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もう一人の自分の正体

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 実際に宿題をしていかないことは、自分でも理解できないことだった。宿題が出ていたことを覚えていないなんて、
「まるで、健忘症のようじゃないか」
 それこそ、年寄りを題材にしたコントを見ているようだ。
 食事が終わっているにも関わらず、
「おばあさん、朝食はまだかな?」
 というと、
「おじいさんや、今食べたじゃないかい?」
 という会話であったり、さらには、
「おばあさん、私の眼鏡はどこかのう?」
 というと、
「ほれ、ちゃんと掛けてるじゃないかい?」
 と、実際に掛けていることすら分かっていない状態のようではないか。
 ただ、こういう会話を笑うくせに、宿題は本当に覚えていないのだ。
「本当に、好き嫌いで、記憶が変わってくるのだろうか?」
 と感じてしまう。
 自分のことのはずなのに、信じられない気分である。
 そう感じるようになってから、そのうちに都合の悪いことを忘れていくようになった。
 それは、自分の中で都合の悪いことであって、本当は憶えておかなければならないことですら忘れてしまう。まるで、宿題を忘れるのと、同じではないか。
 そう思うと、
「自分にとって都合の悪いこととは、どういうことなのだろう?」
 と思うようになった。
 それは、決して、
「覚えておかなければいけないこと」
 と同じではない。
 同じではないから、宿題を忘れてしまい、先生に叱られる羽目になるのだった。
 そんなことを考えていると、
「中学になってから、苛められるようになったのは、そういうところを嫌だと思った連中が、苛めてきたのだろうか?」
 とも感じた。
 そして、
「余計な一言を言ってしまう」
 というのも、それにかかわることなのかも知れない。
 確かに余計なことをいうと、苛められる可能性は高くなるだろう。そして、自分では、余計なことだとは思っていないので、
「どうして苛められるんだろう?」
 と感じるのだった、
 それだけが原因ではないだろうが、そう思うと、都合の悪いことを完全に忘れてしまうと、その忘れてしまったことで、大きな迷惑を被る人がいるだろう、そうなってしまうと、
「何が苛めの原因なのか?」
 ということを見失ってしまいそうな気がする。
 というのが、苛めの原因というのが、
「自分にとって、都合の悪いことだ」
 と考えていたとすれば、そんなことを考えていたということすら、忘れてしまうというような本末転倒なことになりかねないといえるであろう。
 苛めというものが、どういう経緯で起こるのか、いじめられっ子とすれば、分からないし、分かっていたとすれば、
「何かの対処法だって、思いつかないとも限らない」
 といえるのではないだろうか?
「さらに、自分にとって都合の悪いことは、自分では、意外と忘れていないのかも知れない」
 と感じているようだった。
 宿題に関しては、完全に忘れてしまっているのが不思議なのだが、自分にとって都合の悪いことは、
「忘れてしまいたい」
 と思うことではないかと感じるようになったのだ。
 苛められていた頃、自分にとって都合が悪いと思うようなことは結構あった。
 一つは、
「苛めに遭っているということを、親に知られたくない」
 という思いであった。
 不登校から引きこもりに至るまでの間、親に知られたくないと思っていた。
 それでも、耐えられなくなったことで、学校に行かなくなり、引きこもりになった。
 引きこもりになったのは、
「まわりにいろいろ言われるのが鬱陶しいからだ」
 ということであるが、まさに、
「親に知られたくない:
 という思いと同じである。
 親に知られたくないという思いは、別に親に心配を掛けたくないという思いではない。いろいろ言われるのが、鬱陶しいからだ。
 実際に言われたわけではないので、本当にどんなことを言うのか想像でしかないが、いいたくないことを、言わせようとするに違いない。この言いたくないことというのは、どうせ、
「どうして苛められるの?」
 ということを聞かれるに決まっているからだ。
 正直、こっちにだって分かっていないことだ。見当くらいはついているのだろうが、それが正解だとは限らない。
 しかも、それを言わなければいけないというのも、自分では嫌なことであって、もし、自分の考えが当たっていたとしても、外れていたとしても、親にいうようなことではなく、それを知られると、
「この俺が叱られるに決まっている」
 と考えるのだ。
 母親は性格的に、
「男っぽい」
 ところがある。
 つまり、
「苛められてスゴスゴ帰ってくるなんて、お前はそれでも男なのか?」
 と、いうようなことを言われるに違いない。
 もちろん、こんな言葉を投げられるとは思わないが、似たようなことを言われ、
「お母さんは、情けない」
 という、母親としての殺し文句を言われるに違いない。
「お母さんが情けなかろうがどうしようが、俺の問題なんだから、余計なことを言わないでほしい」
 と思うのだ、
 まさかとは思うが、学校に、苛めがあっているなどということを言いに行ったりはしないだろうか?
 もし、そうなれば、最悪である。
 なぜなら、
「子供の喧嘩に親が出てくる」
 ということで、学校からも、同級生からも、さらには、苛めっ子からも、皆から変な目で見られ、学校で四面楚歌に陥ってしまうであろう。
 母親は、
「息子が苛められて、スゴスゴ帰ってきた」
 という状況しか知らないのだ。
 負けん気の強い母親としては、黙って苛められているのが、自分の子供だと思うと、腹立たしく思うのだろう。
 学校に怒鳴り込んでいかなくても、このままいじめられどおしであれば、母親との会話もなくなってしまうことだろう。
 そうであれば、
「理由は分からないが、息子が引きこもりになってしまった」
 という方がマシかも知れない。
 これも、ある意味、都合の悪いことを排除して、相手に隙を与えることなく、自分の世界に入ることができるのだった。
 そういう意味では、
「引きこもりといういい手段を、先人たちが作ってくれていて助かった」
 といいたい。
 もちろん、引きこもりがいいことだとは思わないが、少なくとも、今の引きこもりは、決して珍しいことではなく、しかも、大人になっても引きこもっていることが多かったりするのだ。
 引きこもりをする前は、引きこもりというと、
「真っ暗な部屋に入り込んで、部屋を閉め切って、電気も消して、スポットライトとスマホの光だけで、ゲームでもしている」
 という光景が目に浮かんできた。
 少し前であれば、パソコンだったのだろうが、今はスマホの方が多いかも知れない。
 しかも、数年前のパンデミックで、
「おうち時間」
 なるものが、できてきたことで、スマホでのリモートが多くなった。
 しかも、パソコンなら、普通に買えば、10万円以上が主流になってくるだろうが、スマホだと、2,3万円で購入できる。
 しかも、仕事に使ったり、趣味などがあれば別だが、普通にゲームをしたり、SNSや検索くらいであれば、スマホで十分である。特にまだ中学、高校生の分際であれば、それで十分だと、親からも言われるに違いない。
作品名:もう一人の自分の正体 作家名:森本晃次