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連鎖の結末

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 そんな合わせ鏡のことを考えていると、
「連鎖反応が永遠に続くものなのだろうか?」
 という発想にかぶっているように思えた。
 そもそも、連鎖反応のことを考えているから、合わせ鏡の発想が出てきたのかも知れないが、ちょうど、思いついたというのであればm都合がよすぎるのではないだろうか?
 この発想はまるで、禅問答のようで、
「タマゴが先かニワトリが先か?」
 というようなもので、完全な堂々巡りである。
 これも合わせ鏡の発想と一緒で、どこまでいっても結論は出ない。
「もういい加減、考えるのを辞めよう」
 と思ったとしても、それは結論が出ているわけではない。
 だから、それ以上のことを考えてしまおうとすると、そこに、変な連鎖が生まれてしまう。
 たまに負の連鎖も生まれるが、それは、
「負のスパイラル」
 という言葉で一緒くたにしてしまいそうになるが、果たしてどうなのだろうか?
 負の連鎖と負のスパイラルとでは、同じ意味だと考えてもいいのだろうか?
 きりもみをしながら、奈落の底に落ちていくのが、負のスパイラルであるわけなので、負の連鎖も、きりもみを必要とするものなのか、考えさせられるのだ。
 きりもみをするということは、ある意味、
「浮上のきっかけにもなることであり、スパイラルと、一般的なきりもみとが違っているのではないか?」
 と考えるのは、おかしなことであろうか?
 今の時代のこの街において、スパイが暗躍するには、実は都合がいいのかも知れない。
 会社というのは、ある意味、風通しがよくなったと言えばいいのか、コンプライアンスの問題で、自由な発想が多くなった。
 今までの上司の考え方のままでいる人間には厳しいかも知れないが、上司によっての理不尽な考え方が改善されてくるのはいいことだろう。
「上司が残っている」
 という理由でさせられるサービス残業。
 付き合いたくもないのに、上司が主催した飲み会への付き合い。
 さらには、
「俺の酒が飲めないのか?」
 ということは、十分すぎるくらいのパワハラである。
 しかし、逆の側からみると、
「これほど厄介なことはない。今まで、ちょっとした場を盛り上げるためのジョークとして言っていた言葉が、コンプライアンス違反だ」
 と言われる。
 部下が、別に何とも思っていなくてもそれは変わらない。
 要するに、相手がどう思うかは関係ない。口に出したり、行動に移した時点で、アウトなのだ。
 だから、今は、部下には自由であるが、上司にとっては実に厳しい。それでも、部内を一つにまとめていかないと仕事にならないのだから、かなりの難しさだといえるだろう。
 そういう意味で、今は部下と上司は、
「部内で一体だ」
 とは言い難い。
 下手をすれば、上司は部下を、部下は上司をバカにしているといってもいいだろう。
 そんな世の中で、最近のスパイは、若い連中が多い。
「若い方が動きやすいし、フットワークが軽い」
 と言われるのはそういうことからであろう。
 しかも、
「いかにも仕事ができない。お荷物なやつだ」
 と思われる人間の方が怪しかったりする。
 会社の人間に対して、自ら、カモフラージュをする必要もないくらいである。
 会社側としても、
「スパイが入り込んでいる」
 と気づいても、まさか、仕事もできない若い連中が……、なんて思うこともないだろう。
 それを思えば、スパイがたくさん入り込んでいるのは、逆にそれぞれでカモフラージュになって、まるで保護色に包まれているようではないか?
 そんなスパイ連中は、
「自分たちの他にもスパイがいる」
 ということは、普段から、張り詰めた意識でまわりを見ているから、すぐに分かるというものだ。
 もちろん、それぞれに隠密が一番で、他にスパイがいたからといって、別に意識をする必要もない。
 それは、ここに入った時から言われていた。
「他の同業者がいたとしても、完全に無視をするんだ。変に関わってて、もしやつらがヘマをしてお前たちにそのとばっちりがかかってしまっては、元も子もない。それくらいなら、完全に無視をして、自分の仕事にだけ邁進すればいい」
 と言われた。
「じゃあ、もし、他のスパイを見つければ?」
 と聞かれれば。
「こっちに報告する必要もない」
 ということであった。
 実は、命令者には、何でも分かっていることであった。他のどこからどのようなスパイが来ているという情報も分かっていた。なぜならスパイ養成のための教育組織は横で繋がっていて、元締めのような男がちゃんといる。その元締めが、組織をまとめているので、どの企業にそれだけのスパイが入り込んでいるのかは分かっている。
 あまり多すぎて身動きが取れなくなると厄介だが、今のところ、そんなことはない。むしろちょうどいいくらいだった。
 ソフト会社の方では、すぐにはスパイが入り込んでいるなど、想像もしていなかったようだ。
「この建物も、装備も完璧だ」
 と思っていて、その思い上がりが盲点だったようだ。
 当然サイバー攻撃や、ハッカーの対策は万全であったし、会社内のセキュリティもある程度しっかりしていた。
 しかし、まさか、人による諜報活動のような、昔のやり方で来るとは思っていなかったわけではないだろうが、逆に可能性が限りなく低すぎて、安心していたに違いない。それくらであれば、ゼロの方が、どこかに違和感があれば、気づくという意味では、まだよかったかも知れない。
 そういう意味で、
「合わせ鏡」
 の例ではないが、どんどん小さくなっていき、ゼロになることのないまま、消滅もできずに縮んでいくものに、存在価値はないということの証明のようではないか?
「限りなく、ゼロに近いもの」
 というのは、余計な存在であり、まるで石ころと同じではないだろうか?
 存在は気配のようなもので感じるのだが、あまりにも小さすぎて、その姿を見ることはできない。かといって相手に、違和感を与える、違和感があるために、どうしても警戒心が強くなって、先に進むことができなくなってしまう。
 だが、スパイにとって、その違和感はありがたかった。
「そこに罠がある」
 ということが分からずに、突っ込んでしまって、赤外線レーザーに当たって、黒焦げになって死んでしまえば、スパイもその存在を完全否定されることから、ただの犬死でしかない。
 スパイというのは、そんな存在なのだ。
「成功してなんぼ。失敗は許されない。成功以外の選択肢がない、特攻隊のような存在なのだ」
 ということであった。
 スパイというものが、どういうものであるか、彼らは、その潜在能力が、隠れていることで、一般企業への就職は敵わなかった。
 しかし、スパイ養成というのは、平和な時代から結構あった。そして、その時代から、
「今のような混沌とした時代がやってくる」
 という予言者のような人がいて、その言葉通りに、今のような混沌とした世の中がやってきた。
「いよいよお前たちのここで特訓した力を発揮できる時だ」
 と、言って、今までは日陰で暮らしてきた彼らに一気に日のあたる場所を提供したのだ。
作品名:連鎖の結末 作家名:森本晃次