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秘密は墓場まで

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 だから、父親は、その浮気相手から逃れることができないのであって、相手も罪悪感の中で、余計に盛り上がってくる自分の気持ちを抑えられなくなっていた。
 なぜなら、感覚がマヒしてきてしまっているからである。
 そんな二人のことを知っている人は誰もいない。相手の旦那の方は、結構鈍感なようで、
「旦那に見つかったりはしないだろうな?」
 と、父親がいうと、
「ええ、大丈夫よ。あの人鈍感だから」
 と、どうやら、鈍感なところにも、彼女が業を煮やしている感覚が由来しているのではないかと思うのだった。
 そしてさらに、
「あの人に万が一見つかっても、あなたが、私を最後まで面倒見てくれるだろうから、安心だわ」
 というのだった。
 父親としては、癒しを求めているだけなのに、
「何を勝手なこと言いやがって」
 と、一瞬、ムッとはするが、それ以上口に出すことはない。
 癒しが溢れていて、離れられない相手ではあるが、実際に、
「愛している」
 というわけではない。
 相手の女にしてもそうだろう。お互いに相手を例えるとすれば、
「そう、砂漠の中にあるオアシスのような感覚だわ」
 と感じるのだった。
 ということは、逃げ水と呼ばれるように、近づくと幻影であったかのように、忽然と消えてしまうということもありえる。
 それこそ、泡のような消え方をするのではないかと思うと、その思いは、ホテルの風呂場で、身体を洗っている時に、特に感じた。
 しかし、ホテルで身体を洗っている時というのは、これから沸き起こる、
「癒し」
 へのプロローグであることから、身体は完全に敏感になっていて、小刻みに身体が震えているのを感じさせるのだ。
 そんな癒しが、自分の中でどういうものなのかということを感じると、逃げ水のように、スーッとオアシスが消えていくのを感じることがあった。
「どっちが一体幻なんだ?」
 と考える。
 癒しを求めようとして消えていく感覚。さらには、次第に飽和状態から、身体がマヒしてくる感覚。どちらもありなのだが、矛盾しているにも関わらず、その矛盾を一切感じることはない。
 不倫なのだから、意識するのは、まず、その矛盾の有無ではないだろうか?
 もし、それで矛盾が生じるなら、その矛盾のわけがどこから来るものなのか、自分で考えてみようとするだろう。
 不倫に興じる父親を、つぐみは、
「お父さんが不倫をしているなんて」
 ということを知ることはないだろう。
 父親は、癒しを求めたいと一途に思っているせいもあってか、その頃になると、
「不倫は悪いことだ」
 とは思わなくなってきた。
 そういえば、どこかのトレンディ俳優が昔言っていたではないか?
「不倫は文化だ」
 と……。
 その頃はそれを聞いて、
「何、バカなことを言ってやがるんだ。そんなの言い訳でしかないだろう」
 と思っていた。
 それは、別に正義感からではなく、その言葉が明らかに言い訳にしか聞こえなかったからだ。
 父親はそういうあざとさは嫌いで、敏感にそんなあざとさが分かるようになってきたのだ。
 そのくせ。自分も似たようなことをしているかも知れないのに、自分には目を瞑ろうとしているのだ。
「自分には甘く、他人にきつい」
 という、一般的には、とんでもない性格であったのだ。
 だが、
「一般的とよく言うが、一般的という言葉の定義って何なのだろう?」
 と感じるようになった。
 元々、社会人だとか、世間一般、さらには、テレビなどで、戦争や国際問題が起こった時によく聞く、国際社会などという言葉、一番嫌いだった。
 世間を十把一絡げにして、一つに纏めようという考えは、非常に嫌なものだった。
 それは、娘のつぐみも同じだった。あくまでも、
「個人主義」
 というものを気にしている、つぐみは、父親もまさか同じ考えだったとは、思ってもみなかった。
 そもそも、個人主義という言葉もよく分かっていないだけに、つぐみは、まだ子供だったということだろう。
 父親が不倫をしているなどまったく知らず、まだ子供だったということもあって、つぐみの頭の中は、
「お花畑状態」
 だったのだ。
 しかし、時々、ふとしたことで不安に駆られることがある。
 それが、躁鬱症であるということに気づくまで、少し時間が掛かった。
 躁鬱症というと、読んで字のごとく、
「躁状態から、鬱状態に、鬱状態から躁状態というのを繰り返す」
 ということである。
 それを想像した時、イメージとして浮かんできたのが、信号機だった。
 一般的な車両用の信号機は、左から、青(緑)、黄、赤と並んでいるが、問題はそこではなく、信号がどのように移っていくかということである。
 まず、赤信号は、すぐに青になるが、青からは、まず黄色が点灯し、赤になるのだ。これは、黄色信号が、
「気を付けて進む」
 というものに対し、赤信号の、止まれに対しての警告のようなものだと思っていた。
 ただ、実際には違っているのだという。
「黄色信号は、止まれ」
 というのが原則で、赤と同じ意味を持つという。
 では、なぜ、黄色信号があるのかというと、
「スピードが出ていて止まれない時は、無理せずに進む」
 ということからである。
 つまり、急ブレーキを踏まないといけない状況に、交差点の前で陥れば、後ろの車から、
「おかまを掘られる」
 という可能性があるからである。
 つまり、追突される可能性があるというわけである。
 だから、急ブレーキを踏む必要がなく普通に停車できるのであれば、止まらなければいけない。
 しかも、黄色信号で進んだ場合も、罰金があるということなので、気を付けなければいけない。
 皆が勘違いしている。
「黄色は、気を付けて進め」
 というのは、
「黄色い点滅信号」
 のことである。
 ここでさらに勘違いしている人が多いのだが、黄色の点滅信号には、徐行ということはない。気を付けていれば、制限速度いっぱいでも構わないのだ。
 逆に赤の点滅信号は、徐行ではない。一旦停止が義務である。夜中の時間帯に点滅信号になるところでは、皆結構間違えているので、特に赤い点滅信号で一旦停止をしなければ、
「信号無視」
 となって、処罰を受けるのだ。
 考えてみれば、点滅信号は、
「赤でも黄色でも、同じ徐行になるではないか」
 ということになる。
 そんな分かり切ったことを、勘違いしているとは言え、誰も不思議に思わないというのは、おかしなことではないだろうか。
 この場合の、青信号を、躁状態、そして、赤信号を鬱状態と考えると、実際には、信号の動きとは逆であることに気づく。鬱状態から躁状態になる時は、結構時間が掛かる。それは、
「鬱状態から、躁状態に変わることが分かる」
 という時があるからである。
 しかし、躁状態から鬱状態に変わる時は、その状況が分かるわけではなく、
「ヤバいかな?」
 と思った瞬間には、あっという間に鬱になってしまっているというわけだ。
 要するに、黄色信号というものは存在しないといってもいいが、実際には存在していて、意識していないだけなのかも知れない。
 躁鬱症の状態を、
「昼と夜が切り替わる時だ」
 と思う時があるが、これも、少し違う。
作品名:秘密は墓場まで 作家名:森本晃次