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一足す一は?

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 それがいつのまに、こんな他人との関係が、こじれそうな性格になったのか、自分でも分かっていないようだ。
 そもそも、桜沢のようでは、何となく分かっていた。だから、梅林に対して、
「あいつには近づかんどこう」
 と思うようになっていた。
 そして、梅林のことを、
「反面教師」
 と見立てて、
「やはり、自分のことをペラペラ話すというのは、結果として、ロクなことにならないんだな」
 と思うのだった。
 桜沢は、それでも、自分の姿勢を変えようとはしない。まわりから、胡散臭そうに見られているのも分かっているはずなのに、どうしても、高飛車のようになっているのだが、その態度を辞めようとはしないのだった。
「まるで、宗教団体から、洗脳されているかのようではないか?」
 と感じていた。
 桜沢は、自分の家族を見ていると、頑なな態度を取ると、自分が損をするということを分かっているつもりだったのに、そのくせ、
「人と同じでは嫌だ」
 という気持ちを抱いていた。
 しかも、この思いは優先順位としてはかなり高く、基本的に、この考え方が、自分の中の発想の中枢を担っているといっても過言ではないだろう。
 梅林が反面教師のはずが、どこか、少しおかしな感覚を受けるのであった。
 喋り方にそんな角が立つような感覚はないのだが、話しているうちに、どこか苛立ちを感じる。
「どこかに、しつこさのようなものがあるのだろうか?」
 と考えてみた。
 だが、話を冷静に聞いてみると、
「俺の意見にいちいち、似ているところがあるんだよな?」
 と感じた。
 かといって、それが、同意を得るほどのものでもない、その証拠に、すぐには理解できなかったではないか。
 つまり、
「どこか、言葉に重みが感じられない」
 ということなのだ。
 それを思うと、苛立ちというよりも、もっと次元の違うところでの感覚の違いがあるような気がした。
 いろいろ考えてみると、
「相手のことを考えて、話しているわけではない」
 と感じるところであった。
 耳障りが悪くないのは、
「相手に話を合わせている」
 というところから来ているのではないだろうか?
 その思いがあるからこそ、こちらが、話を深めていっているつもりなのに、相手がそこに入ってこないことで、苛立ちを覚えるのだ。
 そんな人間は、意外に結構いるのかも知れない。だが、桜沢には、今まで感じたことのほとんどなかった感覚だった。
 桜沢は、そういうタイプの人間というのは、最初に少し話しただけで、すぐに見抜けるだけの力を持っていたのだ。だから、気に入らない相手であれば、こっちからブロックを掛けて、近寄ろうとはしない。
 たまにそれを、
「何か冷たいやつだな」
 と思っているような人もいるようだが、
「これを冷たいと思うような人とも、関わり合いにありたくもない」
 という思いがあったのだ。
 そういう意味でいけば、早い段階で嫌いなタイプの人間を見分けることができる。
 ただ、その反面、
「自分のことを嫌っているのではないか?」
 と思えるような相手を早い段階で見抜くことは苦手だった。
 もっとも、相手が嫌っているのであれば、相手の方から遠ざかっていくだろうから、それほど気になることはない。
「来る者は拒まず」
 という性格であり、
「去る者も追わず」
 という性格でもあった。
 ある意味、人間に対して、ドライなところがあるタイプの人間なんだといってもいいだろう。
 そんな桜沢が、今回、梅林に対して、苛立ちを覚えたというのは、正直、今までにないパターンだったこともあって、自分でも、この心境の変化を不思議に感じていた。
 そもそも、人とのかかわりは、以前からずっと苦手だと思ってきた。特に、相手が何を考えているのか分からないという時期が子供の頃に結構あったので、その思いの強さから、自分でも、どうしていいのか分からないという気持ちになってくるのだった。
 相手の考えていることが分からないという発想は、小学生の頃の担任の先生にあったのかも知れない。
 あまり勉強が得意ではなかった桜沢だが、その原因の一端を作ったのが、小学生の時の担任だと思っている。
 最初こそ、一生懸命に勉強をしていたつもりだったのだが、根本的な最初のところが理解できないでいたのだ。
 これは極端な話であるが、
「一足す一は二」
 という算数の、基礎中の基礎があるが、それが、まず理解できなかった。
 本当であれば、そんなものは理解するものではなく、スルーしてから、
「そんなものなんだ」
 と思えばいいことなのだろうが、桜沢少年はそうはいかなかった。
 もっとも、引っかかってしまったのは、気持ちの上での、
「タイミング」
 だったのかも知れない。
 その時の精神状態は、それ以外の精神状態であれば、普通にスルーできたのだろうが、たまたま、スルーできないタイミングに入り込んでしまったのかも知れない。
 それは、100のうちの1くらいの確立の低いタイミングだったのだろう。中には、桜沢のように、いきなりひっかかる人も少なくはないのだろうが、少なくとも、同じように、最初で躓いてしまったというような人間と出会ったことはない。
 ただ、その感情を、自分で分かっていても、それを他人に明かそうという人自体がいないのかも知れない。
 かくいう桜沢もそうだった。
「こんなこと、人に話すことではない」
 と思っていたのだ。
 ただ、いきなり引っかかった問題をそのままにしておくわけにはいかない、学校の授業は、基本的なところは、
「皆分かっているはずだ」
 ということで、先生も気にせずにどんどん先に進んでいく。
 小学3年生くらいまでは、それほど算数で引っかかるところはないのが普通だと思っていた。
 自分も、最初さえ引っかからなければ、算数に苦手意識を持つわけはないと思っていたのだ。
 それを苦手だと思うようになったのは、先生に相談したからではなかっただろうか?
 先生に相談した時は、さすがに恥ずかしかった。その時はすでに2年生になっていて、先生から言われることは分かっていたからだ、
「何で、最初に教えた時に、分からないって言わないんだ」
 ということであった。
 案の定、先生はそう言って、少し呆れたような表情をした。
 しかし、桜沢が、
「先生、じゃあ、教えてください。どうして一足す一が二になるんですか?」
 と聞くと、先生はとたんに困った顔になった。
 明らかに、第一声と矛盾しているからである。
「今聞いて困るくらいだから、最初に聞いても困ったはずではないか?」
 と思うと、腹が立ってきた。
「じゃあ、さっきの文句を言える資格なんかないじゃないか?」
 ということであった。
 これが相手が先生でなかったら、文句もないだろう。そもそも、先生でなければ分かるはずはないとも思っていて、先生だって、本当の理由を知らないのかも知れないとも思っていた。
 それを分かっていたので、最初に聞けなかったというのもある。しかし、聴いた時に、
「なぜ早く言わなかった?」
 と聞くなど、ありえないことだろう。
 そんなことを思うと、先生に対する不信感が募ってきた。
作品名:一足す一は? 作家名:森本晃次