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連鎖の結末

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 という風に思っているかも知れないが、実際には、政府も軍も、戦争には消極的だったのだ。
 特に政府は、何とか、外交交渉をという形になっていたものを、マスゴミに騙された国民が、戦争を叫び出すので、政府や軍も、そのあたりを考え始めたというのが、真相ではないだろうか。
 その証拠に、戦争前夜まで、外交交渉が行われ、何度も会議を開いて、戦争にならないように努力を重ねてきた。そのあたりが今の政府と違ったところで、かつての日本は、確かに情報統制をやったり、戦争中には、特高警察であったりが、戦争反対の人間を非国民扱いにしたりしていたが、その善悪の発想は、今の人間からは、どこまでできるのかということである。
 当時の教育がそういう教育を受けてきた人間からすれば、
「この戦争は、正義の戦争だ」
 とほとんどの人が思っていたのだから、戦争反対者を非国民と見るのも当然である。
 実際に、今言われているほと、この戦争が悪だったという証拠はどこにもないではないか?
 あくまでも、
「勝者の理論」
 という、極東国際軍事裁判によって、A級戦犯という形となり、七人が処刑されることになったのだが、これこそ、
「勝てば官軍」
 で、一方的な見せしめに近い裁判だったわけである。
 ちなみに、この
「A級戦犯」
 という言葉であるが、これを、
「A級」
 という言葉に騙されて、
「最高級のバツだ」
 と思っている人が多いかも知れないが、それは間違いである。
 そもそもは、ナチス・ドイツの犯罪を裁くという意味で、A級、つまり、
「平和に対する罪」
 そして、B級として、通常の戦争犯罪。
 さらに、C級としては、人道に対する罪というのは、決められたのだ。
 つまりは、級という言葉がついているので、罪の軽重で決まっているように思われるが実際にはそうではないのだ。
 とにかく、ドイツの裁判が、ニュルンベルクにて最初に行われたので、その形式に則って、極東裁判も同じやり方になったというだけのことであった。
 だから、基本的に、A級戦犯という呼称が用いられたのは、ニュルンベルク裁判と、極東国際軍事裁判の2回に限ってだけのことである。
 マスゴミというのは、時代を作るだけの力が存在する。つまり、
「ペンは剣より強し」
 ということであろうか?
 ただ、大東亜戦争において、日本が、勝ち続けているというのは、確かに最初の頃は、連戦連勝という状態で、山本五十六連合艦隊司令長官が予言した通り、
「最初の半年は存分に暴れてみせましょう。しかし、それが一年、二年ともなると、その先はまったく自信が持てません」
 と言ってのけたというが、まさにその通りになってしまったというのは、皮肉なことであり、本来の計画通り、
「ある程度、相手に打撃を与え、戦争継続の意思をくじくだけの状態にしておいて、講和を持ち掛け、一番いい条件で和平を結ぶ」
 ということができたにも関わらず、結果として、うまく行かなかったのは、
「勝ち続けてしまったことで、驕りが出て、やめることができなくなってしまった」
 ということである。
 そこには、マスゴミの、必要以上の煽りがあったというのも事実であり、またしても、マスゴミの責任が大いにあるということではないだろうか。
 それは今のマスゴミにも言えることで、戦争状態にある今の状況の国の、攻めている方を一方的に、
「平和に対する敵だ」
 といって煽り、攻められている方を、
「可哀そうな侵略を受けている」
 といって、擁護する。
 正直、攻められている国の、ダイトウリョウが、テレビ演説をしに日本の国会で演説をするという時に、何と、日本の国会議員がスタンディングオベーションをしたというではないか。戦争をしている国、いくら攻められている国とはいえ、その国の国家元首に対して、まるで英雄扱いだ。
 そんなものを見せられれば、攻められている方の国が正義だと言われているようなものである。
 少なくとも、戦争が起こるにはそれだけの理由があるわけで、一方が攻め込まれたから、そっちが正義だというのは、あまりにも浅はかな考えではないだろうか? それを信じる日本国民も日本国民で、やはり、どこかに、マスゴミによる扇動があったに違いない。
 何と言っても、そのダイトウリョウというのは、アメリカで演説をした時、日本のかつての作戦をネタにして、アメリカに訴えていた。その舌の根も乾かぬうちに、日本の国会出演だ。それを英雄扱いなど、ありえないだろう。
 それこそ、今の国会議員全員が、
「非国民だ」
 と言われても仕方のないことだといえるのではないだろうか?
 それを思うと、どこまでが、そして、何が正しいのか、分からなくなってくる。それだけ、マスゴミの責任は重大なのではないだろうか?
 少なくとも、国民は、
「マスゴミには騙されないようにしないといけない」
 という自覚をもって、もっと冷静にニュースなども見る必要があるのではないだろうか?
 そうしないと、どこに連れていかれるか分からないということになってしまうのではないか。
 そういう意味で、歴史を勉強するというのは必要なことで、それをしないと、実際に判断を求められた時、どう判断していいのか困ることになるだろう。それも、自分で納得できる判断である。
 もしそれが正しいにしても、間違っているにしても、自信をもって判断したのだという意識がないと、いつ、考えがブレてしまうか分からないし、マスゴミにいいように洗脳されて、それこそ、間違った方に誘導されかねないということになる。
 そういう意味で、今の時代は自由に何でも判断できるだけに、一人一人が自信を持った判断ができなければいけないといえるのではないだろうか?
 さて、そんな世の中で、今日本を取り巻く世界情勢が、怪しくなってきている。物資が入ってこない。インフレになってきている。そんな状態で、国内はというと、ジリジリと、悪い方に向かってきている。
 そもそも、伝染病によるパンデミックによって、飲食店などの会社や店は、どんどん廃業に追い込まれ、個人事業主の人たちも、立ち行かなくなってきていたりする。エンターテイナーと呼ばれる人たちもそうだろう。
 そして、会社も立ち行かなくなってきて、倒産の数も増えてきている。実に厄介な時代になってきた。
 そこに輪をかけての、今回の軍事侵攻に始まった戦争が、世界で、インフレを引き起こし、経済も打撃を受けることになる。パンデミックがきっかけを作って、戦争が、ダメ押しというところであろうか?
 そうなってくると、歴史は少しずつ変わっていく。
 日本の経済は次第に落ち込んでいっているが、鈴村の会社も、次第に怪しくなってくる。
 ただ、まだ、そこまでひどい状況になってきているわけではなかったはずなのだが、雲行きが怪しくなってきたというのは、実際の不況が迫ってきていることに直接関係のないことであった。
 というのも、まず最初にその兆しのようなものがあったのは、一つの不倫騒動からであった。
 会社の営業部と、管理部の中間管理職の間で、不倫が行われていたということである。
「会社内での不倫なんて。今に始まったことではないだろう?」
作品名:連鎖の結末 作家名:森本晃次