もう一人の自分の正体
「ええ、そうですね。子供のくせに、子供らしいところがなく、そのくせ、空気を読まないから、ある意味。最悪なやつだったといっていいと思います」
と言われた。
「それでも、さすがに、大人になってくるにつれて、だいぶ性格も和らいでくるものなんじゃないですか?」
と聞くと、
「それも、限界があると思うんですよ。大人になるにつれて、大人の考えを持つ人であればいいんですが、頑なな気持ちを持っていて、大人になってまでも、子供の気持ちのまま大きくなって、それが正しいと思い込んでいるような人には、ある程度の年齢になれば、もう何を言っても同じことだということになるのではないかと思います」
というのだった。
「じゃあ、岡崎という男は、もう、どうしようもないところまで行ってしまっていたといってもいいんでしょうか?」
と聞くと、
「まあ、普通の時は、普通の大人の対応なんでしょうが、どうしても、自分の中に結界があって、その部分は頑なで、人が入り込む余地もないとすれば、その部分は、どうしようもないんでしょうね。それが表に出てくれば、一気に人望を失うし、もし、付き合っている女性がいるとすれば、一気に離れていくに十分なきっかけになるということは間違いないと思います」
ということであった。
そういう意味でいけば、彼が苛めに遭っていたというのも分からなくもない。そして、その時、
「逆らわないでやり過ごそう」
と感じたというのも、このあたりの話を、あらかじめ聞いていたとすれば、理解できたことだったかも知れない。
まさか、それ以上の感覚が彼の中にあったなどとは、苛めの話を聞いた時には分からなかった。
彼が苛められているという意識は皆持っていたが、なぜか、そのことを口にすることは、タブーだというような暗黙の了解があった。
ただ、その時には分からなかったが、後から考えると、
「岡崎という男は、二重人格性か、躁鬱のような症状があったのかも知れないな」
ということであったように思えるのだ。
なぜそうだったのか、ハッキリと分からないが、
「あいつのことは口に出すだけでも、気分が悪くなる」
という感覚が皆にあったのかも知れない。
そうだと思うと、黙っている感情も、無理もないことではないだろうか?
岡崎は、中学時代から、高校時代に掛けて、彼女ができる素振りもなかった。中学三年生の頃から、異性に興味を持ち始めたというのは、平均からすれば、晩生だったといってもいいかも知れない。
そもそも、異性に興味を持ち始めたというのも、ちょっと他の人とは別の視点からのことであった。
普通なら、可愛い女の子がいれば、その女の子に対して、恋心のようなものを抱くのが普通ではないか。そう思うからこそ、
「彼女がほしい」
と思うようになり、自分が思春期に入ったことを自覚するのではないだろうか?
だが、岡崎の場合は違った。
まず最初に感じたのが、自分のまわりの男子が、女の子と一緒に歩いていたりするのを見て、
「何ともだらしない顔になっている」
ということであった。
「ここまで、だらしないなんて」
と思うのは、この間まで、自分を苛めていた連中であったり、見て見ぬふりをしていた連中の顔だったからである。
苛めていた連中というのは、正直、思い出したくもない顔であったが、少なくとも、意思をしっかり持った顔だった。こんなにだらしないというのは、そんな連中に苛められたのかと思うと自分が情けなく感じる。
だが、逆に、傍観者がそんな顔をしているのを見ると、傍観者自身が情けないように見えてくるのは、それだけ、彼らにもそれなりのしっかりとした意思があったと思わないと、今度は自分が情けなくなる。一番の犯罪者だと思っている傍観者のせいで自分を情けなく思うというほど腹が立つこともない。それだけ、傍観者自身が、本当の情けなさを自ら暴露したのだということを分かっていれば、気は楽だというものだ。
そんなことを考えていると、そんな連中が女の子と一緒にいて、
「あんな情けない顔になるというのは、女の子の力がそれほどすごいものなのではないか?」
と思うようになると、
「俺も、女の子に興味を持ってみようかな?」
という、気楽なものが、最初だったのだ。
だが、そんなことを感じていると、女の子と一緒にいる連中の顔が、今度は楽しそうに思えてきた。
それは、岡崎自身の感覚が変わったことから感じるようになったことなのだが、それが、そもそも当然の考え方ではないだろうか。
むしろ、最初に感じることであり、最初に感じたことが、どちらかというと、嫉妬に近いものであるにも関わらず、嫉妬のように、燃えるような感情でないことも、いかにも、「岡崎という男の、普通とは違うところだ」
といえるのではないだろうか?
ただ、岡崎というところ、ここまでの話では、
「まったくロクでもない男だ」
としか、誰も感じないのかも知れないが、実際にはそんなことはなく、ある面では、
「彼ほど、人情深い人はいない」
と思わせるところがあるだろう。
ただ、一つ言えることは、
「岡崎ほど、自分の興味のあること以外、まったく無関心になるということもないだろう」
ということであった。
そして、もう一つ言えることは、
「彼ほど、素直な人間はいないだろう」
と言われることであり、ただ、この件に関しては、一概にいいことだとは言えないのだった。
素直すぎるために、自分の興味のないことは、完全にスルーしてしまい、最期には覚えていないのだ。
まったく覚えていないということではないのだろうが、人に言われて初めて記憶がよみがえるということも少なくない。
ひどい時には、本当に忘れているのではないかと思うことがある。それは人から言われても、ピンとこない時があるのだ。
例えば、小学生の時など、宿題が出ているのに、宿題が出たことを忘れて、やっていかなかった。
「お前宿題どうしたんだ?」
と言われれば、普通であれば、
「あっ、すみません。忘れていました:
というアクションを取るのだろうが、岡崎の場合は、
「ああ、宿題出ていたのか」
という程度のしか思わず、指摘されても、思い出せないことが結構あった。
「お前、宿題があったことすら忘れたのか?」
と先生は、キレ気味にいう。
それも無理もないことだ。
言われた本人が、まったくの上の空だからだ。
「ああ、すみません、すっかり忘れていました」
といえば、宿題が出ていたことは憶えているが、やるのを忘れていた。
というリアクションで、まあ、当たり前の反応なのだろう。
しかし、岡崎の場合は、宿題が出ていたことすら記憶にないのだ。それを先生が気づけば、
「そんなに授業自体を舐めているのか」
と思われても仕方がないに違いない。
本当はそんなことはないはずなのだが、そういわれてみれば、
「確かに、思い出せないということは、それだけ上の空だったということだし、宿題というものを、自分の中でどう考えているのかということを、自分で分かっていないのではないか?」
と、考えさせられるのだ。
作品名:もう一人の自分の正体 作家名:森本晃次