後悔の連鎖
そんな時期であっても、マスクを完全に外すという人はそんなにいなかったような気がした。
男は意外と簡単にマスクを外していたが。女の子は、マスクをしている人が多かった。
「女の子は用心深い性格だろうから、伝染病が怖くてマスクを外せないんだろうな」
と言われていたが、実際にはそうではなかった。
というのも、
「マスクをする勇気がない」
という意見が多かったのだ。
その勇気というのは、
「病気が怖い」
ということではなく、
「人に自分が何を考えているのか分からないと思われていたのを、マスクを外したことで、相手は絶対にこちらの気持ちを探ろうとするはず」
というものであった。
さらに、
「私だって、無意識に相手を探ろうとするんだから、皆同じことよね?」
という。
そして、女性が魔数を外したがらない理由があった。
本当はこちらの方がリアルで切実な問題なのではないかと思うのだったが、男は分かっているはずだが、分かっているのは無意識な部分で分かっているということであって、女性が何に怖がっているのか。最初は分からなかったはずだ。
というのは、
「マスクをしている時は、誰が誰だか分からない」
というのが、大きな特徴であったが、マスクを外すと、相手の個性が見えてくるようになり、パンデミックが起こるまでは普通だったのに、
「女性が可愛く見える」
という発想が出てくることだった。
しかも、マスクをしている時期、女性に対して、マスクをしている女性に、性欲は湧かないと言えばいいのか。実際に、人と接触することが危険だと言われている時代だったので、そういう意味では、
「事なきを得ていた」
と言ってもいいだろう。
つまりは、数年間というもの、行動制限がある中で、性欲なども制限できていたのが、マスクをしているからだったと言えるだろう。
実際に性欲が湧いてこない。草食系男子がばかりになってしまったことで、風俗業も大変だったのは分かるのだ。
もちろん、
「密着が一番怖い」
と思っているところに、性欲が抑えられているのだから、
「何も店に行かなくても」
と考えるのだ。
だが、規制が緩和されてきて、女の子がマスクを外し始めるとどうだろう?
「皆可愛いじゃないか?」
ということで、男子の性欲がよみがえる、女性を見る目が、性欲でギラギラしてくるかも知れない。
女性はそれを怖がっているのだ。
「マスクさえしていれば、マスクをしている女の子を性欲でギラギラした目で見ないだろう」
ということであった。
「そんなギラギラした目で、性欲を発散させたいのなら、風俗に行けばいいのよ」
と彼女たちは思うことだろう。
しかし、彼女たちは、意外と風俗嬢だったりが多いかも知れない。普段から男を見て仕事をしているので、このあたりのことは直感するのだろう。ただ、彼女たちは、店の外と店とではまったく違っているのではないだろうか。普段はマスクをして自分を隠しているが、客として来てくれれば、癒しを与えよう」
と、普段は怖いとしか思っていない男性と、店の中では手なずけるくらいの状況にあることくらいは、簡単なのかも知れない。
男にはそこまではできないだろうが、女性を見て、
「女の方がしたたかだ」
と言っている人がいるとすれば、それだけ、自分を表に出すことができる反面、普段は怖がりなのかも知れないと感じるのだった。
女性蔑視
そんな中において、マスクを外す人が少なくなった理由の裏付けとして、
「全国で、性犯罪が急激に増えた」
ということである。
それは、強姦などの凶悪犯もであるが、痴漢や盗撮、ストーカーのような犯罪まで増えてきた。全般的に増えてきたのであって、その理由を、警察では、理解できないでいた。
しかし、一部の心理学者や、フェミニストなどには分かっていたようで、
「自分もそんな中の一人ではないか・」
と思うようになっていた。
自分は、今年37歳になる独身男性なのだが、名前を、
「岡崎史郎」
という。
これまでに結婚しようと思ったことがあかったわけではない。好きだった人もいたし、実際に結婚寸前くらいまで行ったこともあった。
相手の両親にも、自分の両親にもお互いを遭わせて、
「二人がその気なら、別に反対はしない」
ということで、実質上の了承も得ていたのだ。
そんな中で、順風満帆に見えた結婚だったが、なぜか、急に彼女が拒否しだしたのだ。
その理由を最初は分からなかった。
「俺の何が気に入らないんだよ。このままだったら、結婚なんてできないぞ」
と言ったのは、彼女が、
「マリッジブルー」
に罹っているからだと思ったからだ。
だが、どうやら、そんな単純なことではないようだった。
もし、マリッジブルーであれば、自分が悪いという思いから、少しは、
「こちらに対して悪い」
という思いがあってしかるべきだからである。
しかし、彼女にはそんな思いは一切なかった。
どちらかというと、
「俺のことを憎んでいるかのようだ」
というくらいに思えてきたのだ。
鬱陶しいという感覚なのか、それとも、毛嫌いしているのか分からなかったが、その思いはひどいものに感じられた。
しかも、彼女はノイローゼに罹っているようだった。内容は分からないが、躁鬱症に近いような気がした。
急に怒りだしたり、泣き出したりと、その状態は、情緒不安定を通り越して、自律神経が失調しているようにさえ思えてきた。
ただ、分かっているのは、
「誰かを憎んでいる」
ということであった。
「確かに、自分を憎んでいるのは間違いないようなのだが、彼女が本当に憎んでいるのは、もっと、この俺よりも身近な人間だ」
ということを感じるからだった。
というのは、
「人を憎むということは、どういうことなのかを考えてみると、人によって、その態度は違う」
と言えるだろう。
彼女の場合は、本当に憎んでいる相手を凝視できないタイプなので、誰を本当に憎んでいるのかということは、正直分からない。
「きっと勘の鋭い人でも分からないことだろう」
と感じた。
岡崎は、自分が好きになった相手が、そのような性格だということが分かると、いつもであれば、
「そんな女、こっちから払い下げだ」
とばかりに、自分のプライドを優先させる方だった。
しかし、彼女に対してはそんなことはなかった。
「これが惚れた者の弱みというものだろうか?」
と感じたが、どうもそうではないようだ。
人を好きになるということはどういうことなのか、ハッキリと分からなかった。
「少しでも一緒にいたい」
と思うことなのか、それとも、
「一緒にいない時間でも、相手のことが気になって仕方がない」
という思いを抱くことなのか、いろいろ考えてみたが、
「それぞれに、自分の信憑性、信頼が得られれば、それが正解なのではないか?」
と感じたのだった・
しかし、岡崎の場合は、そうではなかった。
彼女と一緒にいたいという思いも、ひと時も忘れられないという思いも確かにあった。しいて言えば、
「同時に感じることができなかった」
という思いはあったが、