小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

連鎖の結末

INDEX|16ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

「自分がよく知っているはずの人が、次々と、何かを企む秘密結社によって、別の人間と入れ替わってしまったのではないか?」
 ということである。
 似ている人間であるが、実は全然違うのである。それこそ、
「似て非なるもの」
 であり、まったく違う人間なのだ。
 まるで、アニメか特撮に出てきそうな話だが、実際に、50年以上前のマンガが原作の特撮番組であったという。
「カプグラ症候群」
 は、一種の精神疾患のように言われるが、まさにその通りであり、
「この考えが生まれたのは、20世紀の半ばくらい」
 だと言われているので、その考えをマンガ家は、勉強していて知っていたのだろうか?
 それとも、偶然にも、マンガ家の頭の中にも学説と同じ意識があったのだろうか?
 さすがにそのマンガ家は、今までも、
「マンガ界のレジェンド」
 と言われているだけのことはあるというものだ。
 その話は、地球を征服しようと、他の星からやってきた、自称、
「宇宙の帝王」
 といっている宇宙人が、地球人に化けた生物を送り込んで、次第に本当の人間と入れ替えていくという、地球制服計画の一環としてのものだったのだ。
 そんな話を、当時としては、よく考えたものだと思っていたが、意外と当時のマンガ黎明期と呼ばれた時代から、結構出てきていたりする。
「人間型のロボット、アンドロイドやサイボーグなどの話では、ロボット工学三原則に則った話があったりするくらいだからな」
 ということも聞いたことがあった。
 その人がいうには、
「ロボット工学三原則を提唱したのは、ロボット工学者でも何でもないんだ」
 というではないな。
「どういうことだい?」
 と聞くと。
「ロボット工学三原則を考えたのは、SF小説家なんだよ。小説のネタとして考えられたものが、徐々に浸透していって、次第にロボット工学のバイブルのようになったのさ。提唱したといっても、小説の中でだけどね。でも、読んだけど、かなりよくできた作品だったよ」
 というではないか。
「どこがすごいんだい?」
 と聞くと、
「矛盾をついている話なんだよ。というのが、ロボット工学三原則自体が、矛盾を孕んでいるので、SF小説などでは、矛盾をいかに解決して組み立てていくかというのがテーマと結びついてくるわけなので、そういう意味でも、矛盾を提示し、それを解決していくという。まるで、一人ボケ突っ込みのようで、読んでいて、考えさせられるところが、結構あったものだよ」
 というのであった。
 ロボット工学三原則は、三原則というくらいなので、三つの原則から成り立っている。
 これは、ロボットを守るためというよりも、
「力が強いロボットが人間に成り代わって、人間を支配する」
 というような、いわゆる、
「理想の人間を作ろうとして、怪物を生み出してしまう」
 というかつての小説のネタを警告として考える、
「フランケンシュタイン症候群」
 というものを、意識したものであった。
 つまり、
「人間を傷つけてはいけない」
「人間のいうことをきかなければならない」
「ロボット自身、自分の身は自分で守らなければいけない」
 という、大まかにいって、この三つなのだが、最初から最後にかけて、優先順位が下がってくることになるのだ。
 つまり、人間を傷つけてはいけないというのが、一番優先されることなのだ。
 だが、問題は、
「人間の命令が、殺人などであれば、その命令は聞いてはいけない」
 ということになるのだ。
 ただ、そこで、
「人間というのは、誰のことまでを指すのか?」
 ということになる。
 明らかに悪の手先と分かっている相手のいうことまで聞かなければいけないのか?
 ということを考え始めると、なかなか、矛盾が矛盾を呼ぶことで、解決することが難しくなってくる。
 これも、一種の、
「連鎖反応だ」
 といえるのではないだろうか?

                 スパイの養成

 そんな連鎖反応が、ロボット工学三原則にも影響していることになる。
 これは、連鎖反応とは少し違っているが、無限に続くものという発想の中で、
「合わせ鏡」
 というものがある。これを考えた時、頭に浮かんでくる発想としては。マトリョーシカ人形の発想があった。
「合わせ鏡というのは、自分の前後に鏡を置いた場合。正面の鏡には自分姿が映っているのだが、その自分の後ろには、後ろの鏡が映っている。そこには、後ろの鏡に映った後ろ向きの自分がいて、さらに、その反対側には正面の鏡が映っている。その正面の鏡には、また正面を見ている、最初よりもかなり小さな自分がいるのだが、つまりは、どんどん小さくなっている自分の存在を感じるのであり、限りなく小さくなっていくと、消えてなくなるのだろうか?」
 という考えに則ったものである。
 矛盾だらけの話なのだが、こういう話ほど、正面から素直に感じた方が、理解できるのかも知れないと思う人は少ないのだろうか?
 合わせ鏡のように、どんどん被写体が小さくなっていくと、
「最後は、亡くなってしまうのだろうか?」
 という発想になるのだが、この発想を解決してくれるのが、数学であった。
 そもそも、数学の考え方が、合わせ鏡の経穴方法を先に考えていて、数学がその裏付けになったとも考えられなくもないが、結論からいうと、
「なくなってしまうということはない」
 ということである。
 例えば、どんどん大きさが半分になっていくとしようか? その場合、
「2で割る」
 ということになる。
「2で割って、ゼロになるものって、何があるんだろうか?」
 と考える。
 普通の整数で割れば、ゼロになることは絶対にない。
「限りなく、ゼロに近い」
 という数字にはなるだろう。
 しかし。ゼロになることはないのだ。
「では、ゼロから2を割ればどうなるのだろうか?」
 これが一番難しい。
 なぜかというと、
「割って出た答えに、割られる数を掛けると、割った時の数になる」
 という理屈で考えれば、答えがゼロになるという理屈も生まれるだろう。
 しかし、数学というのは、そういう簡単に行くものではない。
「なぜなら、割る数と、答えが同じである場合、割られる数は1でなければいけない」
 ということになるからだ。
 この考え方は、答え合わせのために使う計算の理屈であり、そこに矛盾があるのだ。
 しかも、何もないものから、あるもので割るという考え方がそもそも、矛盾でしかないのだ。
 そう考えると、
「限りなく、ゼロに近くなるが、ゼロになることは絶対にない」
 といえるのではないだろうか?
 数学で証明できるものがすべてだとは言えないかも知れないが、証明できるに越したことはない。
 ただ、数学でも証明できないものもあり、その発想が、メビウスの輪であったり、異次元世界という別の世界を考えさせるようになった。
 今では、
「マルチバース理論」
 であったり、
「パラレルワールド」
 などの発想があるので、どこまでが、証明できているのかということを、ハッキリさせられるのか、難しいところである。
 そういう数学の理論が、連鎖反応というものに、結びついてくるとも考えられるのではないだろうか?
作品名:連鎖の結末 作家名:森本晃次