マイナスとマイナスの交わり
「あくまで、野球が好きだから野球をしていたわけではなく、ピッチャーをするには、野球をするしかないから、野球をしていただけで、決して、野球全体が好きなわけではない。ましてや、ピッチャーの姿を羨ましく見ているほどのお人よしでもない。孤独なポジションということで、他の野手から、励まされる姿など見たくもないし、さては、自分が励ます立場など、ありえるはずもない」
と考えていた。
だから、ピッチャーができないのなら、野球からキッパリ足を洗おうと思うのも当たり前だ・
それをまわりの何も知らない連中は、
「ピッチャーができなくなったとしても、他のポジションをすればいいじゃないか」
と平気でいうが、そうではないのだ。
野球ができなくなった人間に、
「同じボールを扱う球技だから」
といって、サッカーやバスケットを勧めるのと同じことだ。
しかも、
「同じ野球」
というワードで締め付けてくる。
それは、実に耐えられることではないだろう。
とは言いながら、自分でも、いまだに野球場に来て、スコアをつけているのかが疑問で仕方がない。
野球ができなくなったから、何か他に趣味のようなものを持たないと、時間を持て余し、ロクなことを考えないということが分かっていたが、結局見つからなかった。それがなぜ、スコアつけになったのか、自分でもハッキリと分からなかったが、
「マイナスのマイナスはプラス」
という発想があったのか、野球をやっている時に絶対にやりたくなかったのが、マネージャーのような仕事だった。つまり、プラスのマイナスが、スコアつけだったのだ。
それが、野球自体がマイナスになったので、マイナスのマイナスということを考えると、そこに生まれたのが、
「今の俺ならできるかも?」
という、ある意味、藁をも掴むというような感覚であった。
この、
「マイナスのマイナス」
という発想、意外とツボに嵌っていたのだろう。
三枝とみゆきの間にあるギャップは、お互いに、問題のないものなのだろうか?
もちろん、男女で、恋愛に対しての感覚が違うということはあるだろう。
「男というのは、楽しかったことだけ、自分にとって都合のいいことを覚えていて、それを相手も同じだと思うというところがある」
と聞いたことがあるし、
「女の方はというと、相手に対して、気を遣っているからなのか分からないが、まずは、自分の中だけで、結論を出そうとする。そのために、最初に自分の中だけで結論を出すのだが、相手の男が、自分に対して、もう好きでいることはできないと感じているのだから、何を言ってもダメなんだとは気づかない」
ということである。
つまり女の方としては、相手の男のことを嫌いになってしまえば、何を言われても、自分の牙城を崩すことはない。完全に、相手の男を置き去りにするというやり方である。
ただ、これは、
「長い間(これも感覚的なことであるが)付き合っている男女が、別れに際して考えることであって、まさか、知り合ってすぐの二人の間に、そんな葛藤があるなどということは、普通であれば、考えにくいだろう」
ということではないのだろうか?
ただ、二人の間の過去における出来事によって、形成されてきたことが、二人を締め付けているのだろう。
逆にいえば、二人の間でそれぞれ、マイナス面が表に出てきているということは分かり切っていることである。
いわゆる、
「マイナスのマイナス」
という発想ではないだろうか?
お互いに、それぞれがマイナスの発想を持っている。
みゆきにとって、ストーカーの存在。
三枝にとっては、野球というもの、そして、その中のピッチャーへのこだわり。それぞれに言い分はあるが、表に出したくはないことだった。
みゆきとしても、自分の中で、ストーカーが生まれたということも、
「自分の中で、何か思わせぶりなところはあったからではないか?」
という思いも密かにあった。
というのも、警察に相談に行って、生活安全課で言われたこととして、
「あなたにも、自分で意識していないところで、相手の男性に思わせぶりな態度を取っていたのが、原因かも知れないですね。あなたは、まったく意識もないし、男女間としては、ごく普通のことなのかも知れないですが、相手のあること。絶対にないとは言えないでしょう? そのあたりを考えると、相手の男性がすべて悪いというわけではないのかも知れませんね」
というような話をしていた。
これに関しては。みゆきはショックだった。正直、
「心外だ」
といってもいいだろう。
前にテレビで見たドラマの中で、高校生の女の子が強姦されるという話があったが、その時に、相手の弁護士が、何とか示談に持ち込もうと、札束持参でやってきて、
「裁判を行ったとしても、大した損害賠償にもならないし、相手を刑務所に送ることも難しい。しかも、裁判を起こすということは、あなたにとって、法廷に立つことを意味するんですよ。聞かれたくもないことを聞かれて、しかも、強姦されたことが世間にバレてしまう。これからの暮らしを考えると、そこまでのリスクを犯してまで、裁判をするよりも、お金をもらって、それで、傷が癒えるのを待っている方がいいのではないですか?」
と言われていた。
本来であれば、殺しても殺したりない相手であるが、弁護士のいうことも、もっともだということで、いわゆる、
「泣き寝入り」
させられることも多いだろう。
令和4年現在は、強姦罪は、すでに親告罪ではないので、このような会話はないのかも知れないが、こんな会話がまかり通っていいのだろうか?
自分もストーカーに狙われた時、同じことを言われたのは、実に心外だったが、心外だと思ったことが、問題なのではない。それを言われたことが、自分の中でトラウマを作ってしまったことが問題だったのだ。
それを考えると、まだ付き合ってもいないのに、
「好きになるかも知れない相手だ」
と感じた時、どんどん先回りをして、自分の中でいろいろなシミュレーションを行った中で、出てきた結論が、
「相手が何かを考える前に、自分の中で結論を出してしまおう」
という考えだった。
ただ、これは、今のトラウマができてしまった、みゆきだからこそ、このような感覚になったのであって、一種の癖のようになってしまっているのかも知れない。
一種の病気のようなものなのかも知れないが、あくまでも、みゆきという女の子が考えて出した、
「自分の生き方なのかも知れない」
と思うのだった。
ただ、これは、前奏曲でしかなかった。みゆきが、三枝に対して感じた感情は、かなり先走ったものであり、三枝がこの気持ちに追いついてくると、まだその時、みゆきは迷っていたのだ。
とっくの昔に結論を出したつもりだったが、最期のゴールテープが切れないでいた。それはまるで、人生ゲームのように、ちょうどの賽の目を出せないからではないだろうか。
そのうちに追いついてきた三枝が彼女を抱擁していく。
それまでの野球ができなくなったことを、スコアーをつけるということで、気を紛らせているつもりで、
「好きなものは好きだ」
という意識で乗り越えた三枝は、みゆきにとっての、
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次