墓場まで持っていきたい思い
「ええ、生ビールの人は、そこからお酒が進むことになるんでしょうが、お客さんのように、ビールが苦手な人は、結局最初の一杯だけなんですよ。口につけて、おいしいと思うのはね。でも、それはビールが好きな人も変わりはないんですよ。誰もが最初の一杯で、ああ、生き返ったという気持ちになるんです。たぶん、お客さんもそうじゃなかったですか? でも、そこから先は、その舌が、いかにビールに合うかではないかと思うんです。ビールというのは、舌で感じるもので、日本酒などは、喉で感じるものではないかと思うんですよ。ほら、喉ごしなんて言葉があるでしょう? 言葉って、何の意味もなく、あるものではないと思うんですよね? そういう意味でも、ほろ酔い気分の日本酒って、飲んでいるうちに、次第においしいと思える時期が来るんだって思うんです」
というではないか。
なるほど、その女将さんのその時の言葉が、自分の中での、
「日本酒が本当は好きだったんだ」
という気持ちを思い起こせたという意味でも、よかったような気がした。
日本酒を飲んでいると、忘れていた何かを思い出すのだが、それが何なのか分からなかった。
この店に最初に来たのは、この店で、窃盗事件があった時だった。ここで務めていた。外人従業員が、出来心だったのだろうが、店の売上金を持ち逃げしたのだった。
金額的には大したものではなかったのだが、店としては一大事であった。
何しろ、国からの要請もあったというのも、
「女将さんが、慈悲深い人だった」
ということで、他の従業員からすれば、
「女将さんの善意を踏みに行った行為は許せない」
というものだった。
そもそも、その外人店員は、自分だけが外人だという意識が強く、まわりに溶け込むことはなかった。
まわりの従業員も、最初こそ、いろいろ話しかけてやっていたが、
「ああ、やっぱり外人は、受けつけないわ」
とばかりに、それぞれが、拒絶した態度を取っていたのだ。
女将さんは、その男が、
「外人だろうが関係ない」
と思っていたようで、しかも、最近は、どこの店でも外人を雇うのは、それこそ普通だった。
コンビニに行っても、ファーストフードなどの店にいっても、そのほとんどが、外人であった。
最初こそ、
「言葉が通じないんじゃないか?」
と思っていたが、コンビニなどの従業員のほとんどは、留学生などという名目で入ってきている連中なので、当然、日本語くらいは分かるようにしてきているようだった。
それができるのだから、当然日本の風俗、文化くらいは勉強してきていると思っていたが、そのあたりは、違うようだ。
外人を雇っている店の店長などの話を聞いていると、
「やっぱり、育った国の文化が違うんだろうな。俺たちとは、根っこのところで感覚が違ってるんだよな。いつか、何か問題を起こさないかって、不安な気持ちになって仕方がないんだよ」
といっていた。
「じゃあ、雇わなければいいじゃないか?」
と話していたが、
「そうもいかないんだよ。国からの補助金も出るし、だから、外人を雇えって、圧力もあるし、何よりもまわりが増えてくると、そうもいっていられない。それよりも、日本人を雇おうとしても、なかなか来てくれないし、来てくれても長続きはしない。やっぱり、こういう仕事は、日本人ではなかなかなんだろうな。そういう意味では外人は、ほいほいやってくる。それだけ、単純作業ができるということなんだろうか?」
ということであった。
もう、数年くらい前に聞いた話だったが、言われてみれば、コンビニにしても、街に出ると、ほとんどの店での接客は、いつの間にか外人ばかりになっている。
確かに、20年くらい前までは、工場のようなところでは、中南米系、特にブラジルの人たちなどが、工場などでよく働いていたと聞いている。
勤勉でしっかりしたところもあり、自分たちで世界を作っていることで、アットホームに見えたらしい。
特に何がいいのかと聞いてみると、
「彼らは民族性なのか、結構明るいんだよね。しかも、勤勉で真面目だから、日本の風俗習慣をちゃんとわかっていて、どんどん日本に馴染んでくるんだよ。それが実に頼もしく見えて、働いているうちに、外人だっていう気がしなくなるくらいのものだったよ」
といっていたものだった。
しかし、それが最近の話になると、
「今の外人どもは、昔のブラジル系の人たちとはまったく違うんだよな。ブラジルの人は家族でやってきたりしていたけど、最近の連中は、答案アジアあたりからだろう? 距離は近くなっても、風俗はまったく違うんだよな。あいつらは、日本人に馴染もうとしないし、自分たちの常識を却って押し付けようとしている連中が多い気がする。もちろん、皆がそうだとは言わないがな」
といっていた。
ただ、その言葉の裏で、
「そうは言いながら、結局、皆そうなんだ」
と言っているのと同じだということはまるわかりであり、自分でも話を聞いていて、
「ああ、もっともだ」
と、心の垢で鵜アズいていたのだった。
昔の話を聞いていると、
「昔のブラジル人がどれだけ、優秀でしっかりしていて、それでいて、それでもまだ日本に馴染もうとしていて、彼らの方が日本人らしいかも知れないと思えるくらいなのに、最近の外人どもとくれば、自分の世界に入り込んでいて、外人同士仲がいいのかと思えば、そうでもないように見えるし、何よりも、馴染もうという気持ちがないんだよな。一番怖いのは、何を考えているか分からないということなんだよな」
と、昔のブラジル人を知っている人は、そういう話をしている。
そんな話を聞かされてくると、さすがに、今の外人に対して偏見の目で見る人が多いというのも分かる気がする。
確かに人件費が安く。国からも言われ、その分補助金が出るとなると、雇わないわけにはいかない。
それがいいことなのか悪いことなのかは、これは日本人が相手であっても、同じことなのだろうが、日本人の場合は自分が面接をして決めるので、ひどいやつだったとしても、雇ったのは自分なので、それなりに諦めのようなものは出るだろう。
「しょうがないよな」
ということなのだろうが、外人の場合は、どちらかというと、
「押しつけ」
のイメージが強いし。外人を一度面接したくらいで分かるはずもない。
「まるで、博打で雇うようなものだ」
といってもいいだろう。
とはいえ、しょうがないところがあるので、雇うしかないのだが、それにしても、腹が立つという。
「確かに、国の財政は苦しいだろうが、そのために、外人受け入れというのもしょうがないとしても、何で俺たちが請け負わなければいけないんだ? そもそも日本の財政を悪くしたのは、政府だろうが。俺は忘れちゃあいないぜ。十数年くらい前にあった、「消えた年金事件」というものを」
というのであった。
その時の、その客の顔は、かなり怒りに満ちていた。かなり、政府に対して不満を抱いているのだろう。
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次