マイナスとマイナスの交わり
と思うと、今度は、もう友達としても、一緒にいることができなくなるだろう。
三枝の方としては、
「ワンチャンある」
というくらいの思いだったのかも知れないが、少なくともデートを何度か重ねる相手だっただけに、こんなにいきなり嫌われるということはないと思うに違いない。
「それだけ、お前が、女というものを知らないだけさ」
と、友達からは言われるかも知れない。
確かに、好きな人から、こんな態度を取られると、女性不審になってしまうかも知れないが、それもこれも、女性を知らない自分が悪いということなのか?
そんなことを考えていると、女性というものが、怖くなる人も気持ちもわかるというものだ。
その時の三枝は、そんな理屈など分かるはずもなく、ただ、みゆきに対しての気持ちが盛り上がっている最中だった。
そんな三枝のことを、みゆきはどう思って見ていたのだろう?
「この人、私のことを少しずつ好きになってくれているんだわ」
ということが分かっていたのだとすれば、彼女が考えることとして、
「だったら、私も、こんなに早く結論を出すことなく、もう一度向き合ってみようかしら?」
と考えるのであれば、いわゆる、
「ワンチャンある」
という考えも、無きにしも非ず、ということであろうか?
みゆきの考えが、
「好きになってくれているのは、分かるけど、私の方は、だからといって、結局彼に靡くことはないと思っているのだから、傷口を広げないようにするために、どこかでちゃんとけじめをつけなければいけないんじゃないかしら?」
ということであれば、みゆきの態度も、若干違っていることだろう。
それは、みゆきが自分の体感に比べて、相手は、それほどの差を感じていないとすると、三枝には、みゆきが何を考えているかなど、分かるはずもない。
ましてや、最初から、
「好きになれない」
とみゆきが感じていること。
そして、それが、女性というものだということをまったく感じていないとすれば、それは、もし、もめて別れるということになれば、三枝の方にも問題があるだろう。
そもそも付き合ってもいないわけなので、三枝の方は、
「もめて別れた」
と思うかも知れないが、みゆきの方は、
「ただ、もめてしまった」
というだけの結果になるかも知れないであろう。
そんな彼女をずっと好きでいたい三枝だったが、自分が一度ストーカーになりそうなことに気が付いた。
どうしても、彼女ができそうになると、いつも、
「私、そんなつもりはないから」
といって、それまで友達でいたのに、急に相手から、そういわれると、何がどうなったのか分からなくなるのだ。
「そんなつもりって、どんなつもりなんだ?」
と思うほど、彼女たちが、三枝を好きになったと、三枝自身が思ってしまったのだと感じた女性たちが、必死になって言い訳をしているようではないか。
三枝もまだ、彼女たちをそこまで好きになったわけではない。だから、三枝の方も冷めてしまう。
「俺だって、そんなに必死になって拒否られたら、簡単に冷めてしまうよな?」
と感じるのだ。
ということは、最初から好きになどなれないということで、好きになるには、相手を好きでもないのに、無理をしているということになるのであろう。
今までの三枝、思春期頃からの三枝というのは、
「女の子を好きだから好かれたいのではなく、好きになられたから、好きになろうとしているだけではないか?」
という考え方を持っていた。
それだけ、人を好きになるのも、何かのきっかけがなければ好きになれない。いや、なることができない」
ということになるのだろう。
それなのに、好きになってしまうと、そこから先はあっという間のことだった。それまでに時間が掛かるから、
「乗り遅れた」
とでも思うのだろうか?
そんなはずはないのに、そう思うということは、
「自覚はしているが、中途半端だ」
ということなのかも知れない。
だから、本当は、
「好かれたから、好きになるということではなくて、自分が相手を好きになったから、好かれたいと思うのだ」
ということなのではないかと感じるようになった。
だから、その考えをあらためようと思ったのだが、想像以上に難しいことだった。
もっと簡単に切り替えられるものだと思っていたが、なかなかできないのは、この考え方を変えるということは、
「根本的な性格をも変えなければいけないということになるのではないだろうか?」
と考えたからだった。
「中学生の俺だから無理だったのだろうか?」
と最初は思っていたが、考えてみれば、まだ中学生、何とでもなる年齢ではないか。
その証拠に、まだまだ、肉体的には成長している時であって、いくらでも修復は利くはずだったのだ。
そんなことを考えていると、自分がどうしても中途半端になるのは。
「中学生だから、まだ技量的に難しいのだろうが、しかし、まだ発展途上なので、いくらでも何とでもなるだろう。だが、技量的には十分な年齢となっても、今度は、すでに発展が止まってしまった時期で、固まってしまった性格をゆがめるには、かなりの困難を有するに違いない」
ということであった。
中学生だからと言って、バカにできるものではないし、大人になったからといって、
「大人だから、してはいけないということが多すぎるというのも、考えてみれば、おかしな話だ」
といえるだろう。
大人になれば、なるほど、子供の頃にはできていたこともできなくなる場合だってある。だが、大人だからといって、すべてがダメなわけではない。そのことをしっかり見定めておかなければ、うまくいくものもいかない。
それが、
「歯車が噛み合っていない」
ということになるのだろう。
それは、男女の間にもいえることで、噛み合っていない相性は、本当にどうすることもできないのだろうか?
ただ、このような状態は、付き合い始めた男女には、往々にしてあるものだ。それは、大小の違いで、
「大なり小なり」
という言い方で表現すればいいものであろう。
しかもこの場合の代償は、その強さは文字通りの大きさではなく、長さのことである。付き合い始めるか始めないか? という相手のことも、自分の気持ちすらハッキリしていない時期に、少々その時期が長くても意識するものではないだろう。強さや大きさであれば、圧倒されるものがあるはずなのに、おのずと気づくだろうが、そうでなければ、そう簡単に分かるものではない。
もし分かるとすれば、それだけ本人が意識していたということか、この思いが、早い時期ではなく、付き合い始めて、結構経ってから、いきなりに出てくる感情だったりすると、頭の中で、
「何で、こんな気持ちになったのだろう?」
と感じるからではないだろうか?
二人の場合に後者は当て嵌まらない。なぜなら、まだ付き合うかどうか、ハッキリした気持ちになっていないからだ、
また、二人の間の、この状態に大きさや強さがあったとも感じられない。
となると、考えられるのは、
「みゆきが、いつも以上に、三枝のことを意識していたからだろう」
ということになるのだろう。
なぜ、そんな感じになったのか?
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次