墓場まで持っていきたい思い
とばかりに、この年まで、病気らしい病気もなく、健康でいたのだった。
清川エンタープライズという会社は、今では、ゲーム関係のシェアでは、国内で5本の指に入るくらいで、なかなかゲームの名前は世に出ても、制作会社の名前が表に出ることは少なかったが、この会社は、結構有名であった。
というのも、ちょうど3年くらい前に出たゲームが大当たりして、その時、会社名も一緒に売れたのだった。
「こんなことは珍しいんだがな」
と、業界の人も不思議がっていたが、別に会社が宣伝したわけでもないのに、どういうことなのか分からなかったが、社長の交代劇と一緒になったことで、
「ああ、あのゲームの会社の社長が変わったんだ」
ということとタイミングがよかったのか、そこで有名になったようだ。
現社長からすれば、会長への配慮からか、
「何か複雑な気持ちですね。社長が退任されるタイミングで、わが社の最大のベストセラー作品が生まれたというのは」
と言っていたが、
「新社長の門出には、ちょうどいいではないか」
と会長職に就いたことで、少し後ろに下がり気味ではあったが、まだまだ社長の器になるまでは、自分が半分は支えていかなければいけないと思ったわけなので、ある意味、社長と会長の意思疎通もうまく行っていたことが、
「ベストセラー製品を生み出す原動力になったのではないか?」
と言われるようになったわけだが、そこに会社の将来を占うという意味で、
「幸先がいいではないか」
ということになり、全体的には、順風満帆を表していたのだった。
そんな時期に襲ってきたこの災い、奥さんとしても、いきなり奈落の底に叩き落された気分になったのかも知れない。
まず、署内でどのような体制を取るかということが話合われた。当然のことながら、
「県警本部に連絡を入れなくて大丈夫なのか?」
ということ一番に議題に上った。
とりあえずは、まだ、実際の誘拐事件について、何も分かっていないということで、まずは、現地に向かってからのことだということを、署長を始め、そういう話になった。
それは当然のことであって、何のために、奥さんが110番でなく、この署の刑事課に直接電話を掛けてきたのかということを考えても分かりそうなものだ。
そして、もう一つ引っかかったのが、
「相手には、どうやら、しっかりとした弁護士がついているのではないか?」
ということであった。
相手に顧問弁護士がいるということは、いきなりここで警察が変な動きをして、犯人たちを刺激すると、それこそ、弁護士は責任問題を警察にぶつけてくるだろう。そうなると、所轄だけではなく、県警の、いや、マスゴミの餌食になることで、全国の警察組織が、民衆の敵になりかねないということが考えられるからであった。
それを思うと、自分たちのような現場の刑事が口を出せる場面ではない。署長クラスの人の判断が必要になってくる。そういう意味でのリアリティを考えると、殺人事件の捜査よりも、誘拐事件を目の前にする方が、かなりきつくなってくる。
なぜなら、時間が勝負であり、その時々の、瞬時による判断力が求められることになる。誘拐された被害者が、殺されて戻ってきても、もう遅いのである。
そういう意味で、今はまだ、誘拐という事件が起こったというわけで、相手の出方も何も分かっていない。
そう、誘拐事件の難しいところは、主導権を完全に相手に握られているということである。
戦争において、制空権も制海権も握られてしまった状態で、一体どのように戦えばいいというのか、福岡刑事が、一番恐れていた事件というのは、こういう誘拐事件だったのである。
誘拐事件に、どのように立ち向かえばいいのか、正直、予備知識はなかった。一口に誘拐事件といっても、犯人の目的が何であるかということが分かって、初めて動き出すことができるのだ。
何も分かっていない段階で、動くというのは、まるで自殺行為だ。それこそ、地雷が敷き詰められていると分かっている平原に、足を踏み入れるようなものである。
福岡刑事は、学生時代、歴史が好きだった。
最初の頃は、戦国時代や幕末などと言った、
「いわゆる一番ベタな時代」
に興味を持っていたが、大学時代に見に行った映画を見て、
「大日本帝国」
の時代に大いなる興味を持ったのだ。
日清、日露戦争から、大正、昭和初期の激動の時代、そこから敗戦までを、結構本を読んだりして、いろいろ勉強したものだった。
それぞれの時代に魅力があり、
「今の日本国とは正反対の国家が、昔存在していた」
という程度の知識しか持っていなかったのだが、そのうちに、
「大日本帝国があって、今の日本国があるのだ」
と思うようになってきた。
なるほど、敗戦の時、連合国はすべてを大日本帝国首脳に押し付けて、
「勝者の理論」
としての自分たちの正当性を、極東国際軍事裁判で、戦犯を裁くということで、ごまかしてきた。
だから、日本国になってからの教育は、すべて、大日本帝国を否定するかのようなものになっていたが、若干の仕方のない部分はあるとしても、精神までは、変えることはできないだろう。
「一つの時代が終わって、新たな時代が生まれてくると、かつての時代の遺産は、すべて葬り去る」
というやり方は、昔から存在していただろう。
例えば、時代が江戸時代になると、豊臣時代にあったものをすべて廃棄して、跡形も残さないようにし、さらに、当時の豊臣家の家臣でも、徳川の政治に役立つ人間が、正義として扱われ、徳川に逆らった人間は、すべて、極悪人であるかのような伝えられ方をしてきた。
最近でこそ、いろいろな研究から、何が正しかったのかが、証明されてきているが、数百年という間に、
「極悪人」
として伝えられてきた話は、そうは簡単に拭い去れるものではないということであった。
大日本帝国の名誉も、なかなか解消させない。しかも、かつての日本の所業を詰められると、何も言えなくなる。
本来であれば、
「大日本帝国がアジアに対して行った行為が侵略に当たるのかどうか?」
という議論が行われてしかるべきなのに、今は完全に、
「あれはアジアへの侵略だったのだ」
というところから話が始まっているように思えてならない。
だから、大日本帝国は天皇中心の侵略国家だったのだというような、まるで他の国の出来事でもあるかのように扱われている。
日本国としては、そちらの方が都合がいいのかも知れない。
「かつて侵略の歴史が繰り返された」
ということを事実として受け止め、日本国民が、皆そう思っているのだということを、半日を謳っている国であったり、その国内の組織に対して、
「俺たちは、過去にそういう歴史があったかも知れないが、今ではそんな過去を憎んでいる」
とばかりに言ってしまえば、今の時代にふさわしい、平和国家なのだということを表していることを世界に胸を張って言えることになるだろう。
ただ、それでいいのだろうか?
大日本帝国の政府も国民も、皆、この国のことを、国の将来を憂いてきた結果が、敗戦だった。
作品名:墓場まで持っていきたい思い 作家名:森本晃次