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一足す一は?

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 すると、先生は、次第に苛立ってきたようで、そのうちに、キレたかのように、
「そうなっているんだから、そうなのよ。あまり深く考えずに、あなたも、そういうものだって思うようにしなさい」
 と言われた。
「この一言は、ないわ」
 と正直感じた。
 そもそも、こんな言葉を聞きたくて聞いたわけではない。正解などあるはずもないし、あったとしても桜沢少年にわかるはずもない。
 それなのに、出した答えがこれとは、実に情けないと言えるだろう。
 この言葉は、正直、
「NGワード」
 である。
 罰ゲームに値するくらいのもので、いや、そんな生易しいものではない。
「そんな答え方をすれば、生徒に勉強に対してトラウマができるのではないか?」
 と感じないのだろうか?
 この返事が、算数だけではなく、普通に入ることができた。国語は理科や社会などの教科についても、理解できるものではないことを示しているに違いない。
 さすがに、他の教科に影響することはなかったが、算数に関しては、四年生の後半くらいまでは、まったく理解ができなかった。
 何しろ、最初から分かっていないのだが、分かっていないものの上に何を載せても、結果は一緒のはずだ。
 1,2年の頃は同じ担任だったが、3、4年では違う担任になっている。
 さぞや、三年生以上の担任からは、
「どうして、桜沢君は、算数がこんなにひどい成績なんだろう?」
 と思われていることだろう。
 最初の担任からの引継ぎがあったとしても、ここまで詳しいことの、説明を受けているわけでもないだろうし、もし、引継ぎが必須だったとしても、自分のマイナスになりそうなことを、あの担任がいうはずもない。
 それはもちろんのことであり、そもそも小学校の先生というと、ブラックと言われるほど忙しいという。
 そんな状態で、生徒一人一人の、
「申し送り」
 などできるはずもないだろう。
 それを思うと、桜沢は、先生のことを、
「少し可哀そうかな?」
 とも思ったが、
「先生である以上、しなければいけないことはあるはずだ」
 という思いもあり、放っておくわけにはいかないことも多いはずではないだろうか?
 そんな先生のことを気にはしていたが、それでも、自分のことだけに、先生を気にしている場合でもない。
 ただ、もう、他の先生に聞くこともできなかった。
 やはり、前に聞いた時のトラウマが残ってしまったからである。
 そんな桜沢が、
「算数の呪縛」
 から逃れられたのは、ある意味偶然だったといってもいいだろう。
 その偶然があまりにも、偶然だったということもあってか、どういうことだったのかというのも覚えていない
 覚えていないのだが、何かのきっかけがあって、いつの間にか、算数の呪縛から逃れることができるようになったのだった。
 それまで分かっていなかったことが、さっと解けてくると、この四年間の問題は一気に解決できたような気がした。
 要するに、
「最初の歯車が噛み合っていなかっただけだった」
 ということなのだ。
 つまり。
「一度狂った歯車が噛み合えば、そこから後ろはしっかり噛み合っている」
 ということであり、今回噛み合わなかった歯車が、たまたま最初だったというだけのことだったのだ。
 たまたまというのは、今まで分からずに苦しんでいた自分自身に悪いということなのであろうが、それでも、歯車が噛み合ってくると、それまでの悩みが一気に晴れてきたのだった。
 そして、それから、二年もしないうちに算数が面白くなってきて、気が付けば。小学生を卒業していたのだ。
 だが、今度は、算数が、数学という科目に変わった。
「言葉が変わっただけなのかな?」
 と思ったが、内容もかなり変わっているように思えたのだ。
 それは、桜沢が特に感じたことであって、他の生徒も若干は感じていただろうが、そこまで変わったという意識はないような気がした・
 だが、それは、小学生の頃の算数に対して向き合ってきた視線が、桜沢と他の生徒で、かなり違っていたからではないだろうか?
 というのも、小学生の頃の、算数という学問は、自分の自由な発想で解くものだったのだ。
 先生が言っていたこととして、
「算数は、答えがあっているかどうかということよりも、それを導き出すために過程というものが大切になってくる」
 ということであった。
 そして、先生はさらに、
「答えはいくら一つであっても、その解き方がどのような解き方であっても、間違ってさえいなければ、すべて正解なんだよ」
 というではないか。
 他の人がその言葉を聞いてどう感じたのかは分からなかったが、桜沢にはその言葉の意味がよく分かっていた。
「なるほど、この考え方を、自分の中で無意識に分かったから、一足す一の呪縛から解き放たれたのかも知れないな」
 と思ったのだ。
 算数を好きになったのは、それまで理解できなかったことが、短時間で一気に理解できるようになったからというのも、その通りなのだが、それ以上に、今の先生の理屈を、言われる前に、自分で理解できていたからなのかも知れない。
 ただ、中学生になってから、今度は算数が、数学に変わった。
 数学というのは算数と違って、
「公式:
 というものがあり、基本は、その公式に当てはめて、答えを導き出すというようなものが数学だった。
 幾何学という別の種類のものが数学にはあるが、それ以外は、
「代数」
 という言葉で表されるとおり、
「公式に数字を当てはめて、それを決まった法則の元に解く」
 というのが、数学だったのだ。
 まるで、積み木遊びのようではあないか。
 つまり、決まった法則に当てはめるだけ、それをいかに正確に解けるかということであり、そこには算数のような自由な発想はないのだ。
 算数の頃の自由な発想は、すべて、数学における公式の中に当てはめられてしまい、それ以外は存在しないという、ある意味で、乱暴な学問なのではないか? と思えるようになったのだった。
「数学には、遊びの部分はないんだな」
 と感じた。
 その遊びというのは、
「余裕」
 であったり、
「自由な発想」
 という二つの意味での発想ができないということであった。
「せっかく、算数を理解して、これから、いろいろたくさんの自由な発想をしていこうと思っていたのに」
 という気持ちが強く、数学になると、またしても、最初で躓いてしまった。
 今回は、算数の時のように、
「偶然のタイミング」
 起きなかったのだ。
 好きな発想はどこにもなく、勉強をしているつもりでも、ついていくのがやっとだった。
 しかし、幸いなことに、数字や、パズル的なことは嫌いではなかったので、数学の中でも、因数分解や、展開、さらに、高校に入ってからの、三角関数のようなものは嫌いではなかった。
 それでも、他はまったく興味がなかったので、分かるはずもなく、テストを見た先生は、
「桜沢のやつ、どうして、こんなに分かるものと分からないものの差が激しいんだ? しかも、分かりやすく全問正解していたり、全問不正解だったりというのは、どういうことなのだろう?」
 と思っていることだろう。
作品名:一足す一は? 作家名:森本晃次