もう一人の自分の正体
「それは慣れのようなものだと思うよ。そして、どこかのタイミングで、見に着く場面が絶対にあるんだよ。それまでまったくできなかったものが、漠然としてだけど、できるような気がすると、ある時のきっかけでできるようになるだろう? それって、自転車に乗れるようになる時と同じなのさ。自分が自転車に乗れるようになった時、どうして、自転車を運転できるか気づいたことがあったかい? それと同じことだよ」
という。
確かに言われてみれば、そうだった。
もちろん、乗れるきっかけが分かってからが早かったのだが、確かに慣れだったような気がする。
ひっくり返りそうなところを何とかこけずに進むことができるのも、慣れと、理屈を身体が理解したからではないかと思うのだが、今から考えても、それに間違いはないに違いない。
自転車に乗るのと、車とでは、まったく違うのかも知れないが、たぶん、車の免許を取得した時、
「自転車に乗れるようになった」
というその瞬間を思い出すに違いない。
岡崎がどうして、神経内科に通うようになったのかというと、付き合い始めてから、半年が経つ彼女に対して、疑問を持つようになったからだ。これまで、特に中学時代くらいまでの自分が、どれほど情けない人間だったのかということを顧みるようになってから、自分に彼女ができても、長続きしないのは、
「その頃の性格が表に出てくるからではないか?」
と思うのだった。
高校生から、大学生になる頃になると、中学時代までの自分が、情けない性格だったということを痛感するようになる。そして、これからの自分は、その遅れを取り戻さなければいけないと思うようになってきたのだ。
その頃の自分が、いかに情けなかったのかということを、いつも肝に銘じるようにしていた。
ただ、そればかり考えていれば、
「過去から逃れようとして、過去の呪縛に襲われるのは、自分がどうしようもない男だということを考えすぎるくらいに考えてしまうからではないだろうか?」
と感じる。
理屈では分かっているつもりであった。
考えすぎることは、自分を呪縛に押し込んでしまうということをである。
しかし、そうでもしないと、自分が過去をいさめようとしていることにならず、
「過去からの呪縛をとくには、自らで入り込んで、その腹を破って表に出るくらいの気概がないといけない」
と、感じていたに違いない。
さて、そんなことを考えていると、彼女ができない理由が、自分の性格にあることは、もう明白であった。
だからと言って、すぐに自分の性格を変えられるわけもなく、女の子と仲良くなりたいと思っても、二の足を踏んでしまうのだ。
まずは、
「何を話していいのか分からない」
というところから始まる。
これが、まだ中学生くらいで、まわりも皆、発展途上であれば、問題もないのだろうが、まわりは皆大人になっていて、自分だけが、子供でもないという状況が、垣間見えてくると、何をどうすればいいのか、おのずと分かってくるというものである。
だが、それが、その時には分からなかった。
何かを話さなければ、何も始まらない。
そのことを意識しすぎてしまうのだろう。
しかも、
「会話の主導権は、男性にあるのが当たり前だ」
という考えをずっと持っている。
「そんな考えは、まるで昭和の古臭い考えだ」
と、これが自分に関係ないことであれば、簡単にそう思うに違いない。
だが、そう思いきれないのは、
「自分が、必要以上に考えすぎるからだ」
と、落ち着いて考えれば分かることのはずなのに、気づかないのだ。
それは、自分のそれまでの経験で培われてきたものが、すべて反省と屈辱によるものだと感じているからではないだろうか?
反省は当たり前のことであるが、屈辱とは何であろうか?
いくら他に思い浮かばないからといって、必要以上に目立ちたいと思うと、そのパフォーマンスは、間違った形での表現になるということを分かっているはずなのに、実際には、思い込みに頭が引っ張られてしまうのだ。
間違っていると分かっていても引っ張られるその感覚は、
「気持ちの中に、余裕という、遊びの部分がまったくないからなのかも知れない」
と感じるのだった。
あれはいつのことだったか、大学に入学して、高校卒業を迎えるだけだった、精神的に最高に有頂天だった頃、友達と出かけた旅行があったのだが、まだお金もあまりない時期だったので、安い宿に、宿泊し、予定もその日に決めるという、
「行き当たりばったり」
の旅をしたことがあったが、そこで知り合った、女子大生のお姉さんがいたのだが、彼女たちは、一年生で、年齢も一つ上ということだったが、相手が大学生ということもあってなのか、一つしか違わないのに、
「五つは違う」
と感じるほどであった。
こちらは、二人、相手も二人、それぞれ二人旅ということで意気投合し、四人でいろいろ観光することになった。
元々、自分の友達と、相手のうちの一人は、それぞれに、、リーダーシップがしっかり取れる人だったので、自分ともう一人の女の子は、ただ従っていればいいだけだった。
とはいえ、岡崎は、男である。したがって、女の子が何をしてほしいのかということを、察して、優しくフォローしてあげなければいけない立場であった。
ただ、それがプレッシャーとなって、余計な気を遣ってしまうことで、またしても、
「遊びの部分」
がなくなってしまう。
そんなことを考えていると、それこそ何も言えなくなってしまって、最期には、自分が逃げ出したいと思っても、牢屋に入れられた気持ちになった。
しかし、彼女の方はというと、表に出ていて、自分が苦しんで、結局檻から抜けられなかったことをまったく知らないかのように、ニコニコしているではないか。
「さっきまでのあの暗い雰囲気はなんだったんだ?」
と、せっかく彼女のために、できもしないことを何とかしようと思って頑張った挙句、最期には、自分だけが取り残され、置き去りにされてしまったことに気づいた時には、もうどうにもならなかったのだ。
「こんなことなら、相手のことを考えず、自分のことだけを考えればよかった」
と思ったのだ。
そして、
「その方が、自分らしいではないか」
と思うと、
「もう、これからは人のためになんて思わずに、自分のことだけを考えるようにすればいいんだ。どうせ、嫌われたって、結局相手のために何もできなければ、結果は同じなのだから」
と考えるようになった。
「第三者の目で見れば、どうやったって、自分勝手にしか見えないのであれば、自分が苦しまなくてもいいように、敢えて、自分勝手を貫けばいいではないか」
と思うようになった。
「人に迷惑を掛けないようにしないといけない」
と口では言っているが、そんなやつに限って、自分中心なのである。
だが、それも間違ってはいない。
人のために何かをしようとしても、人それぞれで、価値観も違えば、何をしてほしいのかということも違っている。それを、一緒くたに考えてしまうと、想像していた結果が違った形で出てしまうことも、往々にしてあることだろう、
作品名:もう一人の自分の正体 作家名:森本晃次