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連鎖の結末

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 笑わせることが生業の連中ではないか。そんな連中は、誰にでもできるような、一般論を語って、何が面白いというのか、一体いつから、お笑いタレントを、コメンテイターやMCに使うようになったというのか、何が怖いといって、そんな連中が出ている昼のワイドショーを、疑問も感じずに普通に見ていた自分がいたということだ。
 人に言われて初めて気づくなど、それが情けない。
 言われてみれば……、などというのは、よほど奇抜なことであれば、騙されていたとしても、許すことができる。
 しかし、この場合は、ちょっと考えれば、何かおかしいということはすぐに分かって当たり前のことなのに、そのことに気づかなかったということは、
「俺も結局、人に流されて生きているということか?」
 といって、
「その他大勢」
 と同じであることに、屈辱を感じているのだった。
 それを考えると、逆に、自分の本当の性格が、
「人と同じでは嫌だ」
 ということだったのに、気づかせてくれたのが、そんなコメンテイターの連中だったというのは、実に皮肉なことだった。
 本当は見たくもないくせに、見てしまうというのは、そういうところに理由があるのかも知れない。
 これを一種の
「天邪鬼だ」
 といってもいいのかも知れない。
 天邪鬼というのは、鬼と書かれているが、本当に鬼なのだろうか? まわりと違うことをするのが、天邪鬼だと思っているが、諸説あるようで、一般的に言われているものと同じではないという話もある。
 ただ、鈴村は、天邪鬼と言われるのが好きだった。どうせなら、
「もっと、天邪鬼と言われたい」
 と思っている。
 それだけ、天邪鬼というのが、自分にあっているということであり、それだけ、他人と感性も考え方も違うということである。
「人と同じことをしていては、まわりから抜け出すことはできない」
 つまり、人と同じでは嫌だというのは、人より優れているということではなく、自分があくまでも、人の群れに紛れるのが嫌だということだ。それは、目立たないということに酷似はしているが、
「似て非なるものだ」
 といえるのではないだろうか。
「最近のワイドショーは、売れなくなった芸人の掃きだめかよ」
 などという辛辣な悪口を言っている人もいるが、普通に見ていて、
「その通りだよな」
 という人が多いだろう。
 中には、芸人としての血が騒いでか、少しでも、反対意見を言おうものなら、ネットで叩かれ、下手をすると、謝罪問題に発展しかねない。そうならないように、芸人が、コメンテイターとして出演している時は、実におとなしいことしか言わないのだ。
 それはそれでまたしても、面白くない。
「芸人なんだから、それらしい、コメントを言えよ」
 と思っても、ネットで叩かれると、放送局から読んでもらえないということに発展すれば、どうしようもない。
 放送局側とすれば、その芸人に考え方が、自分のところに似ているからといって雇っている人もいるかも知れない。そういう人は、ある程度局が守ってくれることもあるだろう。
 しかし、実際にネットで炎上して、謝罪問題になれば、手のひらを返したように、
「今回は我が方の、コメンテイターが失言をいたしまして、誠に申し訳ありません」
 ということで謝罪をしたうえで、すべての責任を、コメンテイターに押し付けて、トカゲのしっぽ切りで、終わらせるということも、往々にしてあるだろう。
 マスゴミというところは、そういうところなのだ。
 特に、放送事故などは一番恐れている。そういう意味で、いつも無難なコメントをするタレントが、一番重宝されるのだろう。
 特にパンデミックの時は、マスゴミという言葉が定着し、実際に、皆、
「マスコミではなく、マスゴミだ」
 といっている人も多いだろう。
 パソコンの返還で、実際に、ますごみと打って返還すれば、すぐに、マスゴミと変換できるくらいに定着している言葉であった。
 そう、今の世の中を作ったのは、マスゴミの責任が一番である。
 その時々で一番悪い連中はそれぞれに存在しているのだが、次の戦犯はというと、必ず出てくるのが、マスゴミであった。その次に、政府の順番であるが、それだけマスコミという仕事はシビアであり、その影響力は、政府の比ではないということだ。
 政府は、その時々によって政権は変わるが、マスゴミは、倒産や合併でもしない限り、半永久的に続いている。大きな放送局など、ずっと昭和の昔から変わっていないではないか。
 そう、いわゆるキー局と呼ばれるもので、新聞社や、放送局のキー局は、本当に永遠だといってもいい。
 ということは、その根源が悪であれば、
「悪は不変で不滅である」
 ということになる。
 ここまでくれば、もうコメンテイターどころの騒ぎではない。昔の悪い風習が今も残っているとすれば、マスゴミの責任は大きいということである。
 そもそも、先の戦争、いわゆる大東亜戦争だってそうではないか。
 政府や軍が、戦争を推し進め、シナ事変の前後から、すでに、治安維持法などという、名前はきれいごとに聞こえるが、要するに、
「反政府勢力や、戦争遂行、さらには天皇制に逆らう人間、そして何よりも、共産主義の連中を撲滅するという意味で作られた法律であり、下手をすれば、国民を縛る法律だ」
 といえるものであった。
 すでにこの頃から、生活は困窮を極めていた。東北地方の不作に、昭和大恐慌が重なって、ハイパーインフレを引き起こす。
 物資がない上に、中国との戦争で、経済制裁を負わされ、首を絞められていく。そうなると生き残るために、南方の資源地帯を攻略する。それが、そもそもの大東亜戦争の発端だった。
 南方の資源地帯といって、そこは、フランスであったり、アメリカ、イギリス、オランダの植民地ではないか、日本がほしかった油田はインドネシアにあるが、そこは、オランダ領である。
 要するに欧米は、日本を侵略というが、それは、元々侵略して手に入れた土地に、日本が入ってこないようにするための、詭弁でしかない。
 それを、侵略とは、どういう言い方なのだろう。
「アジアを開放するために戦っていた日本兵のどこが悪いというのか?」
 要するに、歴史を知らないだけである。
 そんな時代において、マスゴミは煽ってくるのである。
 何を煽るのかというと、
「戦争の正当性」
 である。
 今の日本という国がインフレに悩まされ、食料も物資の入ってこないのは、欧米による経済制裁の問題である、
 そもそも、アジアの国は、欧米の侵略によって、植民地化されてきたではないか。日本が資源を求めて、南方に出ていくのは、アジアを欧米から解放するということであり、さらに、国が貧しくなったのも、世界恐慌の中で行われた、
「富める国同士の経済協調」
 といってもいい、いわゆる、
「ブロック経済」
 によって、はじき出された、日本やドイツ、イタリアなどが、同盟を結んだことで、欧米に対抗するという形において、
「戦争も辞さない」
 という風潮が少し民衆に出てくると、それをさらに煽ったのだ。
 歴史を知らない人たちは、
「日本政府が、無謀にも欧米に対しての開戦に踏み込んだ」
作品名:連鎖の結末 作家名:森本晃次