墓場まで持っていきたい思い
そんな状態の中で、なぜか、無事(とは言えないかも知れないが)に、戻ってきたということが分かったのは、弁護士としては一安心だった。
そこから先の犯人捜しは警察の仕事であり、弁護士としては、
「二度とこのようなことが起こらないようにするという、再発防止」
というのが、一番の課題となる。
無事であるということが分かったのだから、後はゆっくり詰めればいい。
命を最優先としなければいけないわけではなく、フッと肩の荷を下ろすことができるのは、ありがたいことであった。
本当は、もう少し弁護士から、この事件のことを探ろうと思っていたのだが、どうも、そういうわけにはいかないようだった。
というのも、肝心の犬山弁護士も事件の概要を、表に出ている部分以上のことは分かっていないようで、聴き出すこともないと思えた。そもそも、事件としてはただ誘拐の事実と、それを家族に犯人が伝えたというだけで、実際に身代金を要求したり、脅迫めいたことを言ったりはしていないので、今のところ、誘拐と、拉致監禁、しかも、どのような環境に監禁されていたのかということも分かっていない状況だ。少なくとも外傷があるわけではなく、迫害を受けているわけではないことから、大きな事件になりそうではない。そうなると、被害者側が被害届を出すということも考えにくい。しかし、誘拐があったというのは、事実だったのだ。
とりあえずこの日は、春日刑事が、社長が見つかったということを密かに教えにきてくれて、ただ、面会は今の時点ではできないこと、できるようになれば、病院の方か、警察から連絡を、弁護士に直接入れること、そして、このことは、お互いに公表はしないことというのを、条件として、話を終わらせた。
極秘にすることに関しては、相手方の方が望んでいることでもあり、相手としても、願ったり叶ったりであったが、さすがに、社長の意識がしっかりしているにも関わらず、連絡を取れないというのは、気になってしょうがないようだった。
「とにかく、社長と話ができるようになったら、急いで、連絡をしてもらえることを望みます」
と言って、それ以上は言及しなかった。
春日刑事が、弁護士を近づけなかった理由は、推察のように、記憶が半分消えているからであった。
しかし、春日刑事は、それらしきことを匂わせておいて、さらに、社長の意識がしっかりしているということも、なぜか話した。
普通だったら、
「社長は、意識不明の面会謝絶」
と言っておいてもいいくらいではないだろうか?
命には別条はないとさえ言っておけば、誘拐されて、どこにいるのか分からないというよりも、はるかに気が楽なことであろう。
なぜか春日刑事は、清川家の関係者、あるいは、犬山弁護士に安心感を与えたくないというような思惑があるようだ。
春日刑事の思惑がどこにあるのかは分からないが、後ろ髪を引かれるような思いを抱いていたことに間違いはないだろう。
そんな状態を見ていると、
「まだ、この事件には何か裏があるんじゃないのかな?」
と思い、犬山弁護士が、まだ何かを隠しているように思えてならなかった。
確かに、弁護士というのは、
「依頼人の財産やプライバシーを守る」
というのが、最優先であり、
「依頼人を裏切ると、この世界では終わりなんだよ」
ということなのだろう。
だから、相手が警察であっても、さすがに自分の手が後ろに回らない程度に、法律だって、抜け道を探すことだろう。
つまり、弁護士と依頼人は、特殊な信頼関係で結ばれていないと、お互いに成立しないことになる。逆に言えば、弁護士を信頼していなければ、いくら弁護士に依頼しても、守ってはくれないということだ。
弁護士としても、何かあれば、必ず、依頼人に仔細を確認するはずだ。聞いていた話と違ったり、ウソをつかれたりすると、弁護士の憤りはかなりのものとなる。
「私には、すべて話してくださいね。そうじゃないと、裁判になったら、弁護のしようがありませんからね」
というのだった。
それは当然のことであり、いくら必死に弁護しても、検察が出してくる証拠から、こちらの証拠の辻褄が合わなくなるなどすれば、弁護士は、お手上げである。
「話が違いじゃないですか? もしこれ以上他にウソがあったら、弁護のしようがありませんよ」
ということになる。
もう、こうなってしまっては。弁護士と依頼人の関係はぐちゃぐちゃになり、依頼人が弁護士を解任するか。逆に弁護人が、弁護できないということで、降りてしまうかということになる。
もう一度弁護人を変えるとなると、もうその時点で裁判はかなり遅れを取ることになるだろう。
そうなってしまうと、裁判はもっと時間が掛かるようになり。最初に比べれば、倍以上の時間が掛かるだろう。
それは、原告側の精神的な疲労にもつながり、裁判自体をダラダラにさせてしまって、「何が真実なのか?」
ということが曖昧になってくる。
そんな裁判がかつてあったかのような気がしたが、実は、そのテクニックは父親である、犬山慶次氏のものであった。息子の慶一郎が、そのことをどこまで分かっているのかは知らなかったが、春日刑事は、
「犬山弁護士は、手ごわそうだ」
と感じていたのだった。
行方不明の女
そんな犬山弁護士を、まったく別の場所で見つけることになるとは思ってもみなかった。しかも、あれだけ、
「敏腕弁護士だ」
と思っていた相手だったのに、
「なぜ、このような形になってしまったのか?」
と感じさせられたのは、どう考えればいいのだろう?
本当であれば、犬山弁護士が中心になって、今回の事件の全貌を明かしてくれそうな気がしていたのに、それが不可能になってしまった。今は何よりも、
「清川コーポレーションがどうなるか?」
という問題が、大きいのかも知れない。
「たぶん、社長が行方不明、おそらく、誘拐なのだろうが、その社長もとりあえずは無事だということが分かって、一安心するはずだったのだろう」
と、春日刑事は思っていた。
しかし、一難去ってまた一難、何が清川コーポレーションに、このような怨念を掛けることになるというのだろう?
ただ、先日までは、社長が見つかっただけで、事件性はあるかも知れないが、それを門松署が、事件として扱っていない以上、我々もどうしようもなかったに違いない。
しかし、今回は完全に事件として、この酒殿署で起こったことだった。しかも最悪の形で。
今回の事件が、清川コーポレーションと関係があるのかどうか、微妙でもあった。ただし、事件を曖昧にできないことは間違いない。いくら門松署や、清川コーポレーションが隠そうとしても、ダメなのだ。
しかも、今回は、頼りにしていたはずの犬山弁護士が中心となって出来上がった事件である。後ろ盾や相談する相手がこうなってしまうと、今のところ、すべての時間が止まってしまったかのようではないか?
事件の発覚は、昨夜の深夜。いや、早朝と言ってもいいくらいの時間に、県警本部からの入電だった。
「酒殿市酒殿のマンションで、男性が死体となって発見された。直ちに現場に急行せよ」
という内容だった。
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次