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秘密は墓場まで

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 と決まり、ずっとそう呼んできたのに、アメリカなどの列強が、大東亜戦争の目的を許してしまうと、自分たちの過去の行いが言及を受け、裁判において不利になったり、これからの社会情勢で東西が別れることが分かっているので、日本を悪者にする必要があったので、
「太平洋戦争」
 などという欺瞞に満ちた言い方をするようになったのだ。
 考えてみれば、日本の政府も、マスゴミもバカである。サンフランシスコ平和条約で、日本は独立国になったのだから、大東亜戦争と呼んでもいいのに、わざわざ太平洋戦争という言い方をする。
「愚の骨頂」
 とはこのことだ。
 こんな時代の小説なので、少々奇抜でもありだったのだろう。
 しかし、そんな時代も、1年くらいのもので、大東亜戦争に突入すると、当局の監視の下となるので、発禁ということになり、探偵小説は書けなくなった。作家によっては、時代小説などを書いて、食いつないでいるという事態だったのだ。
 そうなると、戦争が終わってから、すでに廃業した人は別として、じっと待っていた人は、
「これからは自分たちの時代だ」
 と言わんばかりに。小説を書き始めた。
 考えてみれば、あの小説は、拷問か、驚愕か、そんな小説であった。
 一人の少年が生まれながらに悪魔になり、
 というのか、悪魔を産むために、親を攫ってきて、子供を産ませるだけ産ませると、またどこかに捨てに行くという、
「あの時代だからこその発想だった」
 ということなのかも知れない。
 小説を読むにしても、書くにしても、その発想がどこからくるのかということが問題である。
「普通の神経なら、あんな発想できっこない」
 と思うのだが、これが読者として読んだ場合、見方が違っているのだ。
「プロの書く小説だから、面白いに決まっている」
 という発想の中で、昭和14年の小説は。かなり、高度な心理学をついた小説なのかも知れない。
 もっとも、よく考えてみれば、海外の探偵小説や幻想小説などは、日本人が思いもつかないような発想をする。カフカなど、いい例ではないだろうか?
 そんな小説の発想が素晴らしかっただけに、日本に来てからは、外国のミステリーを知っている人には、日本の小説は物足りないと思ったのかも知れない。
 人気のある小説家は、当然売れたであろうが、作家によっては、晩年になって、急に売れ始めるという小説家もいたりする。それが、面白いという人もいるのだろうが、戦前の探偵小説は、黎明期であり、1,2人の作家が孤軍奮闘していたといってもいいかも知れない。
 それだけに、小説を書くのも、理論づけて、読者を欺くくらいのものを書かないと、読者には受け入れられないかも知れない。
 ジュブナイルのような、少年小説もジャンルになるように、少年を使うという小説も結構あったりして、このあたりから。
「何でもあり」
 というような作風に変わっていったのかも知れない。
 その頃がある意味探偵小説の初期の最盛期だったのかも知れない。それまでは、戦後の混乱から、猟奇ものであったり、まだ、固まっていない風俗習慣が、社会構造もできていない状態において、人間関係や、昔からの因縁めいた話が多かった。
 しかし、
「もはや、戦後ではない」
 と呼ばれるようになった高度成長時代においては、社会組織の確立によって、いわゆる、会社や組織を舞台とした社会派小説がウケるようになってきた。
 いわゆる、昭和の時代の、
「サラリーマンの悲哀」
 というものであったり、日米安保闘争などから続く、組織の問題であったりに切り込む小説は、サラリーマンなどにはウケたことだろう。
 何しろ、自分たちが今歩んでいる道なので、主人公が架空の人物だということが分かったうえで、小説の世界に入りこむと、
「ふむふむ、ありえることだ」
 と、内容的には、納得しながら読めるので、内容にもすんなりと入っていける。
 ただ、話としては、ミステリーなので、本当に起こってもらっては困ることが多いだろう。
 それだけに、余計に想像力が掻き立てられ、身近だということもあって、小説を読み始めると、途中で終わるのが嫌で、最後まで読んでしまうということになるのではないだろうか?
 時代は進み、公害問題や、教育問題などが絡んでくることによって、新しい小説が生まれてくるのだった。
 そのうちに、昔からの探偵小説と、社会派小説の合わさったような話が生まれてきて、トリックなどを駆使しる話や、別の視点から、
「この作家なら、こういうパターンの小説」
 というようなジャンルが、作家ごとに生まれてきたり、代表作がシリーズ化するような小説も増えてきたりした。
「トラベルミステリー」
 であったり、
「修直駅シリーズ」
 などの、パターンに則った小説であったり、
 検事が主人公であったり、弁護士が主人公という話から始まって、家政婦が事件を解決したり、子供の探偵が出てきたり、アルバイトの探偵まで出てくるという、それこそ、
「何でもあり」
 という小説になってきたりするのだった。
 小説は、時代によって変化してくる。昔の探偵小説とホラーが一緒になって、それが、科学の発展によって、SF小説がブームになった時代もあっただろう。
 マンガの影響も大きかったかも知れない。
 マンガの世界で、宇宙やロボットや、タイムマシンなどというものが、頻繁に出てくるようになると、SF小説もブームになるというものだ。
 正直、SF小説は今に始まったものではない。アメリカなどでは、100年以上も前から言われていた話だってあるのだ。
 日本で、マンガやアニメの流行り始めた黎明期は、1960年代くらいであろうか?
 空想科学物語ということで、正義のヒーローが出てきて、怪獣をやっつけるという話であったり、どこかの博士が作ったロボット人間が、活躍するという話など、その頃から出てきたものだった。
 ロボット人間というものにもいくつか種類がある。
 大きく分けると二つだろうが、アンドロイドのように、最初からロボットを作っているというものである。もう一つは、サイボーグと呼ばれるもので、いわゆる、
「改造人間」
 である。
 生身の人間の身体を、ロボットのように強靭なものにして、心や精神は、元の人間から引き継いでいるという考え方である。
 ただ、アニメや特撮になるのは、後者の方が多いだろう。改造人間にした方が、ヒューマニズムに訴えやすい。
 だが、アンドロイドのようなものは、巨大ロボットに多いかも知れない。人間から、操縦気で操られたりするもので、基本的に、ロボットには感情や、思考能力はないのだ。
 だから、人間が乗り込んだり、リモートで操るしかないのだ。考えてみれば、改造人間であったり、人造人間、サイボーグ〇〇などという人型ロボットに多かったではないか、そのために、皆元々の良心との葛藤に苦しむという物語が作られるのだ。
 そんな時代を今の人間は知らないまま生きてきている。
「知らぬが仏」
 という言葉があるが、本当にそうであろうか?
 知らないままの方がいいなどというのは、詭弁なのかも知れない。

                 コンクリートジャングル
作品名:秘密は墓場まで 作家名:森本晃次