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連鎖の結末

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 理由として考えられるのは、会社で苛められて、やけ酒を呑んできたということになるのか、それとも、会社の付き合いで、飲まされたのか、とにかく、上司に対して文句があるのは、間違いないようだった。
 とにかく、格好が悪いというのが、見たそのままの気持ちだったのだ。
 だが、ホームレスになってからの父親には、その時の感じがまったくしなかった。
 怖さというか、圧力のようなものを感じることがなかったからだ。
 人に対して怖さを与えたり、圧力を感じさせるというのは、その相手が、どう感じるかには関係なく、受けた方には、それ以上の圧力となるのだ。
 それを、プレッシャーというのだということを、苛められていた時には知る由もなかった。
 そして、そのプレッシャーが、次第に大きなトラウマになり、その人の中で、本人の意識をしない中で膨れ上がってくる。それは、連鎖を引き起こすことになるのかも知れない。
 そういう意味で、苛めに連鎖があるのは分かったのだが、それ以外で連鎖が生じるのは、一体どうしてなのだろう?
 よくいうのが、
「事故が一度起こると、連鎖反応が起こって、何日も続いたりする」
 などというものだ。
「そんなの偶然さ」
 といって気にしない人もいるが、昔の人はそうもいかなかっただろう。
 特に、天気などの影響をまともに受ける農作物を相手にしていると、ちょっとしたことでも、
「不吉な予感」
 といって、お祓いをしてもらったりする。
 古墳時代などの太古の昔などでは、病気も祈祷で治すという時代があったのだ。
 邪馬台国の卑弥呼が、霊媒師のような人物だったという話もあるように、
「祈祷で国を治める」
 あるいは、
「ありがたいお告げを聞く」
 ということは当たり前だった。
 奈良時代に、道鏡という僧を時期みかどにするかどうかを、天皇が、宇佐神宮に遣わして、そのお告げを聞かせたというではないか。
 それだけ、加持祈祷の類は、生活に密着していたのだ。
 そういう意味で、連鎖反応というのも、もちろん、言葉はなかっただろうが、偶然で片付けられないこととして考えられていただろう。
 しかも、不吉なことが何度も続けば、社と建てて、霊を鎮めるというくらいのことはしただろう。
 大宰府に流された、菅原道真の怨霊であったり、坂東で新皇を名乗り、東国支配をもくろんでいた、平将門が討たれた時など、かなり不吉なことが起こったという。
 それは今でも語り草になっていて。
「現代によみがえった将門の怨念を描いた物語」
 というのが、流行ったりしたのも、だいぶ以前のことであるが、映画化もされたりしたらしい。
 今のここまで科学が発展した時代ではあるが、それだけに、解明できないものがあると、余計に怖さを感じる。
 科学で証明しようとすると、そこで行き詰って、堂々巡りを繰り返すものもあれば、
「科学の限界」
 というものを感じさせるものだってあるではないか。
 コンピュータができて、AIなどの、人工知能ができようとしているのに、50年も、60年も昔から、
「近未来の発明」
 と言われてきた、
「タイムマシン」
「ロボット」
 などというものは、一切発明されていないではないか。
 そこには、タイムマシンであれば、
「タイムパラドックス」、
 ロボット開発であれば、
「フレーム問題」
 であったり、
「ロボット工学三原則の遵守」
 などと言った問題が、山積していることになる。
 しかし、これは正直、簡単に打ち破れる問題ではなく、堂々巡りを繰り返してしまう問題なのだ。とにかく、ここでいう、堂々巡りと、連鎖反応というのが、同じものなのかどうなのか、そのあたりが問題なのではないだろうか?

                 もう一つの連鎖

 時代的には同じ時代のことだった。
 同じように、パンデミックが発生し、戦争が某国の間で発生したことで、同じように、会社が危機に立たされているのは、どこの会社も同じであった。
 ただ、鈴村の会社が、食品関係の会社だったことで、庶民の生活に直接かかわりがあり、仕入先、そして、小売り先との橋渡しになっているために、なかなか物が売れないと、どうしようもない世界であった。
 ここに、一人の社員がいた。彼は鈴村よりも少し年下だった、
 鈴村が40代前半だったが、彼は30代後半、ただ、鈴村が若く見えるのか、彼が老けて見えるのか、ほぼ同じくらいではないかと思われる。
 もっとも、今のところ、二人に接点はなく、面識もないので、比較のしようはなかった。
 しかも、二人は同じ地域に住んでいるわけではなく、それぞれ、地元では大都市であるが、同じ県でもないので、それこそ面識はないだろう。
 しかも、二人の仕事も接点がない。まったく違う地方の、違う業界で仕事をしているという、本来ならまったく出会うことのない二人であった。
 彼の名前は石橋典弘という。仕事はというと、某電機メーカーに勤めていて、仕事とすれば、IT関係の仕事だった。
 それも下請けではなく、メーカー大手ということで、景気は悪くはないはずだったのだが、ここ最近の不景気の影響をもろに受ける形で、結構な岐路に立たされていた。
 特に、ここの場合は、パンデミックによるよりも、その後に発生した戦争の影響の方が大きかったようで、特に、心臓部にあたる半導体の輸入が、戦争を行っている国にほとんど一任という形だったので、打撃は大きなものだった。
 電機メーカーは、他の企業と同じように、大きければ大きいほど、地盤固めが急務だということで、かつての、バブル崩壊からこっち、企業の合併等が、定期的に行われ、それぞれの企業の得意分野を、それぞれで独占できるというシェアが伸びることが大きかった。
 それこそ、
「一足す一が、三にも、四にもなる」
 ということであった。
 だから、少々のことでは、地盤が緩むことはないと思われたが、おっとどっこい、今の世の中何が起こるか分からない。
 そもそも、バブルが弾けた時だってそうだったではないか。
「銀行は絶対に潰れない」
 と言われ、
「銀行員と公務員になっていれば、仕事のきつさは別にして、路頭に迷うことはない」
 ということで、結婚相手の候補として、上位に必ず銀行員というのが入ったものだった。
 それが、バブルが弾けたとたん、それまで過剰融資に頼っていた部分が、すべて不良債権となってしまい、貸し付けた会社が倒産などすると、回収ができなくなり、首が回らなくなる。
 いわゆる、
「過剰融資」
 というのは、相手が、500万でいいというところを、800万貸し付けて。その分の利子で儲けようという魂胆だったのだ。
 バブルの時代は、事業を拡大すればするほど儲かる仕掛けになっていたので、融資を増やしてくれれば、その分に使い道があったので、お互いに損をしないはずだった。
 しかし、バブルが弾けて、借りた分を返すあてもなく、しかも利子で苦しむことになり、挙句の果てに、倒産の憂き目を見ることになる。
 当然、銀行も貸し付けた分が返ってこないのだから、その分は、どこからも回収できず、当然赤字になる。
作品名:連鎖の結末 作家名:森本晃次