マイナスとマイナスの交わり
日本はおだてるだけおだてておいて、使えなくなったら、簡単に、はしごを外してしまう。そんなとんでもない国なのだ。
選手によっては、マスゴミに潰されてしまう人もいる。
甲子園で記録を作ったり、優勝などすると、ちやほやされて、天狗になってしまう生徒もいるだろう。
まるで英雄気取りであるが、それも無理もないことで、もっといえば、例えば、県代表として、甲子園に出場するとなると、まずは、壮行パーティのようなものをやってくれて、いざ、甲子園入りの時の新幹線の駅などで、学校や県のお偉いさんがやってきて、万歳三唱などをする。
まるで、大日本帝国の、
「軍への入隊」
よろしくである。
そして、試合の時には、貸し切りバスを何台も連ねて、前の日から試合に間に合うように、夜行で応援団が甲子園入りするのだ。
完全に、
「県や学校を背負って野球をする」
という感じだ。
プロの選手が、オリンピックやWBCで日の丸を背負って試合をする時、甲子園や神宮を経験し、さらにプロの世界でしのぎを削っている人たちが、
「日の丸の重さに負けてしまう」
といっているのに、高校生が、そんなちやほやされると、舞い上がってしまったり、逆にプレッシャーで圧し潰されるのは、目に見えている。
それで、もし、一回戦で負けて帰った場合、壮行してくれた時の新幹線の駅は、まったく普段と変わりない。
せめて、
「地元のためによく戦ってくれた」
とでも言ってくれれば、少しは違うかも知れない。
いや、そんなことはない。そんな茶番がなくて、却って楽ではないだろうか?
そもそも、ここまでが茶番だったのだ。
昔のアイドルが、解散するという時、
「普通の女の子に戻りたい」
といった言葉を思い出される。
考えてみれば、
「アイドルは普通の女の子ではいけないのか?」
ということである。
確かに今のアイドルと昔のアイドルでは、種類が違う。昔のアイドルは完全に、操り人形であったが、今のアイドルも、似たところがある。
アイドルグループの中には、
「恋愛禁止」
などという決まりがあって、それを破ると、除名や、引退に追い込まれる。
いわゆる、
「卒業」
というやつだ。
もっとも、それは、ファンが変わってきたというのもあるかも知れない。昔も熱狂的なファンはいたが、今とはこれも種類が違う。何でも商売になるアイドル界。
グッズやCD販売などは昔からあったのだが、今では、握手をするのも、写真を取るのも、チケットを買うということになっている。熱狂的なファンが、ステージに乱入するというのも、よく聞く話で、ファンの質は変わってきたのだから、アイドルも自然と変わってくるのも、当たり前ということだろうか?
最近のアイドルは、
「何でもこなす」
というアイドルが多くなった。
歌を歌うだけではなく、バラエティであったり、教養番組に出演したり、
「卒業しても、社会人としてやっていける」
というアイドルを目指している。
そういう意味で、純粋に楽曲を披露することで、昔のアイドルのような活動を続ける人たちもいる。その人たちのことを、
「地下アイドル」
というようで、彼女たちには、メジャーアイドルにはない、
「近距離で接することができる」
というものがあり、地下アイドルのファンも、実に熱狂的だったりする。
高校野球の選手もアイドルではないのだ。ちやほやされると、ついてくる結果は、ろくなことにならないのが、大半ではないだろうか?
高校野球など、しょせんは学生野球。一種の教育の一環としてのスポーツなのではないのだろうか?
いつから、学校や自治体の名誉に変わったというのか、そもそも、県の名誉といっても、県大会で必ずどこかの学校が優勝するのであって、甲子園には、出場することになる。
ということは、県とすれば、
「年間行事の一つ」
でしかなく、ただ、
「どの高校が代表になるか分からない」
というだけのことではないか?
ひょっとすると、県知事を中心に、送り出す方は、適当にいなしているだけで、
「ああ、疲れた」
と思っているだけなのかも知れない。
「県の代表として、恥ずかしくない試合をしてきます」
などと監督はいうが、
「恥ずかしい試合って何なんだ?」
と選手は、いい加減冷めているのかも知れない。
試合をするのは監督ではない。選手なんだ。いくら団体競技とはいえ、監督に、
「恥ずかしい試合」
などと言われたくない。
「そもそも、恥ずかしい試合の定義が分からない」
例えば、10点以上、取られて負けるとかだろうか?
それだって、一生懸命にやっても、相手のレベルが上だったら。しょうがないではないか?
そもそも、レベルが上という考えもおかしなものだ。向こうだって県大会を勝ち抜いてきているのだ。立場は同じはずだ。
ただ、放送をしている方は、
「選手は、一生懸命にプレイした」
というだろう。
それを聞いているのも、白々しい気がする。
「汗と青春の高校野球」
ヘドが出る言葉だ。
「金と名誉の高校野球」
の間違いではないだろうか?
しかも、その名誉というのは、学校の名誉。考えただけでもバカバカしくなってくる。
活躍できた選手にはそれなりに、来年への期待もあるだろう。もっとも、甲子園などに先輩が出場すれば、来年のレギュラーは大変だ。
「俺たちが甲子園に出たわけでもないのに、俺たちが、打倒! などと言われて、徹底的にマークされる。いい迷惑だ」
と思っていることだろう。
それこそ、野球をやるのは選手だということを忘れているのではないかと思う内容である。
たまたま、その年は、絶対的なエースがいたことで、行けた甲子園だったのかも知れない。
それでも、一人の活躍だけで、全国大会ともなると、なかなか勝ち上がれないだろう。
だから、一回戦で負けることも多い。
「大会屈指の名投手を擁しながら、一回戦で惜しくも敗退」
などと言われるが、それだって、当然のことだったのだろう。
「甲子園なんて、そんなものだ」
と、思うと、だんだん白けてくる。
しかも、その投手が、試合で酷使され、翌年は試合で投げられなくなったりすると、学校側は冷たいものだ。
マスゴミやプロのスカウトだって、
「君は将来、プロ野球でも十分にやっていける逸材だよ」
といって、毎日のように顔を出していた人が、けがをしたと分かった瞬間に、まったく寄り付かなくなってしまう。
「本当に分かりやすい連中だ」
ということなのだろうが、下手をすると、その生徒はグレてしまうことも、必定なのであろう。
学校では、特待生の枠から外されて、それまでは、
「授業料は無料」
などと言われて、
「野球に専念してくれ」
という、野球人としては、最高の環境だったものが、その価値がなくなったとたん、
「野球ができないお前に、学校が何を優遇するっていうんだ? 授業料無料の時にも話をしたではないか?」
と言われてしまえば、確かに、そんなことを言っていたかも知れないが、有頂天になっている生徒にそんなことは分かるはずもない。
親だって、
「お前が野球をやりたいなら、その道が一番だ」
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次