マイナスとマイナスの交わり
それだけ、仏教を手厚く保護していたということと、国力の強さを見せつけたということで、聖徳太子の名は、日本だけでなく、隋にも知れ渡ったということであろう。
聖徳太子という人物が一万円札になったというのも頷けるというものだ。
そういう意味では、昔のお札の方が、知名度が高かったというか、政治家や、皇室系が多かったということであろう。
今の時代は、平成以降は夏目漱石などの作家であったり、野口英世のような研究家、福沢諭吉のような、思想家が増えてきたが、昔であれば、板垣退助、伊藤博文、岩倉具視などのような政治家や公家などが多かった。
高橋是清というのもあったが、それは、当時としては(今でもそうなのだが)、大蔵大臣(今の財務大臣)の中で名実ともに、一番の人物としてお札になったというのも、分かる気がする。
余談だが、そういう意味では、お札になった人は、暗殺されたり、暗殺されそうになった人が多いというのは、気のせいであろうか?
伊藤博文を筆頭に、高橋是清、板垣退助など、暗殺されたり、されかかったりした人々だ。
やはり、明治から大正にかけての動乱の時代、
「元勲や偉人は、暗殺と背中合わせだ」
といってもいいだろう。
伊藤博文のように、朝鮮で暗殺された人もいたが、考えてみれば、明治の元勲で暗殺された人のなんと多いことか。
代表例としては、薩摩の大久保利通なども言い令である。
当時は、内務卿となっていたので、ひょっとすると、初代の内閣総理大臣は、伊藤博文ではなく、大久保利通だったかも知れない。薩摩は、西郷隆盛が、西南戦争で命を落としたりと、長州閥が強くなっていったのも分からなくもない。
特に、総理大臣や陸軍系などでは、伊藤博文と、山県有朋との間で交代で行われるかのような状態であったので、ほぼ、長州閥が独占という感じだったのだろう。
余談が過ぎたが、スコアブックをつけながら、人の話を聞くなど、正直、ほとんど無理であった。それでもごましか利いたのは、
「相手がスコアのつけ方に関しては、ずぶの素人だった」
ということだからであろう。
スコアブックのつけ方にも、実はいろいろ種類がある。基本的には同じなのだが、実際のスコアラーと呼ばれる人がつけているやり方と、スポーツ新聞などで、素人でも分かるような書き方をしているようなものである。
三枝は、野球部に所属はしていたが、マネージャー経験があるわけではないので、スコアを実際に自分が野球をしていた頃、つけたことはなかった。
野球を辞めてからも、高校時代は野球から遠ざかっていた。それなのに、また野球を見に行くようになったのは、正直、
「暇だった」
というのが、最初の理由だった。
不謹慎なようだが、高校時代は必死になって、大学受験に邁進していた。中学時代までは適当な勉強で適当な成績だったので、高校も中途半端になってしまった。
卒業後の就職組も結構いるような学校で、その中で進学するということだと、それなりに受験勉強が必要だった。
中学時代は結構必死に勉強していたが、なかなか受験するレベルまで達することはできなかった。それでも、何とか間に合わせて、それなりの大学に入学し、そこから先は普通の大学生活を送り、普通に就職した。
「人生で一番頑張った時期は?」
と聞かれると、
「今のところは、高校時代だ」
と、迷わずに答えることだろう。
大学生になってからは、皆と同じように、勉強もそれなりにやって、部活に、バイトにと、いろいろ考えていたが、本当は、例愛のようなことがしてみたかった。
実際に、大学に入って、女の子の友達もたくさんできたのだが、その中の誰かと付き合えるようなことはなかった。
最初は理由が分からなかったが、途中から気づいたのは、
「距離が近すぎるからではないだろうか?」
ということであった。
距離が近すぎると、相手を意識しすぎるし、遠すぎると、本来なら見えるはずの距離が見えなかったりするので、そのあたりが実に微妙な距離感なのだ。
だから、大学時代に実際につき合った人は大学の中にはいなかった。
しかし、まわりを見てみると、
「何で皆、そんなに同じ大学内で付き合えるんだ?」
と思ったが、他の友達に聞いても、
「俺には分からない」
という返事しか返ってこない。
ということは、その友達も同じように、大学内で付き合える人を探しているのだが、なかなかそんな人に巡り合うことができていないのだろう。
そうかと思うと、アルバイトなどで一緒になった女の子に、誘いを掛けると、意外と簡単に乗ってくる。しかし、2,3度デートするかしないかくらいで、すぐに別れることになる。
相手から連絡がこなくなり、こちらから連絡をしても、無視されたりで、無視されると、さすがにそれ以上は押し切ることはできない。
その頃になると、完全に嫌われているようで、しつこくすればするほど、まるでストーカー扱いで、気持ち悪がられてしまい、まわりから。
「もうよせ」
と言われるのが関の山だった。
そこまで言われれば、さすがに、どうすることもできない。
しつこく迫れば迫るほど、自分の立場は喪失し、まわりの友達も失いかねない状況になるのだ。
中には、真剣に好きになった子もいた。
その子を諦めるのは、かなりの辛さがあり、その思いがトラウマになって、同じ大学の女の子を、恋愛対象として見ることができなくなった。
そのくせ、イチャイチャしてる連中を見ると、羨ましいと思い、自分の中で矛盾した思いになっていることに気づかされたのだった。
そのため、なるべくアルバイトをするようになった。それも、日雇いバイトか、短期バイトが多い。
もし、長期バイトに入っていて、そこで彼女ができたとしても、もし別れることになったら、気まずいに決まっている。その時はどちらkが辞めないといけなくなることを思えば、最初から短期バイトがいいことは火を見るよりの明らかだった。
「バイトを聞ける基準って、それなのか?」
と、きっと話をすれば呆れられることだろう。
そんなことは分かっている。分かっていて、どうしても諦めきれないのは、
「せめて、大学を卒業するまでに、ちゃんと女の子をつき合いたい」
という表の気持ちと。
「彼女と、初体験をしたい」
という裏の気持ちが、交差して絡み合っていうからであった。
実際に、大学2年生の頃までは童貞だったので、先輩が見かねて、風俗で童貞は捨てさせてくれた。
「素人童貞を卒業したいのであれば、一度プロにご指導願った方が絶対にいい」
ということであった。
「テクニックとか、そういうことじゃないんだ。心構えが最初からあれば、相手に臆することはないだろう? その臆することのない気持ちを教えてもらうという意味で、童貞を失うのは、風俗のお姉さんがいいと思っている人は結構いるんだぞ」
と言われたのだ。
「風俗のお姉さんは、いろいろ教えてくれた。女性の扱い方。女性の感受性。どうすれば、女の子に好かれるか? そして、嫌われないか?」
ということをであった。
「女の子に好かれる」
ということ、そして、
「嫌われない」
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次