墓場まで持っていきたい思い
今分かっていることとしては、情報があまりにも少ないということで、身代金についても分かっているわけではない。ただ。被害者の社長が誘拐されたという事実だけで、ここから先は、話を聞かないと分からないという当たり前のことだった。
「俺は何をそんなに焦っているのだろう?」
と、勝手に思い込んでしまい、まだ、話も聞いていないのに、想像だけが、先走りしていたのだった。
「じゃあ、時系列で、分かっていることをお話願えますか?」
と、福岡刑事は、奥さんを名乗る相手に話を聞くことにした。
そもそも、相手が、
「自分の旦那が誘拐された」
と言っているだけで、この女性の正体すら分かっていない段階ではないだろうか?
「わかりました。まず、この事件が発覚したのは、一昨日の夕方のことでした。その日の朝は、普通に家を出て、運転手が回してきた車に乗って、いつものように出社して行ったんです。すると、夕方くらいになって、知らない番号から、知らない声で、お宅の旦那を誘拐したといってきたんです。それで、私はパニックになってしまって、相手はとりあえずそこまでいうと、また追って連絡をするといって、すぐに切ったんです。で、ビックリして会社に電話をしてみると、主人は会社にいるということだったんです。実際に電話で話もしました。それで、ただの悪戯だと思って、その時、主人には、何もないといってしまったんです。すると、今度は帰宅時間になったので、運転手が社長室に入ると、主人が消えていたということで、急いで会社内を探してもらったんですが、見当たらないらしいんですよ。主人も、日ごろから社長として、自分の身は自分で守るという観点から、必ず会社の中にいる時などは、誰かに分かるようにしていたということなんです。だから、皆社長がいなくなったのを聞いて、連絡を取ってみたりしたんですが、社長のケイタイは、社長室にあったんですよ。社長がケイタイを置いて、一人でどこかに行くはずはないということで、急遽、会社内で総出で探したそうです」
というところで、奥さんは、一度話を切った。
「なるほど、それで、奥さんはそれからどうしました?」
と聞くと、
「実は、たぶん、同じくらいの時間だったと思うんですが、また犯人から電話がかかってきて、今度はその電話というのが、主人の家族用の携帯電話からだったんです。最初、私は、これで、あの誘拐をほのめかす電話が、たちの悪い悪戯だったということだろうと思ったんですが、その電話口から聞こえてきた声は、最初に脅迫で掛けてきた人の声だったんです。さすがに誘拐なんて言われるとビックリしますので、その時のその人の声は頭に引っかかっていたんでしょうね。これで、誘拐がゆるぎないものだと私は確信しました」
と彼女は言った。
「会社から連絡があったのは?」
と聞くと、
「いいえ、さすがにここまでくれば、私もいてもたってもいられないし、なりふり構わず、会社に連絡を入れたんです。すると、秘書の人が出てきて、社長がいないというではないですか? もうこれで誘拐であることは間違いないと思い、顧問弁護士に相談したんです」
というので、
「なるほど、そうなるでしょうね。それで弁護士は?」
と聞くと。
「まずは、相手の出方を待つしかない。下手に警察に連絡を入れては、何をされるか分からないので、一度相手がどう出るかによって、先を考えないといけないでしょうね。奥さんは、まずお宅にお帰りください。そして、犯人が電話などで接触してくる可能性もあるので、録音できるようにだけしておいて、その様子で警察に連絡するかどうか、決めることにしましょう。だから、まずは、録音できる体制にして、自宅で控えていてくださいということで、家で、家庭用の電話にも、私の携帯にも連絡が入れば、長い哀話でも録音できるようにして待機していたんです」
ということであった。
「そういうことだったんですね? それで、本当に誘拐があったのだということは、どうして確信しました? 携帯電話だけでは、ハッキリと分からないのでは?」
と聞くと、
「ええ、犯人に私の方から、主人が無事かどうか、証拠を見せてほしいというと、電話口に出してくれました。そして、私と主人にしか分からないようなことを言ったので、これは間違いなく主人だと思いました」
という、
「それを聞いて、弁護士も、誘拐に違いないと思われたわけですか?」
と聞くと、
「ええ、そういうことです。正直、ハッキリとは言えない部分もありますが、弁護士の先生も、まずは、主人の命を最優先といってくださったので、私も冷静になれました」
と奥さんは、そういった。
「わかりました。我々も、迅速にお宅に伺えるように考えます。ただ、被害者の生命を最優先とするのは私たち警察も同じで、というか、それが一番ですので、なるべく目立たないようにするようにしましょう」
といって、奥さんには、とりあえず、弁護士には警察に連絡したことと、警察が、あまり騒ぎ立てないようにということを言っていることを話してほしいといっておいた。
奥さんは、それを聞いて、
「分かりました。きっと弁護士の先生も同じことをいうと思います」
と言った。
「ところで、犯人からの要求は、何かありましたか?」
と聞くと、
「いいえ、今のところはありません。とりあえず、誘拐という事実はあったということだけを、こちらに知らせたかったのが、目的じゃなかったかと思うんです」
というので、
「それにしては、念が入りすぎているような気がするんですが、まず最初に誘拐したかのような虚偽の電話を入れておいて、今度は本当に誘拐したと同じタイミングで電話を入れてくるというのも、何か都合がよすぎるような気がするんですよ。だったら、最初の電話は何だったのかってね?」
と福岡がいうので、
「そうですね、何か、スッキリはしませんが、私には分かりません」
と、奥さんは、それまでと明らかに態度が変わったかのように見えた。
どこか、落ち着きが急になくなってきたような……。それを思うと、今度は、
「この奥さん、明らかに何かに怯えているような気がする。その相手は、犯人なのだろうか?」
と、福岡刑事は感じた。
しかし、今のところ、犯人からも何ら要求はないという。
「最初に電話を入れてきた時、要求を何も言わないというのは、どういうことなのだろうか? 相手は誘拐のプロなのか、そうでなくて、普通に素人であれば、相手に自分たちには余裕があるということを見せつけようという意思が働いているのか?」
それを思うと、何か感じるものがあるのだった」
今回の事件において、今は何も分かっていないことは確かであるが、気になることもないわけではない。いきなり、最初に、まだ誘拐もしていないのに、あたかも、誘拐があったかのように、
「誘拐した」
というのもおかしなものだ。
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次