後悔の連鎖
「聖徳太子じゃあるまいし、同時に数人の話を聞くことと同じではないか。そんなことができるわけはない」
と考えると、
「同時に」
と考えたことが、あまりにもバカバカしいことであるかということに気づいたのだった。
では、
「彼女を簡単に諦められなかったというのは、それだけ彼女に惚れていたということだろうか?」
と考えたが、そうではない。
そして、
「年齢を重ねないと分からないことなのかも知れない」
と感じ、30歳を過ぎて、少ししてから分かった気がした。
それは、
「後悔をしたくない」
という思いからであった。
一度は好きになった相手である。一時の感情から、嫌いになってしまうなど、実に滑稽なことではないだろうか?
つまりは、
「人間というのは、年齢を重ねるにしたがって、どんどん後悔をしていく動物らしい」
ということだ。
人間の命には、いや、どの生き物にでもであるが、寿命というものがある。それがいつ尽きるのかということは、誰にも分からないが、ハッキリしていることは、
「日一日と、死に近づいている」
ということである。
しかし、若いうちはその意識はない。
「まだまだこれから成長していくんだ」
という思いがあるから、成長することが楽しみで、
「死に近づいているなんて、何とも縁起でもない」
と言われるに違いない。
ということは、若い人には、先はまったく見えていないということだ。
そのために、不安になることもたくさんあるが、楽しみなことも多いに違いない。
だが、何が楽しみなのかというと、
「人が自分のことを嫌いになると、不安が大きくなり、逆に好きになってくれると、これ以上の愉しみはない」
ということである、
両極端になるのは、女性の本能なのかも知れない、身体的にも不安定で、男性とは明らかに身体の構造も違うからだ、
ただ、これは女性が男性に感じていることも同じであり、
「男の人はいいよね。毎月、生理で悩まされることもないし、子供を産むという生みの苦しみも味わうこともない。だから、性欲のままに生きる動物なんじゃないかって思うくらいだわ」
と、彼女が言っていたことがあった。
ちょうど、精神的に不安定になりかかっている頃であり、
「私は、あなたとは違うの」
ということを、頻繁にいうようになったのも、その頃だっただろう。
その時に、ちょっとは、
「おかしい」
と感じたのだが、それ以上深くは感じなかった。
それだけ、まだ好きだという気持ちがあったからであろう。
男は、女性に対して、
「何かあっても、楽しかったことを思い出して、すぐに正気になってくれる」
という思いを抱くものだと感じている。
しかし、女性は違うものらしい。
というのは、女性が感じることとして、
「好きになると確かに猪突猛進になるけど、次第にちょっとしたことで、不安に感じることができると、その思いは躊躇なく深まってくるものだ」
と感じているようである。
しかも、女性は精神的にも忍耐するもののようで、自分が苦しんでいることを、
「決して相手の男性に知られないようにしなければいけない」
と感じるようだ。
つまり、嫌いになる前から、相手に悟られないように、態度を変えないようにしようとする。それはプライドなのか、それとも、忍耐なのか分からない。
だが、男の方が、
「ちょっとまずいんじゃないか?」
と気づき始めた時には、女性からすれば、
「時すでに遅し」
なのである。
男が何を言っても、もう振り向くことはない。完全に覚悟は決まっているのだ。
だから、よく言われることとして、
「女性が態度に出し始めると、その時はすでに覚悟は決まっているから、男の方とすれば、どうすることもできない」
ということである。
「そんなに嫌なら、早いうちに言ってくれれば、こっちも直したのに」
と男性は楽天的にいうが、もう女性の中で、大きなヤマ場は通り過ぎているのだ。
だから、その時点では、
「結界の向こうにいる相手を追いかけている」
ということになり、追いかけている相手が見えているとすれば、
「それは、幻でしかない」
ということである。
幻というのは、蜃気楼とは違うものなのだろうか?
蜃気楼というものは、実在するものであって、ただ、その場所にいるわけではないものが、光の屈折具合におって、見えないものが見える。それが蜃気楼である。
しかし、幻と言われるものは、実際に存在しないものが見えた場合にも、そう言えるだろう。
見えていないものが妖怪であったり、幽霊であったりする。
ちなみに、妖怪と幽霊の違いは、
「幽霊というのは、人間が形を変えたものであり、妖怪は、人間以外のものが形を変えたものだ」
と言っていいだろう。
そういう意味でいえば、
「元が何だったか?」
というだけであって、実際には。似たようなものだと言ってもいいのではないだろうか?
だから、相手の女性が結界の向こうにいるのであれば、見ている幻は、蜃気楼ではなく、幽霊や妖怪の類、一種の、
「生霊のようなもの」
と言ってもいいだろう。
だから、実在しないものをあたかも存在しているかのように思えているからこそ、いくら追いかけても捕まらないのだ。
相手も、結界の向こうから、こちらを見ている。見えているのかいないのか、分からないが、きっと見えているのだろう。
そして、冷めた目で、上から目線で、こちらがあたふたしているのを、あざ笑っているのかも知れない。
「こっちは、修羅場を潜り抜けたんだ」
という思いからだろう。
つまり、もう覚悟はとっくの昔に決まっていて、後は、手のひらの上で、転がすだけだということなのであろう。
結局、
「交わることのない平行線」
を描いてしまったことで、結局、二人は別れてしまうことになった。
お互いに、最初は、探り合いをしながらの付き合いだったことから、
「結構慎重につき合ったのだから、大きな失敗はないだろう」
と思っていたが、ひょっとすると、その探り合いが、相手に不信感を抱かせたのかも知れない。
彼女は別れてから、会社を辞めてしまい、二度と岡崎の前に姿を現すことはなかった。だから、その真意を確認のしようもないのだ。最初は、
「せめて理由を聞かせてほしい」
と思っていたが、ある瞬間を境に、
「そんなの知ってどうするんだ?」
と思うようになった。
それがいつなのか分からないのだが、本当は、
「次のためにも、知っておきたい」
というのが本音なのだろうが、実際に、もう疲れてしまって、
「どうでもいい」
と思うようになったのだ。
「反省なんかいつだってできる」
という思いがあり、反省をすることが大切だなどという当たり前の理屈が、分からなくなった。
これは、
「バカになった」
というわけではなく、
「感覚がマヒしてしまったのではないか?」
ということではないかと思うのであった。
ただ、その頃は、
「男と女で、感じ方が違う」
という意識と、
「身体の構造が違う」
ということを、それぞれの頭で理解はしていたつもりだった。