墓場まで持っていきたい思い
それを、連合国の、植民地の歴史を黒歴史として葬り去りたいという意識の強さが、敗戦国を悪者にすることで、自分たちを正当化させようとしているのだ。
何とも、卑怯であこぎだと言えるのではないだろうか?
「大日本帝国は、連合国の正当性のために滅亡させられたも同然だ」
と言ってもいいのではないだろうか?
最近の、世界情勢で、ある強大国が、元仲間の国に攻め込んだことにより、戦争が起こったが、その時、攻め込まれた国のダイトウリョウが、アメリカ議会において、
「かつての、真珠湾を忘れてはいけない」
などと、ほざいたことがあり、それを踏まえても、経済援助を続け、そのダイトウリョウが、今度は日本の議会で発表すると言った時、モニターに映ったダイトウリョウのその姿を見て、政治家全員が、スタンディングオベーションを見せていたのには、驚いた。
いや、
「何の茶番を見せられているのだろう?」
という呆れを感じえなかったが、次第に怒りがこみあげてきた。
ただでさえ、無能な政治家どもに怒りを感じていたが、
「ここまで落ちたか?」
と思うと、最初は呆れを感じ、今度はそこからやっと怒りがこみあげてくるようなのであった。
「あいつらがやっていることは、まるでナチスではないか」
と思ったのだ。
ヒトラーが演説をする時に国民が拍手で答えるという、完全なマインドコントロール。それをしかも、日本とは何の関係もない。さらに、真珠湾などと言った当のダイトウリョウに媚びているのを見ると、
「ここはどこの国なんだ?」
と考えさせられてしまうのだった。
そもそも、真珠湾を口に出す時点で、そのダイトウリョウは、
「歴史を知らない」
と言っていいだろう。
日本が、大東亜戦争に突き進むように日本を追い込んだのは、アメリカではないか。
当時、ヨーロッパでは、ナチスドイツがポーランド、ベネルクス三国を手中に収め、さらには、その勢いから、フランス政府が逃亡することで、パリを占領されるという事態が起こっていて、イギリスへの侵攻を諦めたヒトラーが、ソ連に襲い掛かっていた時だった。
ヨーロッパからは、アメリカの参戦を促されるが、アメリカでは、議会の承認がなければ、大統領の意見だけでは戦争を始められない。
何といっても、ここでヨーロッパがドイツに占領されると、アメリカが供与した武器や、それに伴う貸与金を回収できなくなるという問題から、
「なんとしても、参戦するには、相手から攻撃されたという既成事実を作る」
という必要があったのだ。
だから、日本は巻き込まれた。
それまで、日本は中国大陸での戦争によって、欧米列強から経済制裁を受けていた。何と言っても、自給自足能力がほとんどない日本なので、戦争はおろか、国民生活までもが困窮していたのだから、戦争するか、軍を引くかしかないのだが、軍を引くことは、国内世論も、軍の士気においても、致命的で、絶対にできることではなかった。
そのあたりの日本人の感情も当時のルーズベルトダイトウリョウは分かっていて、日本に対し、最後通牒ともいうべき内容を言い渡した。つまりは、交渉決裂を言ってきたようなものだ。
本来であれば、それがすでに、
「宣戦布告」
に当たるはずである。
しかし、それをアメリカは宣戦布告とはせず、日本に、交渉決裂という文章を出させ、戦争に引き込もうとした。
アメリカが、最後通牒と、真珠湾攻撃の時間差まで計算していたのかどうか分からないが、要するに真珠湾攻撃というのは、巷で言われているような、
「日本軍による、卑怯な騙し討ち」
などではなく、アメリカによる、
「日本を戦争に引きずりこんで、アメリカが、世界大戦に参戦する理由を正当化させるためのものだった」
ということを、ゼ〇ンスキーダイトウリョウが知っていれば、あんな言い方はしないだろう。
そもそも、今回の戦争は、侵略でも侵攻でもない。
「起こるべくして起こった戦争」
であり、攻められる国だって、防衛体制をしっかり強化していたではないか。
しかも、ゼレ〇スキーダイトウリョウだって、国民に対し、戦争前から、
「私は逃げない」
と言っていたはずではないか。
そして国民に、
「徹底抗戦」
を命じたのは誰だったか?
そうなると、あれは侵攻ではなく、
「おこるべくして起こった、普通の戦争だ」
と言えるのではないだろうか?
それなのに、
「強い国が弱い国を侵略した」
などという構図を勝手に作りあげて、経済制裁など、ありえるのかということである。
アメリカは、この時に乗じて、ライバル国を失脚させようと、まわりの国を巻き込んで、今後起こるであろう、世界的な食料や、エネルギーなどを中心とした物資の不足に、一役を買うことになる。
他の国も皆騙されて、その動きが加速してくることだろう。
日本政府もなぜ分からないのか。何といっても、岸〇ソーリが、自分の支持率が下がったことで、それを回復させようと、偽善者ぶったことが、今の窮地を招いたのだ。
本来であれば、戦争当事国以外の国は、同盟でも結んでいない限りは、中立を宣言すべきである。
中立というのは、
「戦争を行っている両国に対して、決してどちらの国にも肩入れしない」
という意味もあって、宣戦布告というのがあるのだ。
今のままでは、片方の強国だけが悪者になり、下手をすれば、核爆弾が飛んでくるなどということになれば、〇田ソーリはどう責任を取るというのか?
地元、広島で責任を取るだけでは許されない。
「そもそも、総裁選での公約はどうなったというのか?」
この小説の公開予定が、半年後だとすれば、果たして、当事国の、ゼレン〇キーダイトウリョウと、バ〇デンダイトウリョウ、さらに、岸〇ソーリの全員がいないかも知れない。
「ざまあみろ」
というところである。
まあ、そんな政治の話は置いておいて、誘拐事件のように、相手に主導権を握られてしまっていると、行動にもかなりの制限と、気を遣わなければいけない。
何と言っても、最大の優先順位は、
「無事に助け出すこと」
なのである。
身代金を奪われたとしても、命が助かれば何とかなる。しかし、身代金が戻ってきても、殺されてしまえば、本末転倒ではないだろうか?
だからと言って、まんまと身代金を奪われると、警察の面目は丸つぶれだ。殺されてしまえば、責任問題が発生し、さらにひどいことになるが、このままでは、まるで、
「王手飛車取り」
ではないか。
王がやられてしまえば、そこでゲームオーバーで、もう何もできず、敗戦ということになってしまう。
しかし、飛車がやられても、まだ首の皮一枚でぶら下がっているのは、間違いない。ただ、戦争でもそうなのだが、一番難しいのは、
「引き際が一番大切だ」
というではないか。
戦争の話に戻って恐縮であるが、戦争で一番難しいのは、
「その終わらせ方である」
と言われる。
例えば、大東亜戦争も、最初は、
「日本がこのまま戦争に突入すれば、勝てっこない戦いであることは間違いない」
と言われていた。
では、そうすればいいかということで、
「勝つことよりも、負けない戦争をすることだ」
というのは、
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次