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一足す一は?

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 つまり、そのパラレルワールドの照明がなされれば、そこから、マルチバース理論の究明も可能になるかも知れない。
 ただ、まだ、パラレルワールドに関して分かっていないのだから、底から先はあくまでも、可能性の問題だ。
 しかし、視点を変えると、マルチバース理論の方が、今の自分たちの考え方に、近い者があるかも知れない。ただ、これも、あくまでもパラレルワールドが存在するという前提のもとに始まっているものであるから、やはりカギを握るのは、パラレルワールドの解明ではないだろうか?
 マルチバース理論が証明されれば、そこから歴史を見ていくという新しい見方も出てくるだろう。
「将来において、今の自分たちが正しかったのかどうか、歴史が必ず答えを出してくれる」
 というセリフを、ある事件を題材にした映画を見た時、青年将校が言っていたのを、覚えている。
 これは、かなり昔にあった映画を有料放送で見たのがきっかけだったのだが、桜沢が、明治後半から、大東亜戦争終了までの間の、いわゆる、
「大日本帝国時代」
 も歴史に興味を持ったのは、この映画も一つの大きな影響だったことは間違いない。
 ただ、この事件に関しては、今のところ、
「歴史による答えは出されていないのではないだろうか?」
 というものであった。
 この事件をきっかけに、軍部が政府と隔離する形で、独断専行が目立ってきた。
 それは、当時の大日本憲法に定められたように、
「天皇の統帥権」
 という。
 つまりは、軍部というものは、
「天皇直轄に存在している」
 ということなのだ。
 つまり、軍部に関することは、すべて、天皇の許可がいるということであり、逆にいえば、天皇の許可さえあれば、政府は、いくら総理大臣であったとしても、その拘束力は存在しないのだ。
 今の、ソーリのような情けなさと違って、当時の総理大臣には、もう少し力があったような気がするが、それでも、軍部には口を出せないのだ。
 それがいい面にも悪い面にも結び付いてくる。
 つまり、陸軍でいえば、陸軍三長官と呼ばれるうちの二つにあたる、
「参謀総長と、陸軍大臣を兼任することはできない」
 ということである。
 憲法で明文化されているわけではないが、それだけ、軍部の一人に権力が集中することになるからだった。
 参謀総長というのは、本当の群のトップであり、有事の際の作戦の立案、そして、立案に対しての決定権、さらには、予算の問題など、すべての決定権は参謀総長にあり、それを天皇に上奏するという形になるのだ。
 しかし、陸軍大臣というのは、あくまでも大臣であり、政府の役人であった。
 政府と軍部は独立しているという観点から、陸軍大臣といえど、参謀総長の意見に従わなければいけない。
 つまり、戦争を始めたのは、政府であっても、政府には戦争継続のための権限は一切ないのだ。
 さらに、作戦などの最高機密を、政府が分かるはずもなく、開戦時、首相と陸軍大臣を兼任していた東条英機であっても、軍の作戦や今後の見通しはまったく分からなかったおである。
 あくまでも、有事になれば、臨時で作られる大本営が、軍のすべてであり、政府もそれに逆らうことはできない。
 それが、大日本帝国における、国難を打開するために始めた戦争を、致命的にならしめた一番の原因だったのかも知れない。

                 大団円

 そんな大日本帝国であったが、結局、無謀な戦争にアメリカから引きずり込まれる形で、最期は国土を焦土にされる形で、終結することになった。日本は、体裁からなのか、敗戦という言葉があまり使わない。
「8月15日も、敗戦日ではなく、終戦記念日」
 なのである。
 さらに、この戦争を、閣議では、大義名分のある、
「大東亜戦争」
 と名付けたのに、連合国は、それを許さなかった。
 大義名分としては、
「欧米に植民地にされているアジアを開放するために起こす戦争」
 ということだったからだ。
 極東国際軍事裁判において、日本を裁くためには、その大義名分があってはいけないということで、大東亜戦争ではなく、
「太平洋戦争」
 などという曖昧な名前に急遽変えてしまったのだ。
 そもそも、戦場は、太平洋だけではない。中国本土から、東南アジア、さらにインドにかけての、アジア全般も戦争の範囲だったはずではないか、正確を期すのであれば、
「アジア・太平洋戦争」
 というのは、正解ではないかとおもうのだった。
 だが、実際には、太平洋戦争のまま、裁判も行われたわけだが、そのうちに、サンフランシスコ平和条約が結ばれて、日本は、晴れて独立国になった。その時点で、
「太平洋戦争」
 という言葉を使用する必要はなくなったのだから、当初も歴史の通り、
「大東亜戦争に戻せばいいはずではないか」
 それをしなかったということは、どういうことなのか? 日本人は、大日本帝国の時代を黒歴史として、自分たちとは違う人種であり、
「亡国を招いた」
 という位置づけになってしまうではないか。
 それを思うと、この戦争において、日本は。
「歴史が答えを出してくれたわけではなく、その必死で守ろうとした日本という国が民主主義に変えられてしまったせいで、悪者にされただけになってしまったのだ」
 といえるだろう。
 だとすると、青年将校の、
「歴史が必ず、答えを出してくれる」
 といった、あの言葉が本当だとすれば、
「結果は、自分たちの行った行動は、亡国を早めた」
 ということになるのだろう。
 しかし、彼らだって、国を憂いて行ったことだったはずなのだ。それは、戦争を始めた軍部、政治家においても同じだったはず。それでも、結果は戦時中における国民への迫害を招き、さらには、すべての物資の供出であったり、命までも供出されることになったのだから、結果責任を取らなければならないのは、当然であろう。
 だからと言って、
「国を憂いての行動だった人間の傷口に塩を塗るような真似までして、それが正しいことなのだろうか?」
 と考えてしまう。
 つまり、日本という国は、
「敗戦してしまった時点で、すでに違う国になってしまった」
 ということであろうか?
 それがいい、悪いという問題で考えれば、これも、
「歴史が答えを出してくれる」
 といってもいいのだろうか?
 パラレルワールドを考えた時、キーワードとなるタイムパラドックスについては、
「過去に行くことで。過去を変えれば未来が変わる」
 という発想から、
「危険すぎる」
 と言われてきたが、もう一つの問題は。
「未来が絶対に見えない」
 ということだ。
 答えは絶対に分からないというのが、歴史であり、時代の流れなのだ。未来において、どうなっているか? そこには、答えを導き出すための未来があるのか?
 ということであった。
 少なくとも、大日本帝国は答えを見いだせなかった。我が国である、日本国はどこに行こうとしているのだろう?
 今の国家や政治家を見ていると、
「大日本帝国の政治家や軍部の人たちの爪の垢でも煎じて飲みやがれ」
 といいたくなるのも、当たり前のことではないだろうか?
 時間というのは、
作品名:一足す一は? 作家名:森本晃次