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後悔の連鎖

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「男女雇用均等法」
 というものが、影響しているのだろう。
 昔の、男尊女卑という時代から、今の男女平等という時代になるにつれて、昔はひどいものだった。
 これは日本に限ったことではなく、
 昔は、女性に選挙権がなかったりした時代もあったくらいだ。
 これは各国で法律があり、今ではほとんどの国で廃止されたものに、
「姦通罪」
 というものがあった。
 これは、結婚している配偶者のいる人が、姦通、つまり、浮気や不倫をした場合に、刑法で罰せられるというものだった。
 日本では、戦後、つまり、大日本帝国から日本国に生まれ変わり、民主主義憲法である、日本国憲法ができたからだった。
 というのも、日本における姦通罪というのは、他の国と比べてまったく違っていたのだ。
 というのは、日本における姦通罪というのは、
「姦通をしたのが、女性であり、男性が訴える場合にのみ、許される法律だった」
 ということである。
 つまり、男性が、不倫をしても、姦通罪にはならないということだったのだ。
 こんな法律は確かに日本だけだったが、新刑法が作られる時、この姦通罪の項目は、日本国憲法における、
「法の下の平等」
 というものに抵触するので、違憲であるという考えからであった。
 日本も日本国に生まれ変わってから、女性にも選挙権、いわゆる参政権が認められることになったくらいなので、女性差別はひどいものだったようだ。
 ただ、法の下の平等と言っても、女性の社会への参加はなかなか実現することもなく、なかなか社会が許さない状況が続いてきた。
 それでも、やっと21世紀に入ってから、男女雇用機会均等法ができ、社会に参画が、堂々と認められるようになった。
 しかし、若干、
「やりすぎ」
 という感じも否めない。
 特に、昔から呼ばれてきた名称の変更を余儀なくされたのは、何の必要があるのかと思っている人も少なくないだろう。
 スチュワーデスを、キャビンアテンダントと呼んでみたり、看護婦を看護師にしてみたりと、それに関しては反対意見が多いのも否めない気がする。
 そのうちに、男女差別だけではなく、上下関係であったり、社会で働く上での問題点を重要視するようになってきたのだ。

                 街の対策

 特に、上司の命令には絶対服従という風潮だったこともあり、例えば、
「上司が会議をしていれば、部下は先に帰ってはいけない」
 などというおかしな規則めいた暗黙の了解もあった。
 ただ、それは、バブルが弾けて、
「残業はしてはいけない」
 ということになってから、減ってはきたが、もっと言えば。上司が誘う飲み会なども、絶対参加などという時代もあったのだ。
 今では、そんなことをすると、
「パワハラだ」
 と言われる。
 さらに、女性に対しての扱いもデリケートになってきた。昔であれば、
「まだ結婚しないのかい? 売れ残っちゃうよ」
 などというのは、上司の部下に対してのジョークであり、コミュニケーションの一つだと言われてきたが。今では、そんなことはない。
 そんなことを言えば、今では、
「セクハラに当たる」
 と言われるのだ。
 これは男女平等に絡んでくることだが、プライバシーの問題にもかかわってくる。
 まずは、なぜ結婚しないのかというのは、いろいろな理由がある。
 結婚はしたいけど、相手がいないということであれば、これを話題にするのは、相手が気にしている容姿や体形を攻撃しているのと同じではないだろうか。また、今の時代は、結婚せずに男と同じように仕事に人生を燃やす女性もいる。
 それこそ、女性差別というものではないか?
 さらに、男性が女性を結婚するのが女性の幸せだという、
「上から目線」
 というのも、腹が立つことになるのだろう。
 ただ、一つの問題としては、それらの意見は、あくまでも、
「そう考える女性もいる」
 ということであり、大多数はそうでもないかも知れない。
 そういう意味で、あまり必要以上に、セクハラを煽るということは、余計なトラブルを産まないとも限らない。
 少なくとも、中年以上の男性社員は、
「何か世間話をしようと、女性社員に話しかけると、それがすべて、セクハラだって言われてしまって。何も言えなくなる」
 というのは、問題だった。
 仕事もスムーズに進まず、頼み事は男性社員にしかできない上司が出てくると、今度は、
「上司が仕事をくれない」
 などという意見が出てきたりもするのだろう。
 そんなことを考えていると、どうすればいいのか、
「これは、中年以上の男性社員の、共通の問題だ」
 と言ってもいいだろう。
 それが、どんどん深くなっていって、ちょっと顔を合わせただけで、
「私をいやらしい目で見た」
 という女性も出てくる。
 こうなってくると、女性側にも大きな問題があるのではないだろうか?
 自意識過剰な女性が、男性に見られたというだけで大騒ぎするというようなことは、ちょっと考えれば、
「自意識過剰なんだ」
 ということが分かりそうなものである。
 前述の姦通罪でもそうだが、確かに、日本人の男女の感覚というのは、少し歪なものがあるかも知れない。それは否めないが、ただ、世界にはもっとひどいところもあるわけで、すべてを、
「民族性」
 として解決させようとするのは、あまりにも乱暴だと言えるのではないだろうか。
 しかし、今の世の中、ちょっとしたことで、
「セクハラだ」
 と言われるようになると、おちおち会話もできたものではない。
 特に怖いのは、電車の中での痴漢事件の問題だ、
「この人に触られた」
 と言って、騒いでしまえば、まずその時点で、その人の人生は終わりになるのではないだろうか>
 実際には、ちょっと触れただけなのかも知れないが、相手が悪くて、自意識の塊のような女だったら、たまったものではない。
 完全な冤罪なのに、今の世の中では、誰も助けてはくれない。
 もし、助けようものなら、
「何、あの人、痴漢の味方なの? あんな人が次に何かの犯罪を犯すのよ」
 というレッテルを貼られてしまう。
 これはまるで、
「苛めを見ていて止められない」
 という状況にも似ているのかも知れない。
 苛められている子がいて、何とかしてあげたいけど、
「もし、苛めっ子に逆らえば、今度は苛めっ子のターゲットが自分に向くかも知れない」
 と感じることだろう。
 苛めも、そのうち同じ子ばかりを苛めているとそのうち飽きてくるもので、新たなターゲットが見つかれば、
「これで当分は飽きることはないよな」
 と、自分が今度は苛められることになるのは必至だろう。
 それが分かっていて、助けに入る人はいない。
 確かに、苛めが行われている場面にて、
「傍観している連中も、苛めている連中と同罪だ」
 と言われるのだろうが、その場にいたら、とてもそんなことは言っていられない。
「どうせ、そう思っているのは、いじめられっ子だけで、そんな言葉を真に受けて、助けたりなんかすれば、損をするのは自分なんだ」
 と思うと、とてもではないが、助ける勇気などないというものだ。
 だが、そんな連中こそが、痴漢の現場に居合わせれば、女の子や、第一発見者が、
作品名:後悔の連鎖 作家名:森本晃次