墓場まで持っていきたい思い
などということで、何かあっても、すぐには飛んでこられないような時代になっていったのだった。
会社によっては、海外勤務ということもあり、それこそ、
「実家の家族よりも、実際の家族を日本において、単身赴任」
ということも、当たり前だという時代になっていたのだ。
そうなると、実家には老人だけになってしまう。特に、男性だけが、残ってしまった家庭などは、家事もうまくできず、寂しい毎日を送らなければいけなくなるだろう。
詐欺組織はそんな老人過程にターゲットを定めたのだった。
放っておけば、
「老人ホームにでも入るか?」
と考えているところに入り込み、女性社員を送り込んでは、家事などを積極的に行い、今でいう、介護のようなことまでしていた。
下手をすれば、
「下の世話」
までしていたかも知れない。
寂しい老人の気持ちに付け込んで、色仕掛けもありで、まるで、
「家政婦」
でも来てくれたかのような状態に、さらに話し相手にもなってくれれば、
「まるで、子供か孫が同時にできたみたいだ」
といって、大喜びするに違いない。
それこそ、
「盆と正月が一緒に来た」
と思うことだろう。
「薄情な古戸たち夫婦に比べて、何と優しい、女神のようではないか」
と思い込むのも当たり前のことで、そうなると、後はもう言いなりだった。
遺産を、この女性に譲るなどという遺言を書かせて、正式文書にしてしまえば、もうこっちの勝ちであった。
それほど元気ではない、いつ死んでもおかしくないような老人に照準を合わせているので、後は時間の問題である。
きっと、老人は死ぬまで分からないだろう。死んでからも分からないままかも知れない。だから、これが世間に明るみになった頃には、かなりの被害者がいたことだろう。何しろ被害者本人に被害者意識がないのだから。
昭和の詐欺というと、酒類としては、少なかったかも知れないが、それだけに起こると目立つ。
しかも、その手口は卑劣さが前面に出てしまっていて。
「血も涙もない」
ということになっただろう。
この時のひどかったようで、連日ワイドショーのネタになっていたようだ。
何しろ、
「老人を、色仕掛けで狙った卑劣な犯行」
あるいは、
「なけなしの老後お金をむしり取るなんて、鬼でもしない所業だ」
とまで言われていたようで、さらにこのニュースをひどくさせたのが、当時の社長に、ワイドショーのカメラが、こぞって、取材に行った時のこと、その混乱に乗じて、一人の男がナイフを持って、襲い掛かり、そのまま刺し殺してしまったのだ。
ほとんど、放送事故の状態で、しかし、とっさのことだったので、防ぎようもなかったのだろう。
まさか、取材でごった返しているところに、傍観が襲い掛かるなど、誰が想像できたことだろう。
そんな状態が、その場面がもろに放送されたのかどうかは、今は分からないが、しかし、目の前で殺人が起こったということで、さすがの取材陣が大混乱したことでも、そのひどさは分かったことだろう。
惨殺現場が放送されるだけのショッキングなことだったに違いない。
それを知っている人は、もうほとんどの人は、初老くらいになっているのだろうが、それだけ昭和という時代が、遠くなってしまったということだろう?
そんな詐欺事件が起こり、さらに、食品会社を狙って、誘拐や脅迫を繰り返したこの二つの事件は、
「昭和の終わりにふさわしい」
というくらいに言われていたのではないだろうか?
今でこそハッキリしないが、そんな時代からくらべて、今の時代は果たしていい時代だと言えるのだろうか?
これは、少し違った見方も出てくる。
「被害者に被害者意識って、本当になかったのだろうか?」
ということである。
老人というのは、昔から、
「守銭奴」
と言われる人が多いくらいに、年を取ると、
「お金に対しての執着は大きくなるのではないか?」
という。
しかし、考えてみると、そんな老人は、一人孤独だったから、お金に執着するのであって、頑固だったりするのも、自分が相手にされていないという被害妄想から、自分のことを孤独ではないとまわりに言いたかったのかも知れない。
だからこそ、本当の孤独を知っているのだろう。
そうなると、却って騙しやすいのかも知れない。女が、
「私だけが、あなたの孤独を分かってあげることができる」
などといい、それまでに、
「私は、もう男として終わってしまった」
と思っている老人を、優しく包み込むようにすれば、コロッと騙される老人は結構いるだろう。
実際に、そこに目を付けた、その悪徳商事会社も、さすがと言っていいだろうが、人間の心の裏返しに潜むものを、このような形で狙うということは、本当にすごいことであり、えげつなさが群を抜いているといってもいい。
何ともやり切れない事件であったが、社長が殺され、事件は、真相という意味では、闇から闇に葬られたのかも知れない。
それを小説にした作品があったが、その作品では、
「社長の殺害は、その社長には黒幕がいて、変なことを喋られると困るから、殺害したのだ」
というような話になっていたが、さすがに信憑性は薄かっただろう。
小説としては面白いが、さすがに昭和の時代に、どんな頭のいい組織があったというのか、考えさせられるに違いないだろう。
福岡刑事が、どうしてそんな話を思い出したのかというと、この間、定年退職した先輩刑事から、その当時の話を聞いたからだった。
その刑事は、本当に叩き上げの人で、昭和の事件があった頃は、まだ、交番勤務だったという。
このあたりはそんな事件が起こるような土地ではなかったが、
「昭和が終わる」
というそんな時期に、ちょうど、警察に入り、いろいろ興味津々だった頃だったので、その事件はセンセーショナルに覚えているということだった。
まるで、自分が捜査に加わったかのような自慢げな話し方だったが、実際にはそうではない。ただ、せっかく話をしてくれるのを、むげにするわけにもいかないし、そもそも、福岡刑事は、聞き上手だったのだ。
人の話を聞いていると、自分の勉強にもなるし、何よりも、
「有意義な時間を使っている」
と感じるのが嬉しかったのだ。
最近の若い連中は、ゲームとかに無駄な時間を使っているというイメージが強い福岡は、自分もそんなに若いはずでもないのに、若い連中を、どちらかというと嫌っている。
警察に入ったのも、半分はそれもあった。
正義感のようなものが強くなければ、いくらなんでも、警察に入ろうとは思わないだろう。
そして彼の場合は、他の若い連中が、自分たちの世界で好き勝手に過ごしているのに、非難されず、真面目にやっているのに、ちょっとだけ世間から外れているような人が避難させているように見える今の世の中に大いなる不満を持っていた。
「そんなやつらは、俺が警察に入って、どんどん謙虚してやるわ」
と思っていたのだが、実際に入ってみると、警察官というものは、何の力もないことがよく分かった。
いわゆる、
「縦割り社会」
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次