マイナスとマイナスの交わり
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年5月時点のものです。今回も、特撮やマンガなどから、あらすじの引用をたとえ話に使わせてもらっています。円谷プロ様、ありがとうございます。
野球少年の末路
今年30歳になる三枝は、野球観戦が好きで、よく、プロ野球が行われるスタジアムに行っていた。普通だったら、外野席で、ビールでも飲みながら、応援団のリズムに乗って皆でワイワイするものなのだろうが、彼の場合は、
「野球というスポーツを楽しむ」
という、単純なものだった。
だが、単純とは言っても、完全に、
「野球観戦が趣味」
というだけだって、実際に、スコアブックを持って行って、自分でつけていたりした。
好きな選手がいるわけでも、ひいきチームがあるわけでもなかったが、値段は高いがバックネット裏の席に陣取って、スコアをつけながら、投手の球筋などを見て、研究していたものだ。
そういう意味では、趣味といっても、観戦というより、研究に近かった。選手の打率など、データを集め、傾向をまとめてみたり、選手の、長所や短所を調べたりした。
「だから、どうだっていうんだ?」
と言われるだろうが、そうやって日ごろから研究していると、選手個人の動向が分かるようになると、
「あのコースの球が空振りしなくなると、復調の兆しだ」
とか、逆に、得意なコースを焦って振りに行って、少し外されていることに気づかずに凡退しているようでは、
「スランプが近い」
などと分かってくるのだ。
まるでコーチにでもなったかのような気持ちだが、そうやって研究するのが好きだったのだ。
元々子供の頃から野球は好きだった。
実際に中学時代には野球部に所属し、高校生になれば、
「甲子園を目指したい」
などと、真剣に考えていたが、けがをして、野球を辞めてしまった。
実際には、それでよかったと思った。
中学時代は何とかついていけたが。高校に入って、やってみると、
「こいつら、一体どこで練習してたんだ?」
と思うくらい、正直レベルの違いに驚愕の思いだった。
けがをしたことを幸いと思い、
「ケガということで辞めてしまうのが、一番いいのかも知れない」
と思ったのだ。
それでも、あれだけうまいと思った連中であっても、実際に県大会などになると、どうしても、準々決勝の壁が破れないとかである。
「あれだけのレベルでも、四回戦がやっとなのか?」
ということで、甲子園などの全国レベルがどれほどのレベルなのか、いまさらながらに、恐ろしさを感じたのだ。
本当は野球に携わりたいという気持ちはあったが、
「裏方なんか、やりたくない」
という思いの方が強い。
よく野球をやっていた選手が、身体を壊して野球ができなくなり、悩みぬいた挙句に、マネージャーになったというような、いわゆる、
「お涙頂戴的な話」
が聞かれるが。そんなものは信じられないと思っている。
自分が活躍して、ちやほやされるところを想像していた時期がハッキリとあるのだから、その時の残像がしっかり脳裏に残っている。
それを、必死になって打ち消して。裏方に徹するなど、できるはずがないではないか。
先輩の中には、野球名門校に入学し、将来を宿望された人がいたのだが、その人もケガで野球ができなくなり、それまで、特待生扱いだったものが、急にまわりから相手にされなくなり、退部させられただけではなく、学校から、
「授業料免除」
と言われていたものが、
「野球ができなくなったのであれば、授業料が必要だ。払えないのなら、退学してもらうしかない」
という、やくざ顔負けのやり方をしている学校だった。
スカウトの時には、いいことしか言わない。
「君が来てくれれば、うちは念願の甲子園、間違いなしなんだ」
と言われたという。
地元の県は、野球王国といってもいいところで、
「野球留学」
とでもいうようなことをしているところがほとんどで、今回誘いに来た学校もその中の一つ、しかし、いつも、甲子園には届かなかった。いわゆる、
「万年優勝候補」
と言われる学校であった。
学校側としては、
「甲子園に出れば、翌年のわが校への志望学生がかなり増える」
という単純な計算で、とにかく、それだけのための甲子園であった。
もちろん、甲子園ともなれば、学校の拍がつくし、父兄からの寄付もたくさん望める。教育委員会でも、学校の知名度が上がり、いいところだらけではないか。
本来の学校というものを見失った学校など、今に始まったことではない。
昭和の頃の、
「青春学園もの」
と呼ばれるドラマでは、必ず、学校の名誉だけを重んじる教頭と、その教頭に腰ぎんちゃくのようにくっつている先生。まるで、
「悪代官と、越後屋」
の関係のようではないか?
