マイナスとマイナスの交わり
と自分を名乗ったうえで聞くと、
「私は、安藤みゆきといいます。あの高校に赴任して、4年が経ちました」
というので、
「じゃあ、1学年分の生徒は、入学してきてから、卒業は見送ったということになるんですね?」
と三枝がいうと、
「ええ、そういうことになりますね。そういう意味で行くと、高校時代を自分で送っている時は、どれだけ長かったんだろう? って思いましね。それを感じると、余計に、高校っていうのは主役は生徒なんだって、余計に思いますよね」
とみゆきは言った。
「担任というのは、もう持たれたんですか?」
と聞かれたみゆきは、
「いいえ、今はまだ持っていません。とりあえず、副担任というところまでは来ていますが」
というので、
「そうなんですね? でも、先生という職業が大変だということは、聞いています。今の世の中で、思い切りブラックな職業だということもですね」
というと、
「分かっていただけますか? でもまだ私は、担任を持っていないので、まだマシだと思うんですが、実際に一つのクラスの担任ともなると、数十人の生徒を自分で見ていかなければいけないので大変ですよ、進学であったり、就職であったり、送り出してあげなければならない。それは、3年間という限られた時間の中でのことであり、しかも、日々成長しているわけなので、そのあたりを分かっていないと、生徒を見失ってしまう。それだけはできないと思うと、かなりのプレッシャーになりますよね?」
と、興奮気味にみゆきは答えてくれた。
どうやら、みゆきには、こういう悩みを話せる相手が、いないのではないだろうか?
学校の他の先生は、ほとんどが皆先輩であり、しかも、担任を持っていたりすると、人の話を聞いている場合ではないだろう。
つまりは、みゆきは学校で孤立していて、いつも一人である。しかも、プライベートでも話ができる人もいないようだ。そうなると、孤立が招くものは、孤独しかなく、それを今、みゆきは、嫌というほど感じているに違いない。
そう思うと、
「彼女は本当に野球が好きで、ここにいるのだろうか?」
という思いを感じた。
嫌いではないのだろうが、それだったら、ライトスタンドの応援団の近くにいてしかるべきだと思った。
そうではないということは、彼女も三枝と同じようなところがあり、野球を冷静に見たいと思っている一人なのではないだろうか?
野球を見ているその目は、実際に楽しそうに見える。もっとも、みゆき先生に限らず、この席に座る人は、野球をさまざまな目で見て、興味津々の表情をしている。
ピッチャーの球筋であったり、表情であったり、さらに、バッターとの駆け引きなどを、ピッチャーサイドから見る人、あるいは、どのコースに的を絞って、どんなスイングをしようか? と思って見ているバッター目線の人もいるだろう?
三枝は基本的にピッチャー目線だった。
自分が学生時代にやってみたかったポジションはピッチャーであり、ただ、監督はやらせてくれなかったのだ。
時期によっては、
「本当にピッチャーをやらせてくれないのであれば、辞めてやる」
と思った時期があったが、それは半分本音だった。
実際に、身体を壊したのも、精神的にピッチャーへの未練があったことで、身体が、自分の意思の通りに動いてくれなかった結果だとも思っている。
だから、身体を壊した時、身体が治れば、本当であれば、野球を続けてもかまわなかったのだが、
「こんな中途半端な気持ちで続けるのは嫌だ」
という精神的な面で、すでに限界を感じていたので、スッパリと野球をやめることができた。
あのまま辞めずにしがみついていれば、どうなっていたかと思うと、余計に恐ろしさを感じる。
実際にもっとひどいケガをしていたか? もしそうなっていれば、お決まりの転落コースが自分を待ち構えていることだろう。
ピッチャーをできないことのストレスを抱えていながら、中途半端に成績を残していたので、高校のスカウト連中が注目していたのも事実だった。
他の生徒だったら、少しは舞い上がったかも知れないが、三枝は複雑な気分だった。
「野球を続けたいのは、やまやまだが、俺が本当にやりたいのはピッチャーなんだ、それができないのであれば、野球を続けるのは、却ってきつい」
と思っていた。
ピッチャーを皆が支えて、試合にするのが野球というスポーツで、だからと言って、ピッチャーがやりたいのは、支えられたいなどという気持ちからではない。目立ちたいという気持ちからでもない。確かに、ピッチャーが試合の最初を演出する。ピッチャーが球を投げて成立するスポーツだからである。
だからと言って、ピッチャーにしがみつくのは、正直自分でもよく分かっていない。それだけに、ピッチャーを他の人がしているのをまわりから見ていることに耐えられるほど、自分の人間はできていないと思うのも無理もないことであった。
ピッチャーとして、マウンドに立つと、あれほど気分のいいものはない。ただ、その分、孤独であるということも分かるのだ。
自分だけが、他の人よりも高い位置にいる。その場所から見ると、他のポジションの選手が皆近くに見える。バッターもキャッチャーも近いのだ。
だから、18.44メートルという、マウンドから、キャッチャーまでの距離は、実際には、15メートルくらい、あるいは、さらに短く感じられる時がある。そんな時は、
「絶対に打たれることはないだろう」
と思うのだ。
しかし、実際には打たれるのではないかと思う。だから、一度打たれ出すと、抑えが利かない選手がいて、点を取られ始めると、抑えが利かない人もいるようだ。
ただ、その傾向が自分にはあるようで、一度監督に、
「ピッチャーをさせてほしい」
といって直訴に行ったことがあったが、その時言われたのは。
「お前は、我が強すぎる。そのために、一度ストライクが入らなくなると、舞い上がってしまって、今度は、まわりに気を遣うようになる。悪いことではないのだが、それなら、もっと早くから、要するに普段からそういう態度を取っていれば、そこまでのプレッシャーを感じることはないだろう。だから、余計にプレッシャーを感じるのだろうな。だけどな。それがまわりには伝わらないんだよ。せっかくのお前が思っていることはすべてが空回りしてしまって、誰もお前を信用しなくなる。そうなると、そんな孤独なマウンドにお前は押し潰されることになる。試合はメチャクチャになって、本当にお前はまわりから完全に浮いてしまうことになるんだ。それでもいいのか?」
と言われると、何も言えなくなった。
この時に辞めてしまおうかとも考えたが、
「今はまだ成長期なので、自分がピッチャーとしての器に近づくことができるのではないか?」
と思い。-、そのまま部活に残ることにした。
だが、実際にやってみると、思ったよりもうまくいかず、身体の方が先に悲鳴を上げたのだった。
「もう、ダメだ」
と思ったが、それでも、少しだけ無理をした。
その結果が部活を辞めることを強いられたが、思ったよりもアッサリしたものだった。
最後に無理をしたのは、自分のささやかな抵抗だったのかも知れない。
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次