくれるかも知れない」
 と真剣に考えている人もいる。
 そもそも、自殺菌なるものが、存在すればの話であるが……。
 では、一体、そんな自殺菌なるものが、いつからあるのだろう? 人間が死にたいと思うのは、基本的には、何かに追い詰められ、もう、どうにもならないと思った時だろう。
 例えば、借金であったり、他人から脅されている場合、あるいは、図らずも、何かの犯罪に手を染めてしまった場合、さらには、失恋した場合などに、よくあることである。
 そして、そんな動機がある中で、自殺をするにも、いろいろな方法がある。
 服毒自殺であったり、手首を切る。首吊りなどもあるだろう。
 あるいは、ガス中毒によるもの、高いところから、または、電車に飛び込むなどの投身自殺。睡眠薬を致死量だけ、服用する。
 などと、さまざまであるが、これは、計画的に自殺をする場合、あるいは、衝動的に行う場合の二種類がある。
 ただ、ほとんどの場合が計画的なものになるだろう。衝動的に死のうと思うのは、飛び降りであったり、飛び込みくらいだろう。なぜなら、それ以外には、道具が必要だからだ。
作品名:生と死の狭間 作家名:森本晃次