そんな連中が、生徒のことを、
「クズ呼ばわり」
をし、熱血教師が生徒の側に立って、教頭たちに敢然と立ち向かうというストーリーが流行ったものだ。
平成になっても、その流れはあり、
「ブームは繰り返す」
という、ルーティンを描くのであった。
そんな学校がいまだにあるというのも、おかしなもので、
「そもそも、高校野球自体が時代遅れではないか?」
と考える人もいるだろう。
高校野球については、嫌な部分がかなりある。
例えば、
「甲子園に出場した学校は、何年ぶり、何回目の出場」
だから、強豪校だとか、
「初出場なので、初々しい」
などと言われるが。強豪校でも、4年以上開いていれば、前の大会に出た人はすべて卒業しているのだ。同じメンバーで出場するのであればまだしも、まったく違うメンバーで出てきて、
「強豪とか、初々しいとか、何をもっていうのだ?」
ということではないだろうか?
しかも、校歌斉唱であったり、なぜ県代表などと言われなければいけないのか?
県代表というのは、自分たちが、県大会を戦ってきたので、他の学校の代表というのなら分かるが、何も県を背負って、全国大会に出たわけではない。校歌にしてもそうだ。野球部が頑張ったわけで、学校が頑張ったわけではない。
「スポーツは教育の一環だ」
というのは分かるのだが、だからと言って、生徒に、学校や県を背負わせるというのは、大きな間違いだろう。
そこまでするのであれば、共産主義国のように、県の庇護を受けて、税金を払わなくてもいいとか、韓国のような徴兵免除的なものがあってしかるべきではないだろうか?
野球少年の末路
今年30歳になる三枝は、野球観戦が好きで、よく、プロ野球が行われるスタジアムに行っていた。普通だったら、外野席で、ビールでも飲みながら、応援団のリズムに乗って皆でワイワイするものなのだろうが、彼の場合は、
「野球というスポーツを楽しむ」
という、単純なものだった。
だが、単純とは言っても、完全に、
「野球観戦が趣味」
というだけだって、実際に、スコアブックを持って行って、自分でつけていたりした。
好きな選手がいるわけでも、ひいきチームがあるわけでもなかったが、値段は高いがバックネット裏の席に陣取って、スコアをつけながら、投手の球筋などを見て、研究していたものだ。
そういう意味では、趣味といっても、観戦というより、研究に近かった。選手の打率など、データを集め、傾向をまとめてみたり、選手の、長所や短所を調べたりした。
「だから、どうだっていうんだ?」
と言われるだろうが、そうやって日ごろから研究していると、選手個人の動向が分かるようになると、
「あのコースの球が空振りしなくなると、復調の兆しだ」
とか、逆に、得意なコースを焦って振りに行って、少し外されていることに気づかずに凡退しているようでは、
「スランプが近い」
などと分かってくるのだ。
まるでコーチにでもなったかのような気持ちだが、そうやって研究するのが好きだったのだ。
元々子供の頃から野球は好きだった。
実際に中学時代には野球部に所属し、高校生になれば、
「甲子園を目指したい」
などと、真剣に考えていたが、けがをして、野球を辞めてしまった。
実際には、それでよかったと思った。
中学時代は何とかついていけたが。高校に入って、やってみると、
「こいつら、一体どこで練習してたんだ?」
と思うくらい、正直レベルの違いに驚愕の思いだった。
けがをしたことを幸いと思い、
「ケガということで辞めてしまうのが、一番いいのかも知れない」
と思ったのだ。
それでも、あれだけうまいと思った連中であっても、実際に県大会などになると、どうしても、準々決勝の壁が破れないとかである。
「あれだけのレベルでも、四回戦がやっとなのか?」
ということで、甲子園などの全国レベルがどれほどのレベルなのか、いまさらながらに、恐ろしさを感じたのだ。
