墓場まで持っていきたい思い
ハッキリ言えば。公務員というのがそういうものだということを、どうしてもっと早く気づかなかったのだろう?
ある意味、分かっていて、そんな社会も、
「この俺が変えてやろう」
などという、超が付くくらい、傲慢なことを考えていたのかも知れない。
だが、そんなことができるはずもなく。警察官はしょせん、
「上のいうことに逆らえない。逆らってしまうと、世の中を変えるどころか、自分の首が危なくなってしまう」
と考える。
「クビになっても、その覚悟を持って、立ち向かうんだ」
といってしまえば恰好はいいが、クビになってしまえば、どのように戦うというのだ?
権力もその力を発揮できる地盤がなければできない。その土俵の上に上がることすらできない人間に何ができるというのか。
それこそ、トレンディドラマが流行っていた頃の、キャリア組の人が、次第に現場の刑事に陶酔していく中で、言った言葉が思い出される。
キャリアが、
「お前は、自分の信念のもとに仕事がしたいか?」
と言われた、主人公の青年刑事が、
「はい、もちろんです」
というと、キャリアの人間が、少し微笑んで、
「だったら、偉くなれ、偉くなって、自分が好きなことができるだけの地位につかなければ何もできない」
と言ったのだ。
偉くなれということは、要するに、
「出世しろ。出世して、警部補や警部になって、捜査の指揮権を得られるくらいにならないと、自分の好きなような捜査はできっこない」
ということであった。
もっとも偉くなっても、まだその上にキャリアの人がいるのだから、上になったらなったで大変でもあるのだ。
平の刑事でいるのだから、そこまでは分からないだろう。そういう意味で、
「知らぬが仏」
とは、このことなのだろう。
今でもそのシーンは目に焼き付いていたのだった。
ただ、その先輩は、そんなキャリアの人とはまったく違い、出世とは無縁の人だった。その人を見ていると。
「自分も、出世など、まったく考えない警察官になりたい」
と思うようになった。
そういう意味では、門松署はちょうどいい環境にあった。大きな事件とは無縁だったことは、今のところ、自分としてはありがたかったのだ。
だが、そんな平和な毎日も、そんなに続くわけもない。その日の当直において、今までの自分の生活を覆すかのような事件が起きたのだ。
それが起こったのは、その日の当直でのことだった。その日は、普段なら、短い時間でも、熟睡できるのだが、その日は、熟睡できているつもりだったが、気が付けば、20分おきくらいに目が覚めていたのだった。
そんな状態が何度目かくらいだっただろうか? 夜中というよりも、早朝という時間だったのだが、刑事課の電話が鳴ったのだ。
福岡刑事は、一瞬、何が起こったのか分からないくらい、ビックリしていた。警察官としては、甚だ情けないのだが、それだけ、今まで何もなかったということを意味しているのだろう。
「はい、もしもし、門松署刑事課です」
といって、電話に出た。
すると、その先では、か細い声で、一人の女性が電話を掛けていた。
「もしもし、実は、私どもの主人が誘拐されまして」
という女性の声が入ってきた。
一瞬、何を言っているのか分からなかったが、すぐに我に返った福岡刑事は、頭をシャキッとさせて、話を聞く体制になった。
「どういうことでしょう?」
と、冷静になったついでに、彼はいろいろと考えてみたのだった。
「誘拐? こんな時間に?」
というのが、まず最初だった。
その次に考えたのが、
「どうして、刑事課の直通だったのだろう? 普通なら、110番に事件として入って、そこから、入電という形で連絡が入るのではないだろうか?」
例えば、
「県警より入電、門松署管内で誘拐事件発生」
などという風にである。
ただ、そうなると、すべてが明るみになってしまい、まずいだろう。特に誘拐事件などというと、犯人を刺激してはいけないということで、普通であれば、
「警察に連絡すれば、誘拐した人物の命はない」
などという感じである。
普通であれば、逆探知の装置を持って警察が、誘拐犯からの電話を待っているという形なのだろうが、今の時代は違うのだろうか?
そんなことを考えていると、
「営利誘拐だとするなら、当然、金を持っている人間を誘拐することになる。それに、普通なら子供を誘拐して、親に身代金を要求するものなのだろうが、そんな雰囲気でもない。つまり、誘拐されたのは、ご主人ということは、家族に身代金を出させるか、それともっ主人がどこかの社長か何かで、会社を揺すろうとしているのかとも考えられる。そうなると、顧問弁護士などがいるだろうから、まずは、そっちに相談するだろう。そこで善後策を練っていたのだとすれば、電話を掛けてきたのも、そして時間帯がこの時間だということも、分かる気がする。大げさにはしたくないということだろう」
ということが頭の中で整理ができたのだった。
「ゆっくりと、敬意をご説明願えますでしょうか? ちなみに、犯人は、警察には知らせるな、というようなことは言わなかったんでしょうか?」
と聞くと、
「ええ、警察へ知らせるなとは一言も言いませんでした。だから、まず弁護士さんに相談して、それで警察にとりあえず、連絡を入れてくださいと言われたんです。でも、犯人を刺激したくないので、110番で掛けると、この事件が白日の下に晒されてしまう。それも犯人を刺激することになるので、少し危険だと言われたんですね。だから、刑事課の直通にかけたんです。これは弁護士さんの指示ですね」
ということであった。
なるほど、弁護士というのは、なかなかの切れ者のようだ。やはり被害者は、どこかの社長か、あるいは、政治家か、あるいは、身代金が取れるくらいに著名人ではないかということは、伺えるのであった。
それにしても、犯人側からすれば、誘拐したということであれば、まず最初に、
「警察には連絡するな」
というのが、一番の筋ではないか?
警察に乗り出してこられるのが一番厄介なのは当然のこととして、それを口にしておくのには、もう一つ大きな意味があるのではないかと思えた。
というのは、
「犯罪のリアリティ」
である。
犯人側から、
「警察には連絡するな」
と、最初に言っておけば、ある意味、脅迫にもなるのだ。そういう意味で、そのことを口にするのは、早ければ早い方がいい。
「こちらが誘拐したんだ」
ということを言った後であれば、早めに言って、相手に、
「これは冗談ではないリアルなことだ」
という証明にもなるのだ。
「俺たちは、お前のところの主人を誘拐して身代金を要求しているんだ」
というシナリオを、
「警察には知らせるな」
という一言で、すべてを理解させるだけの言葉の魔力だといってもいいだろう。
だが、相手の犯人は、それを言わなかった。最初に言わないどころか最後まで言わなかったのだ。これでは、誘拐などという大それた事件を引き起こすだけの資格も何もないように思えてならない。一体何を考えているのだろう。
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次