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一足す一は?

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「過去があって、現在がある、そして、未来が広がっている」
 ということであるが、現在はとにかく、一瞬なのだ。
 すぐに、過去になってしまう。
 現代から未来を見ると近づいて行っているし、過去は遠ざかって行っている。この理論は、乗り物にでも例えれば、簡単に説明できるものだ。
「一足す一が二になる」
 という理屈を説明するよりも、実に簡単なことである。
 その説明を頭に描きながら、歴史と科学を考えている。
 歴史というものが、何かの答えを出してくれるのだとすると、そこには、必ず、パラレルワールドと、マルチバース理論が働いているはずである。
 そんなことを考えていると、
「今の時代が、本当にどこを目指しているのか分からないが、マルチバース理論に目を向けるようになったというのは、一つの突破口なのではないか?」
 と考えられる。
 しかし、それあくまでも、ちゃんと、理論を考えようとしている人が、トップにいるかどうかということも問題になるのだ。
 今の日本は、トップが政治家ではないか?
 そんな政治家によって作られる政府が、このようなひどいものであって、先の歴史に、期待が持てるというものだろうか?
 自分の保身のために、自殺する人が出ても、何とも思わなかったり、自分を守ってくれる検察官を、定年にしたくないというだけの理由で、
「法律を変えようとした人間だっているんだ」
 という。
 それが、時のソーリだったのだから、本当にこの国は腐っている。
 大日本帝国の頃の政治家を見習ってほしいものだと思っているが、しょせんは、権力を持つと、国民は虫けら程度にしか見えないようになってしまうのかも知れない。
 それとも、
「見えているのに、まったく気にならない」
 というような、
「路傍の石」
 とでもいえばいいのか、政府の人間はしょせん、皆そうなのだ。
 あの男がソーリを辞めてから、今で三人目のソーリであるが、ある意味では、どんどんひどくなっていっているではないか。
 少しでも期待をかけたはずの人も、総裁選が終わり、2、3カ月もしないうちに、その信用が地に落ちてしまった。要するに、
「長いものには巻かれてしまう:
 という、腰抜けソーリでしかなかったのだ。前のソーリの、
「黒幕の傀儡」
 のような人間よりも、今の方がもっとひどい。
 これを掲載する頃には、果たして、まだその男がソーリの座にいられるかどうか、見ものであろう。
 そんなことを考えていると、桜沢は、自分が梅林を意識していることを感じた。そして、梅林も、桜沢が似たようなことを感じているというような感覚を持っていたのだ。
 自分のものだけを大切にするという感覚は、ある意味、
「自分ファーストだ」
 という意味で、あまりまわりからいい感情を与えないことだろう。
 しかし、もう一つ言えることとしては、
「自分を大切に思えない人が他人を大切になんかできるはずがない」
 といえるのではないだろうか?
 桜沢は、そんな自分のことを、恥ずかしいと思うのか、あまり人には話せないでいる。だからこそ、こうやって妄想の世界に入りするのだろうが、それも、その出発点とすれば、
「一足す一は二」
 という、算数における、基本中の基本を理解できなかったことにある。
「俺は頭が固いんだな?」
 と思うよりも、それだけ、疑問に思っていることを、余計に深く感じるようにしようという思いから来るのかも知れないと思うと、次第に発想が膨れていって、それこそ、
「膨れる発想」
 を象徴するかのように、
「パラレルワールド」
 であったり、
「マルチバース理論」
 であったりする発想を、永遠のテーマのように考えられている、
「タイムパラドックス」
 を解き明かすカギになると考えるようになった。
 それは、自分が、
「人に余計なことをしたくない」
 という思いからなのか、それとも、算数の時の疑問を、歯車が噛み合わないと思っていたことの、反動なのか、人と話さないことが功を奏しているような気がする。
 ただ、似たようなことを思っていながらも、梅林は、人に自分が考えていることを、結構話したりする、
 ただ、これは不思議なことなのだが、彼が他人に話したことは、聴いた人の意識の中には存在しているようなのだが、実際に、その思いが表に出てくることはないということであった。
 つまり、桜沢が、梅林から聞いた話をその人から聞きそうとしても、
「あれ? 聞いていて覚えているはずなんだけど、人に話そうとすると、どんな内容だったのか忘れてしまったんだよ」
 というではないか?
 その内容は、しかし、いろいろ確認してみると、桜沢が一人で妄想していることに酷似しているように思えるのだった。
 それは、話を聞いた人が、口では言わないが、何かを訴えているような気がしてくるからだった。
 言葉では表現しにくいことなので、相手に伝えるのが難しいということを、今自分も感じていて、梅林から聞いた人も感じているのだ。
 お互いに、気持ちが通じ合えたような気がしたのだが、それは目の前の人間に対してではなく、梅林に対してだった。
「人を介しても、気持ちが通じるというのは、まるでパラレルワールドにおいても、同じような関係性でいて、それでいて、いずれどこかでは、分かり合っている二人がいるのではないか?」
 と思えたのだ。
 それが、二人にとっての、
「真実」
 というものであり、ただ、その真実というのは、事実というものとは違っているものではないだろうか。
 お互いに、そんな世界の存在を知っていて、求めているのではないかと思うと、二人がどこかで理解しあっているその世界というのは、
「理想の世界だ」
 といえるのではないだろうか?
 それはあくまでも、
「二人にとっての、理想の世界」
 であり、自分たちそれぞれでは、また別のパラレルワールドなのであろう。
 そう考えると、個人の数だけの世界があるわけではなく。さらに人との絡みの数だけ世界があると思うと、ふと、小学生の頃の、
「一足す一は、本当に二なのだろうか?」
 と思えるのだった。
 そう思うと、小学生の頃に習った算数を、最初から信じて、歯車を合わせるというのは、ある意味、
「危険ではないだろうか?」
 と思えるのだった。
 つまりは、
「マルチバース理論も、パラレルワールドの世界も、自分で思っているよりも、さらに広いものではないだろうか?」
 無限だと思っているにも関わらず、さらにそれよりも広いというのは、どういうことか?
「今、無限だと感じているのは、果たして無限ではなく、そのことを自分でもウスウス感じていることで、生まれる発想なのではないか?」
 と感じるのだった。
 考え方として。
「一足す一は、二などではなく、三でも四でもない。最初から無限なのだ」
 という発想を持ったとしても、決して無理なことではない。
 無限というものを、概念でしかないと思っていること自体が、
「科学に対する冒涜ではないか?」
 と、最近感じるようになった。
 自分のものだけを大切にするという発想。これは、
「俺くらいしか思わないよな、こんな変な発想」
 と思っていたのだが、きっと皆同じことを思っているに違いない。
作品名:一足す一は? 作家名:森本晃次