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一足す一は?

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 のである。
 そんな歴史の中の、
「もしも」
 というものの存在を考えた時、ここで出てくるのが、前述の、
「パラレルワールド」
 であったり、
「マルチバース理論」
 であったりする。
 パラレルワールドという言葉はよく聞くことがある。
 世の中には、次の瞬間に、無数の可能性があるということで、その数だけ本当に世界が広がっているという考え方で、さらに次の瞬間には、そこから先に無限に広がっているということにある。
「無限大の無限大乗」
 といっていいのだろうか?
 そんな可能性を考えていくと、頭が混乱してくる。
 もっといえば、
「ここでいう瞬間というのは、どの瞬間なのだろう?」
 と考えるのだ。
 単位で言えば、一秒なのか、それとも、一秒の一万分の一なのかということになる。
 そうなると単位ではなく、感覚的な瞬間ということになればどうだろう?
 今度は、そうなると、
「一人一人によって、その瞬間という長さが違うのではないか?」
 という発想になると、また頭が混乱してくる。
 それぞれの人間で瞬間が違うとなると、人とのかかわりもありえないということにある。
「その違いこそが、パラレルなんだ」
 と言われれば、そんな気もするが、やはり頭が混乱してきて、どうしようもないといってもいいだろう?
 パラレルワールドというものを考えた時のキーワードとしては、無限という言葉と、この場合の瞬間という言葉を対にして考えないといけないものなのではないかと、桜沢は考えた。
「では、マルチバースというのは、どういうものなのだろう?」
 マルチバースというのは、今まで、
「宇宙は一つだ」
 と考えていたものが、実は、もっとたくさん似たような宇宙が、自分たちの宇宙の外に広がっているのではないか?」
 という考え方である。
 宗教の中で、
「死後の世界」
 というものが存在していると考えられているが、これも少し昔から、
「死後の世界」
 というのは、どこか宇宙の果てに存在しているという考え方があったというのを聞いたことがあった。
 それが、ここでいう、
「マルチバース理論」
 というものではないだろうか?
 さらに、前述のパラレルワールドと組み合わせると、宇宙だと思っていた一つの宇宙は、またさらに無限なほどに広がっていると考えられる。
 たくさんの宇宙が広がっていて、たくさんの可能性がある中で、実際に目の前にいる人間との出会いを考えると、実に偶然がいくつも、それこそ無限に重なっての出会いだということになる。
 そうなると、
「神がいるのではないか?」「
 という考えに到達し、神の存在を度返しして考えると、この
「マルチバース理論」
 というものの存在を認めなければ、説明がつかなくなる。
「マルチバース理論の証明は、マルチバース理論でしか説明できなくなり、やはり、マルチバース理論は確かに都合のいい考えであるが、必要不可欠な考え方なのではないだろうか?」
 といえるであろう。
 そんなマルチバース理論で歴史などを考えていくと、これはもちろんありえないことであるが、
「歴史をさかのぼる」
 あるいは、
「歴史は変えられる」
 などという発想が可能になってくるわけだ。
 可能性のかずだけ、パラレルワールドが存在しているという考えになれば、どちらに行くかはその人それぞれではないだろうか?
 今までの発想は、
「世界や宇宙が一つ」
 だということだったわけなので、
「歴史という道は、一本しかなかった」
 というわけである。
 しかし。人それぞれで心境が変わるわけだ。前の瞬間で違う選択をしていれば、別の世界が広がるといえよう。
 この考えがなかった今までの、
「世界は一つ」
 という理論で考えるから、タイムパラドックスなどという発想が生まれ、
「タイムマシンを作ることは、理論的に不可能だ」
 ということになるのだろう。
 つまり、一つ言えることは、タイムマシンの欠点は、
「過去に行って、過去を変えてしまうと未来が変わってしまうので、戻ってきた世界が変わってしまっている」
 ということになるだろう。
 そう考えると、この問題は浦島太郎の話にも影響してくる。
 浦島太郎が戻ってくると、数百年後の世界だったということで、すぐに発想は、
「アインシュタインの相対性理論」
 の、
「光速で動けば、それだけ、その時間は、ゆっくりになるという発想」
 が、浦島太郎の話に即行で結びついてくるので、却って発想が浮かんでこないのだが、
「これは、タイムパラドックスの発想になるのではないか?」
 といえるだろう。
 つまり、
「宇宙は一つ」
 という概念で考えるから、浦島太郎の未来は変わってしまった。つまり、竜宮城に行くということ自体が、まるで、
「過去に行って、未来を変える」
 というような発想に近いものだったのではないかと考えると恐ろしい。
 相対性理論の話なのか、それともタイムパラドックスの話なのか、どちらにしても、現代においても、いまだに研究が続けられているような話を、古代の人が考えたということだろう。
 どちらにしても、この話の謎を解くカギが、今研究されている、
「パラレルワールド」
 であったり、
「マルチバース理論」
 の考え方だと思うと、実に興味深いことであろう。
 マルチバース理論を考えることで、今まで解明できなかったことを、一つ一つ考えていけば、解明されることもあるのではないだろうか?
 歴史は一つなどではなく、人間一人一人に存在するものであって、一人だけが辻褄が合って、他の人は、
「その世界では主人公のために生きている」
 ということになると考えれば、他の世界では、他の人が主人公で、自分と同じ人間が、その人のために生きている世界があるのかも知れない。
 そうなると、
「自分がいる世界は、自分だけのもので、後の人間は、まやかしに違いない」
 などと考えると、
「カプグラ症候群」
 なども、説明がつくのかも知れない。
「まわりの人は皆、悪の組織によって、替え玉とすり替わっている」
 という発想だが、マルチバースで考えれば、自分以外の人間は、その他大勢なのだから、その感覚もまんざらウソともいえないだろう。
 つまり、マルチバースやパラレルワールドを証明できれば、他のたいていのことは、
「マルチバースだから」
 ということで、解決するようになるのかも知れない。
 そんな発想をしていると、歴史と科学という奇妙な関係も、
「ありなのではないか?」
 と考える。
 むしろ、その二つは、
「時間」
 というキーワードで結びついているではないか。
「キーワードが一つでは薄すぎないか?」
 と言われるかも知れないが、
「これで十分なんじゃないか? 時間が次元や無限性などというものを生み出し、そこから時系列も信憑性に切り込んでいく考え方。理路整然としていれば、そこに、何ら無理があるというのか?」
 と桜沢は考えている。
 歴史というものが持つ意味であったり、パラレルワールドの可能性は、昔から言われてきたが、最近は、理論物理学でも、その考え方の照明が図られているという。
作品名:一足す一は? 作家名:森本晃次