マイナスとマイナスの交わり
「ドッペルゲンガーを見ると、近い将来死ぬ」
という、まるで都市伝説のような話を作り出したのではないだろうか?
それを考えると、ジキルとハイドの話も、本当にただの小説のお話なのだろうか? 実はどこかで伝わっていたような話が現存し、作者がそれを知っていたかどうかは別にして、一つのアイデアとして作り出した物語であれば、立派なオリジナルであり、著作権は立派に作者に帰属するというものである。
ただ、ジキル博士の場合の方が、ドッペルゲンガーの伝説よりも、リアルな感じがする。
まったく同じ人間が同じ次元に存在しているというのは、やはり無理がある、しかも、この場合、
「まったく同じ、別の自分」
である必要がある。
「似て非なる者という感覚とは正反対だといえるのではないだろうか?」
と考えられる。
「似て非なる者」
というのは結構ある。
言葉の通りに解釈すれば、
「似ているが、それだけのことで、それ以外のことは、何だって関係ない」
ということになる。
そもそも、
「似ている」
という定義は何なのだろう?
似ているということは、基本的に、
「そのものではない」
ということである。
まったく同じものが同じ次元では存在してはいけないのは、なぜかと考えた。
それはきっと、
「別の限りなく広がる世界に、必ず、自分と同じ人間がいて、それはまるで幻影ではないかと思えるのだった。そう。見世物小屋なとの一角にある、
「ミラーハウスのようなものかも知れない」
と感じていると、中にいる自分が、無数に広がっているのを感じ、一種の、
「合わせ鏡」
を想像させるのだった。
薄れ行く記憶
三枝は、この時間で、最初は、さほど気になっていなかったはずのみゆきが、どんどん気になっていくようになった。逆にみゆきは、三枝のことを最初はやけに気にしていたにも関わらず、途中から、何かが冷めてしまったような気がしたのだ。
お互いに、どこかで交差したのだろうが、三枝の方は交差に気づかないまま、逆にみゆきの方は、交差を思い切り意識したのだろう。その交差は、
「冷めてしまった何か」
ということになるのだろう。
三枝にとって、最初はスコアをつけているところを邪魔されたという感覚だったのに、みゆきのことが気になってきたのだ。
実はみゆきの方もその感情はまったく同じなのだが、そのタイミングがずれていたのだ。女の方が、意識が先に盛り上がり、そしてすぐに萎んでいった。だから、美幸は自分が先を進んでいることで、後ろをついてくる三枝の行動パターンが読めたのだろう。
だから、三枝は、自分の気持ちに素直になれたが、みゆきの方では、
「ちょっと待って」
と感じたに違いない。
「女性は、自分の気持ちがハッキリするまで、相手に気持ちを悟らせないようにする」
というような話を聞いたことがあったが、それは、別れを言い出す時だという話だったが、実際には、それだけではないのかも知れない。
確かに言われてみると、自分の知っている女性というのは、自分の気持ちがハッキリとしているにも関わらず、相手が何らかのアクションを示して、それに対してそれなりの回答を示そうとした時、自分の中で判断を下すようだ。
その時、初めて別れを繰り出すことになる。
ということは、女というのは、
「相手に意思表示をする時は、すでに最後通牒を切り出したわけでもないのに、宣戦布告をするのと同じだ」
ということであった。
つまり、何と言って説得しても、それは後の祭りである。
女は、退路を断ったあとで、相手を攻撃に入るのだが、男の方とすれば、
「今後、後悔するかも知れないと思う中で、自分が毅然とした態度を取るだけの勇気を持つことができない」
ということになるだろう。
要するに、女性の場合は、態度に出す時は、すでに後戻りができないところまで行っていて、男だけが取り残されているわけだ。
「そんなの卑怯だよな。まるで後出しじゃんけんのようなものじゃないか?」
と男からすればいうのだろうが、
「男の方こそ、女の子腐ったようないじいじした態度を取って、一体何をどうしたいのか、まったく分からないのよ」
ということだろう。
男の方は、保険を掛けるかのように、どっちに転んでもいいように考える。そういう意味では女の方がしたたかだといえるのかも知れない。
男は、保険を掛けることで、自分を納得させたいのだ。
女は、男と話をする前に、自分を納得させている。きっと、男と面と向かって話をすれば、情が湧いて、別れることができなくなることで、自分の意思表示をした時、すでに音戻りができないようにする行動をとっているということなのだろう?
「私は、あなたの考えが分からないの」
と、言われて、失恋した友達を目の前で見たことがあった。
何と言って、声を掛けていいのか分からないが、そのショックは大きかった。
「女って、卑怯だよ。こっちに意思表示をした時は、すでに腹を決めているんだからな」
といっていたが、まさしくその通りなのだろう。
「そういえば、卑怯なコウモリという話を聞いたことがあるが、コウモリは男なんだろうな?」
という友達がいた。
「どういうことだい?」
と聞くと、
「女はしょせん、皆後出しじゃんけんであって、先に逃げ込んでおいて、相手が身動き取れないところまで誘い込んで、アリ地獄に落とすような真似をするんだからな」
というのだった。
だが、そんな理屈を男の三枝が分からないというのは、理解できるが、女のみゆきの方も、よく分かっているわけでもないようだ。
ただ、何となく、
「後出しじゃんけんなのではないか?」
とは感じていて、そんな自分が、
「どこか嫌なんだ」
と感じているのも事実だった。
じゃんけんをして勝ったのは、わざとではないと思いたい。しかし、後出しなのは間違いないし、相手も後出しじゃんけんを卑怯だと思うようになるだろう。
そんなことは分かっている。分かっているのに、どうしようもないのが、
「女の性」
というのではないだろうか?
今、彼女は26歳、これまでに何度か男性と付き合ってきたこともあるようで、そのたびに、
「後出しじゃんけん」
を感じてきた。
最初は。どこが後出しじゃんけんなのか分からなかったが、ここ数年の間で、
「別れを感じた時、自分が後出しじゃんけんをしているのだ」
と分かるのであった。
それは、
彼女が別れを感じた時、相手はいつも、能天気だった。お互いに好きだと思っていると思い込んでいて、一切のみゆきの心の変化に気づいていない。
みゆきは、そんな相手の男に腹が立つ。気持ちの変化に、どうして気づいてくれないかということを考えるからだ。
だが、そんなみゆきも、心のどこかで、
「まだ、私の気持ちの変化に気づかれたくない」
という思いがあるからだ。
明らかに矛盾した考え方なのだが、それは、自分が、何かと何かを天秤にかけているということを感じていたからだ。
何と何を天秤に架けているのか分からない。
一つは、
「まだ自分が彼に対して未練があるのではないか?」
という思いがあるからだろう。
作品名:マイナスとマイナスの交わり 作家名:森本晃次