後悔の連鎖
義母が何ゆえに筆おろしをさせてくれたのか分からなかったが、そのおかげで、女というものを知ることができ、女の身体の神秘を感じることで、しばらく、情緒不安定になっていた。
その頃に、良治は、まだ5歳の頃だった。
正直、物心もついていないその時に、長男は、自分の情緒不安定な状態を、良治にぶつけた。
「義母はどうして、僕に筆おろしをさせたのだろう? そうしておいて、それからは、二度と自分に触れさせようとはしない。あの時が気の迷いだったのか、それとも、一度キリと覚悟を決めてのことだったのか、そこはハッキリとしないが、やはり、筆おろしは儀式でしかないのだろう」
そう思うと、情緒不安定はさらにひどくなり、弟を苛めのターゲットにしてしまったのだ。
弟からすれば、こんな理不尽なことはない。しかし、兄に逆らうこともできない。父は、昔気質の人で、長男が一番、後は長男を支えていくものだということを、最優先に考えていたのだった。
理不尽さは、兄が思春期だったこと、そして弟が、最初の成長期であるということを考えると、時期的には、タイミングはいいが、それ以上にお互いのバイオリズムはピッタリ合っていたような気がして、それこそ、大きな、
「負の連鎖」
と言えるのではないだろうか?
歴史が好きな長男は、昔だったら、確かに5歳くらいは若いだろうから、これくらいのことはあってもいいような気がした。まるで殿様にでもなった気分にもなっていたのだ。
良治の方は、今のところ、誰かに筆おろしをされたわけではなかった。
父親としては、考えていないわけではなかったのだが、どうしても、兄の方を中心に考えるので、昔から次男の良治に対しては、冷たいところがあった。
お金があるから、お金で与えられるものは与えてきたので、それでいいだろうと思っていたが、良治は、そういうことに結構考えが甘かった。
お金で与えられるものに対しては、感情がマヒしていて、お金で与えられないもので、いわゆるタブーと言われるものに、深い感情を抱くようになってきたのだった。
それが、
「異性に対しての感情」
だったのだ。
中学時代までは、そんなに異性の女の子に対しての感情はなかった。
「いろいろなものを、金の力で手に入れられる立場にあるから、感覚がマヒしてきて、いまさら皆があからさまに欲しがっているようなものに興味がないのだろう」
と思っていたのだ。
しかし、実際にはそうではなかった、
「手に入る、入らない」
というのは関係がなかった。
どちらかというと、異性への感覚は、
「恥じらい」
というものにあり、女の子が恥じらうことで、自分がいかに興奮できるのかということを知らなかったのだ。
むしろ、女の子による
「恥じらい」
というものを知らなかったというよりも、自分の中の、
「興奮」
というものを感じたことがなかったからだ。
興奮という言葉は知っていたが、
「汚らわしいものであり、自分のような選ばれた人間に備わっているはずのものではないのだ」
と思っていた。
だから、自分のことを好きだと思ってくれる女の子がいれば、普通なら嬉しくて、ドキドキするのだろうが、
「好きになってくれたとして、それが何なのだ?」
と思うことで、興奮というものをまったく知らない状態になるのではないかと感じていたのだ。
興奮することで。身体が反応するということも知らなかった。
ただ、身体が反応するのは、
「恥ずかしいことだ」
ということで、その証拠に、一度、自分の身の回りの世話をする、二十歳前後のメイド服を着ている女の子に聞くと、顔を赤らめ、
「そんなことおっしゃらないで」
と言って、困ったような態度だった。
「僕は、ただ、どうしてなのかということを知りたかっただけなんだけど?」
というと、
「お坊ちゃまは、そんなことを知らなくてもよろしいんです」
と、矛盾したことをいう。
「僕が僕の身体のことをしるのが、いけないことなのかい?」
と聞くと、
「私を困らせないでください」
としか言わない。
とにかく、何かをここでいうことが、彼女にとって、困ることであり、それが彼女の立場を危うくするものだとすれば、必要以上には聞いてはいけないのだろう。
しかし、その裏で、
「彼女を困らせてやろう」
といういじわるな気持ちになったのも、事実だった。
だが、彼女をあまり苛めて、まわりから白い目で見られるのも嫌だった。
特に父親に告げ口されて、せっかくの今の立場を失ってしまうのは、実に困ることだったのだ。
そんな思いを感じていると、
「俺は、このまま、大人になれないのではないか?」
と思ったのだ。
大人になるということは、今まで知らなかったこと、そして、大人から、
「これは大人になったら分かることだから」
と言われてきたことが分かるようになることだと思っていたのだ。
それが、どんなことだったのか、いちいち覚えているわけではないが、確かにその言われていたことは、少なからずあったのだ。
その中に、
「恥じらい」
であったり、
「興奮」
のようなこともあっただろう。
メイドの女の子が、
「お坊ちゃま、おやめください」
と言っていたのを思い出し、その言葉の裏に、
「苛めないでください」
と言われているようで、何かしらの恥じらいが感じられ、それが興奮に繋がってくるのだということが分かってくるようになるのが、高校に入ってから、まわりにいうと、
「お前は本当に晩生だな」
と言われたものだ、
良治は、中学高校と、お坊ちゃま学校に通っていた。まわりは皆社長の息子であったりと、英才教育をそれなりに受けてきた連中だった。だから、
「下々の連中とは違う」
という意識が強く、その分、帝王学には皆長けていた。
「俺たちは選ばれた人間なんだ」
ということであり、もっと言えば、
「生まれながらの帝王」
だと言えるだろう、
しかし、歴史を知っていると、2代目というのは、結構辛い立場になっていたり、比較的目立たなかったりする。ただ、歴史上の2代目は、
「生まれながらの帝王」
ではない場合が多い。
初代が帝王として君臨するまでに、子供はまだまだ成長過程だったりするので、
「帝王ではない父親」
も知っている。
そういう意味では、生まれながらにして帝王だというのは、先代にはない、最初からのプレッシャーがのしかかってきているのだった。
知らない人が見れば、
「最初から帝王であり、ほしいものが何でも手に入るのだから、これほど楽なものはない」
と思われるに違いない。
しかし、それはプレッシャーを知らないから言えるのだ。当の本人でさえ、そのことに気づくのは、自分が思春期になるのと同じ頃だった。
そこの一致するキーワードとして、
「感受性」
というものがあるのではないだろうか?
帝王学は得てして、感じることをマヒさせて、理屈をいかに遂行するかということだけを目指すこともある。
特に子供の間は、無理に考えさせないということで、プレッシャーを与えないようにしているのかも知れない。
それを思うと、
「感受性」