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連鎖の結末

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 不倫というものは、バレなければいいという人がいたが、本当にそうなのかも知れない。
 その前にしなければいいのだろうが、男の性として、肉体的に、一人ではどうしてもダメだという人もいるだろう。
 ただ、そういう人は、結婚しなければいいのかも知れない。ただ、そうなると、
「一人で我慢できない人は、人並みの幸せを手に入れようと思ってはいけないのだろうか?」
 と考えるが、そもそも、人並みの幸せというのは何なのだろう?
 幸せの定義は、人それぞれ、結婚して子供や家族に囲まれた楽しく過ごすのが幸せと思う人もいれば、金があれば幸せと思う人もいるだろう。
 また、孤独であっても、自分のやりたいことを続けられれば、それが幸せだと思う人もいるだろう。そういう人も二つに分かれるかも知れない。一つは、最初から、結婚などを望みもせず、孤独でも寂しいと思ったことはなく、それは充実した人生を生きているからだと思っているという人である。
 もう一つは、以前に家庭を持っていて、何らかの原因で家庭が崩壊してしまい、孤独の毎日を過ごしているうちに、悟りのようなものが開けてきて、孤独に慣れてきたというのか、孤独であっても、充実がそれを上回れば、それでいいという考えである。
 後者の場合は、ある程度の年齢がいった人が考えることで、若い人は、前者が多いかも知れない。
 ただ、一度も結婚したことのない人は、ほぼ、結婚というものに憧れがあり、結婚生活を夢見ているはずだ。もし、それがないとすれば、例えば、両親が離婚したところを見ているとか、外的要因で悟りを開かずにはを得ないというところであろうか?
 鈴村にはそのあたりの事情は分からない。ただ、
「会社内で不倫が、最近、続々と発覚している」
 という事実だけを客観的に見ていたからだ。
 そういう意味では、他の人と、感じていることが、随分と違っているのかも知れない。今だ、独身で、彼女もいない鈴村には、不倫と言われても、ピンとこないからだった。
 鈴村は、童貞ではない。正直、素人童貞ではあるが、大学の時、先輩に連れて行ってもらった風俗で卒業は済ませていた。
 正直、最初は、
「こんなものか」
 という、期待したほどではないという思いがあったのも事実だった。
 だからと言って、セックスが嫌いというわけではない。最初こそ、拍子抜けした感じではあったが、最初から、ハードルを上げて行った自分が悪かっただけで、何も本当に、
「こんなものか」
 といって落胆する必要もない。
 そこで、少し期間を開けて、2回目の風俗に行って、相手をしてもらうと、今度は、しっくりくるものがあった。手順も分かっているし、一度下げきってしまい、下ろしてしまいかけたハードルだっただけに、今度は、新鮮だった。
「今回が初めてなんだ」
 というほどに感じたことが、その一番の理由なのかも知れないが、相手の女の子も、最初の子の態度が、
「相手は童貞なんだ」
 という目で見ていたことと、自分のハードルの高さがうまく噛み合っていなかったこともあって、ぎこちなかったのだが、2回目は、その歯車がきっと、うまく噛み合ったのだろう。
 そのおかげで、
「俺はひょっとすると、人とうまくコミュニケーションできる人間なのかも知れないな」
 と感じたのかも知れない。
 確かに最初に相手をしてくれた女性は、明らかに自分よりも年上で、それは、先輩が選んでくれた相手だった。
「童貞のお前には、大人の女性がいいかも知れないな。包容力という点では抜群なので、任せておけばいいさ」
 ということだった。
 実際に話を聞くと、
「私、結構、筆おろしの役が多いのよ。そんなにお姉さんっぽいのかしらね?」
 と聞くので、
「いえ、包容力だって言ってました」
 というと、
「そう? それだったら嬉しいわ。私って、そんなに、童貞に合うのかしらね?」
 といって笑ったが、確かにそうだと、実際に終わった後に感じた。
 彼女がもし、お姉さんだったら、
「きっと、口うるさいんだろうな?」
 と感じた。
 だが、それは嫌味ではなく、そう感じるのは、先輩の言う通り、包容力の有無なのかも知れない。
 鈴村には姉や妹はおろか、男兄弟もいない。だから、いつも、何でも分けるということはなく、一人ゆっくりと自分のペースでいられるのだ。
 子供の頃は、
「寂しい」
 と思ったことも確かにあった。
 だが、孤独と思ったことはない。一人でいることが、自由だということが分かっていたからだ。
 だから、兄弟げんかもしたことがない。兄弟げんかをすると、
「お母さんが、必ずどっちかの肩を持つから、またしても、しこりが残るんだよな」
 と友達が言っていた。
 贔屓された方も、兄弟げんかをして、相手が必死になって向かってくるのは、自分が母親に贔屓されるからだと思うことで、母親を恨んだものだとまで言っていた。
 その友達は贔屓された方だったのだろう。
 ただ、その気持ちは、分からないでもなかった。
 というのが、鈴村は、小学生の時、いじめられっ子だった。
 よく学校で苛められて、痣を作って帰っていた。母親でなくとも、子供の様子を見れば、学校で何があったのか分かりそうなものである、
 母親としては、苛めっ子に対してよりも、学校に文句を言いに行ったようだった。
「うちの子供が毎日のように痣を作って帰ってきているのを、担任の先生が知らないということはないんじゃないでしょうか?」
 といって詰め寄ったという。
 学校としても、苛めの問題は、シビアな問題として、考えていた。いじめられっ子の中には、下手に騒がれて、苛めがエスカレートするのを怖がって、
「なるべく騒がないでほしい」
 と思っている生徒もいる。
 特に苛められっ子というのは、内に籠る性格の子が多いので、鈴村も、そんな感じだった。
 そして、いつも自問自答を繰り返していて、気が付けば、自分が今どこにいるのか分からなくなっている。感覚がマヒしてしまっているのかも知れないと感じるのだった。
 感覚がマヒするというのは、一般的に時間の感覚である。
「時間が解決してくれる」
 ということを考えるから、時間というものをいつもは、考えているのに、辛いことがあれば、
「早く時間が過ぎてくれないか?」
 と思うことで、余計な意識が働いてしまい、
「1時間は経っただろう?」
 と思うことでも、実際には、10分も経っていなかったりするのは、結構あったりする。
 だが、次第に、
「あの時が最悪だったんだ」
 と思うと、スーッと気が楽になってくる。
 そう感じた時にやっと、時間の呪縛から逃れることができるようになり、時間というものが、
「相応と思える時間」
 に変わってくるのだった。
 苛めにというものは、決して許されることではないが、それは、苛める側の問題というよりも、母親は、
「本当はいさめる立場の学校側が、見て見ぬふりをしていることが問題なのだ」
 といっているのだ。
 もちろん、苛める相手に対して怒りがないわけではない。だが、
「苛められるには、あなたにもそれなりに理由があるんじゃない?」
 と聞かれ、考えてみたが、
「分からない」
作品名:連鎖の結末 作家名:森本晃次