マイナスとマイナスの交わり
といって、送り出してくれたが、夢破れて戻ってくると、明らかに、邪魔者扱い。
下手をすれば、
「授業料がいらないということだったのに」
ということで、親は裏切られたような気分になっているかも知れない。
それは、あまりにも情けないというものだ。
そのせいで、学校にも家にも居づらくなる。学校は退学ということになり、家での居場所はなくなり、出ていくことになるだろう。
親も、心配もしていない。
「どうせ、食いぶちが減っただけだ」
というくらいにしか思っていないだろう。
それだけ、子供に対しては、期待が大きかったことへの裏返しなのだろうが、子供を守るはずの親がそれでは、どうしようもないというところであろうか?
そんな親からも世間からも見捨てられた子供が辿るのは、もう、決まっている。
いわゆる、
「末路」
と呼ばれるもので、警察の厄介になることだってあるだろう。
しかも、警察でも、
「お前も、以前は、県の代表で甲子園まで行った男なのに、落ちたもんだな」
と言われたりして、ここでも、プライドがぐちゃぐちゃだ。
いや、ここまでくれば、プライドなどというものがあったなど、自分でも思い出せないほどの転落人生で、思い出したとしても、
「まるで前世のことのようだ」
くらいにしか覚えていないに違いない。
「ただ、けがをしただけなのに」
と思う。
「自分がショックなだけでも結構きついのに、なぜこんなに世間の風当たりは強いのか?」
それだけ、まわりの人間は、自分が考えているほど、自分に期待など、最初からしているわけではなかったということだ。
期待どころか、嫉妬や妬みだったのかも知れない。
「ちょっと野球がうまいだけで、ちやほやされて」
と思っていたのだろう。
親だってそうだったに違いない。
「お前はお父さんお母さんの誇りだ」
などと言っていたが、これほどの詭弁はなかったということだ。
何度、いろいろな人から、
「お前は誇りだ」
と言われたことか。
今思えば、
「誇りではなく、埃の間違いではないのか?」
と思うほどだ。
「たかが、甲子園。されど、甲子園」
である。
最初から、
「たかが甲子園」
というくらいに思っておけば、そこまで自分を卑下することもなかっただろうし、ここまで落ちぶれることもなかっただろう。
そんな人を、複数人知っている三枝は、
「俺なんか、中学時代でけがをしたのは、幸いだった」
ということなのだろうか?
高校生になってから、ちやほやでもされていると、きっと同じ運命だったはずだ。
なぜなら、この自分自身が、高校野球でちやほやされている人たちに対して、思い切り嫉妬していたからだった。
自分が野球をできなくなったことで、これほど人を妬むことになるなど、思ってもみなかった。
中学時代までは、まだまだ子供だと思っていたが、その奥底には、恐ろしい、嫉妬の嵐が目覚めかけていたのだと思うと、ゾッとするのだった。
だが、子供だから、純粋な心を持っているなどというのは、迷信であり、たわごとだといってもいいかも知れない。
子供だからこそ、いいたいことを言って、傷つくかどうかなどということを気にしないものである。
大人になるということがどういうことなのかというのも、よく分かっていない。
特に、
「いつもお前は一言多いんだから、気をつけなさい」
と、小学生の頃など、親からよく注意されていた。
言われると何も言えなくなる三枝少年だったが、
「一言多いって、具体的に、どんな時に何をいうから、一言多いっていうんだよ?」
と思っていた。
そんなことは自分でも分からない。
高校生になった頃には、何となく分かってきたのだったが、それは、
「一言多い」
という意識があるが、気が付けば、
「この言葉は言ってはいけないんだ」
ということを自覚できるようになっているので。人から何かを言われることもなくなったということだ。
だが、何も言われなくなったのが、本当に多かった一言がなくなったからなのか?
それとも、なくなったというのが、無意識のことであり、それを、
「成長の証だ」
ということで、理解してもいいのだろうか?
そんなことを考えていると、子供の頃に親から言われていたことに対して、反発しなかった自分をもどかしく思う。
「子供なんて、大人が思っているほど、単純なものではないはずなんだがな」
と思っているが、考えてみれば、
「親だって、子供だった時代があったはずで、その時も親から言われたことに反発して、
「自分が親になったら、こんな子供が傷つくような言い方はしない」
と思っていたに違いない。
子供の頃の自分がそう思っていて、高校生になってからも、同じように思っていたからだった。
にも関わらず、それまでの意思がどこかで変わってしまい、子供に対して、親としていうことをいうだけになってしまっている。いつ変わるというのだろうか?
普通に考えれば、
「親になった時」
ということなのだろうが、
親になると、何がどう変わるというのか。
確かに母親は、
「自分の腹を痛めて産んだ子だ」
ということで、子供に対して、まるで自分の分身のような気持ちになるというのは、当たり前のことのように思うのだが、果たして、そうなのだろうか?
親は、子供を産むと、結構老けるのが早いという。
一緒にいる自分だから分からないが、友達のお母さんなどは、その傾向にあるようだった。
友達が長男で、その下に子供ができて、その子が小学生に上がる頃は、その子ができる前とでは、かなり違っているようだった。
友達とは、小学生の頃からの幼馴染、母親の変化も分かっていたのだ。
「初めて見た時は、きれいな人だと思っていたけど、子供が一人生まれただけで、ここまで変わるんだ」
と思うと、
「じゃあ、友達が生まれる前のお母さんって、どんな感じだったのだろう?」
と思えてならない。
会ってみたかったと思う気もするが、それも、二人目が生まれるまでだろう。その思いには、大きな矛盾が孕んでいて、結局は、会いたいと思うはずのない結論に導かれるだけだったのだ。
母校の先生
その日は、いつものように、バックネット裏で、スコアをつけていたが、隣に一人の女性が座ったことに、グラウンドに集中していた三枝は分からなかった。ただそれはいつものことであり、今日に始まったことではなかった。
その日の試合は、結構白熱していた。
といっても、投手戦というわけではなく、ノーガードの打ち合いのようになっていて、5イニングも終わっていないのに、両軍とも、5点以上を取っているというものだった。
「ランナーをためて、ドカンと一発長打で大量点」
というパターンで、一番客が湧く試合であった。
そのせいか、フロントが忙しく、ピッチングコーチが、何度もマウンドに行くことが多くなっていた。
ピッチャーも何人が交代したことだろう。
「一人投げてはまた一人」
といった具合であるが、ベンチ入りの投手の数で賄えるのか、疑問なほどだった。
ただ、野球の試合というのは面白いもので、どれだけの、
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次