墓場まで持っていきたい思い
もし、恨みがあっての殺人であれば、誘拐するだけの計画性に優れているのだから、殺人だけにターゲットを絞れば、それほど難しいことではないだろう。
犯人の目的も、犯人像もまったく分かっていないのだ。それだけ、事件としては、
「発生した」
というだけで、それ以上のアクションはまったくない。被害者家族も、心当たりはまったくないという。
すると、社長職だからという理由や、この家での出来事からの恨みや、営利目的ではないということだろう。
もちろん、この家や、会社で表向きに分かっていることを調べると、被害者が人から恨まれるようなことはないという。
もっとも。逆恨みなどでは、本人やまわりにとって、
「こんなことで、まさか恨みを買っているなんて」
ということもあるだろうし、営利目的であれば、動機は、
「借金か何かがあって、切羽詰まってきたことで、周りにいる金持ちを誘拐し、お金だけを拝借する」
というようなことはあるかも知れないが、そうなると、範囲は相当増えてきて、被害者とまったく縁もゆかりもない相手ということもありえるのだ。
そんなことを考えていると、警察から連絡があった。
「福岡刑事。被害者の清川平蔵さんが、見つかったそうです」
ということだった。
「見つかった? じゃあ犯人が何かの理由で返してきたということなのか?」
と聞くと、
「よくは分からないんですが、フラフラと歩いているところを、旅行者が見つけたそうです。場所は、隣村にあるダム公園だったそうなんですが、見ていて、脚がふらついているので、危ないと思い、制ししたんだそうですが、完全に無表情で、疲れ果てている状態だったそうです。最初は薬でもやっているのかと思ったそうですが、薬物ではなくて、睡眠薬を飲まされていたようなんです。もっとも、一気に眠ってしまうほどではないそうですが、医者とすれば、それまでの記憶が実に曖昧で、意識がハッキリしてからも、しばらくは様子を見ないと難しいと言っています。だから、彼から証言を取るのはしばらく難しそうです。でも、犯人は、どうして、簡単に逃がしてくれたんでしょうかね?」
というのであった。
犬山弁護士
なぜか、一度誘拐された被害者を、一度、誘拐したということだけを電話で通告してきただけで、犯人は何もせずに解放してきたのだった。誘拐したということを通告してきてから、被害者側が警察に通報しただけのことなのに、なぜ相手が解放してきたのか、理由は分からなかった。
解放された被害者はというと、門松署管内の隣である酒殿署管内を歩いているところを保護された。
歩いていると言っても、本当にフラフラ歩いていて、世知辛い世の中で、普通に歩いているのであれば、誰も気にすることはないだろう。少々ふらついているくらいでも、
「酔っ払いじゃないの?」
という程度に見られるくらいで、急いでいる時間帯であれば、たぶん誰にも気にされないに違いない。
それなのに、誰かが気になって声を掛けたというのだから、それこそ、本当にフラフラで、放っておくと車と接触したり、階段から転げ落ちたりして、危ないのが分かったので、声を掛けたのだろう。
表でそんな人が歩いていれば、まず間違いなく、誰かを巻き込む大事故になりかねないと判断すれば、声を掛けたとしても、それは当然のことだろう。
警官が駆けつけると、その人は、意識が朦朧としていたという。最初警官は、
「酔っ払いか、薬物中毒」
なのではないかと思ったようだが、そういうわけでもなさそうだ。
しかし、足元はふらついていて、意識も朦朧としている。ただ、自分が誰なのかということは分かっているようなのだが、なぜ自分がそこにいるのかということを聞くと、
「よく分からない」
という回答だった。
どうやら、ここ数日間の記憶だけがなくなっているようだった。
病院で検査をしてもらった結果、
「どうやら、短期間の一時的な記憶喪失のようですね。自分が誰なのかということは分かっているようなんですが、なぜあの場所にいたのかということも分からず、一週間くらい前の記憶はあるので、今日が、その次の日だと思っているようなんです」
と医者がいう。
「ということは、その男の人は、ここ一週間くらいの記憶がポッカリ開いているということでしょうか?」
と警察に聞かれて、
「そうですね、本人は記憶を失っているという意識はないようで、自分の中で、一週間ずっと眠っていたと思っているのかも知れませんね」
というではないか。
「そんなことって、普通にあるんですか?」
と刑事に聞かれて、
「自然な状態でも絶対にないとは言い切れませんが。ほぼ可能性としては、少ないですね。どちらかというと、外的要因で記憶が消えていると考える方が強い。何かトラウマになるようなショッキングなことを見てしまったという可能性か、誰かに故意に記憶を消されたという考え方ですね」
じゃあ、何かを目撃したんでしょうか?
と刑事がいうと、
「そうですね。何かを目撃してショックで記憶が失ったのだとすれば、記憶を封印させたのは、自分なんです。それを呼び戻すには、患者の意識を、もう一度、そのショッキングなことが起こった場所に連れていって、どうしてそうなったかということを、その時点をスタートラインにしないといけない。だけど、自分で籠ってしまった意識をもう一度その時点に持っていくというのは危険性がある。もう一度その場所に持って行ったことで、今度は本当に意識を硬化させてしまい、二度と、その期間のショックを、思い出せないように本当に封印してしまわないとも限らない。そういう意味で、これは諸刃の剣だと言えるのではないだろうか?」
と先生は言った。
「先生はどう思います?」
と聞かれて、
「彼の意識は今、記憶を封印したその場所でいったん止まっています。これから生まれる意識や記憶は、新たにリセットされたものなので、まったく別のものです。だから、彼にとって記憶を喪失したその瞬間は、いつまで経っても、一週間前なんですよ。色褪せることはないという意味で、今、無理やり記憶を取り戻させるのは危険がある。どうしても、何かの証言が必要だということになっても私はなるべく、彼をそっとしておきたい。しぜ治癒を目指してね。そういう意味で、難しい判断だとは思います」
というのを聞いて、
「じゃあ、もう一つというのは?」
と刑事が聞くと、
「それは、催眠術のようなものを掛けられて、強引に記憶を封印させられた場合ですね」
という答えが返ってきた。
なるほど、この二つなら、話は通じる気がする。ただ、普通に考えると、二つのうちでは、最初の方が圧倒的に可能性としてはあり得ることではないだろうか。
ただ、この時点では、まだ、被害者が誘拐されたという事実が分かっていないだけに、どうしていいのか判断が難しかった。
一つ言えることは、
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次