本当は野球に携わりたいという気持ちはあったが、
「裏方なんか、やりたくない」
という思いの方が強い。
よく野球をやっていた選手が、身体を壊して野球ができなくなり、悩みぬいた挙句に、マネージャーになったというような、いわゆる、
「お涙頂戴的な話」
が聞かれるが。そんなものは信じられないと思っている。
自分が活躍して、ちやほやされるところを想像していた時期がハッキリとあるのだから、その時の残像がしっかり脳裏に残っている。
それを、必死になって打ち消して。裏方に徹するなど、できるはずがないではないか。
先輩の中には、野球名門校に入学し、将来を宿望された人がいたのだが、その人もケガで野球ができなくなり、それまで、特待生扱いだったものが、急にまわりから相手にされなくなり、退部させられただけではなく、学校から、
「授業料免除」
と言われていたものが、
「野球ができなくなったのであれば、授業料が必要だ。払えないのなら、退学してもらうしかない」
という、やくざ顔負けのやり方をしている学校だった。
スカウトの時には、いいことしか言わない。
「君が来てくれれば、うちは念願の甲子園、間違いなしなんだ」
と言われたという。
地元の県は、野球王国といってもいいところで、
「野球留学」
とでもいうようなことをしているところがほとんどで、今回誘いに来た学校もその中の一つ、しかし、いつも、甲子園には届かなかった。いわゆる、
「万年優勝候補」
と言われる学校であった。
学校側としては、
「甲子園に出れば、翌年のわが校への志望学生がかなり増える」
という単純な計算で、とにかく、それだけのための甲子園であった。
もちろん、甲子園ともなれば、学校の拍がつくし、父兄からの寄付もたくさん望める。教育委員会でも、学校の知名度が上がり、いいところだらけではないか。
本来の学校というものを見失った学校など、今に始まったことではない。
昭和の頃の、
「青春学園もの」
と呼ばれるドラマでは、必ず、学校の名誉だけを重んじる教頭と、その教頭に腰ぎんちゃくのようにくっつている先生。まるで、
「悪代官と、越後屋」
の関係のようではないか?
そんな連中が、生徒のことを、
「クズ呼ばわり」
をし、熱血教師が生徒の側に立って、教頭たちに敢然と立ち向かうというストーリーが流行ったものだ。
平成になっても、その流れはあり、
「ブームは繰り返す」
という、ルーティンを描くのであった。
そんな学校がいまだにあるというのも、おかしなもので、
「そもそも、高校野球自体が時代遅れではないか?」
と考える人もいるだろう。
高校野球については、嫌な部分がかなりある。
例えば、
「甲子園に出場した学校は、何年ぶり、何回目の出場」
だから、強豪校だとか、
「初出場なので、初々しい」
などと言われるが。強豪校でも、4年以上開いていれば、前の大会に出た人はすべて卒業しているのだ。同じメンバーで出場するのであればまだしも、まったく違うメンバーで出てきて、
「強豪とか、初々しいとか、何をもっていうのだ?」
ということではないだろうか?
しかも、校歌斉唱であったり、なぜ県代表などと言われなければいけないのか?
県代表というのは、自分たちが、県大会を戦ってきたので、他の学校の代表というのなら分かるが、何も県を背負って、全国大会に出たわけではない。校歌にしてもそうだ。野球部が頑張ったわけで、学校が頑張ったわけではない。
「スポーツは教育の一環だ」
というのは分かるのだが、だからと言って、生徒に、学校や県を背負わせるというのは、大きな間違いだろう。
そこまでするのであれば、共産主義国のように、県の庇護を受けて、税金を払わなくてもいいとか、韓国のような徴兵免除的なものがあってしかるべきではないだろうか?
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次